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地球環境を再生させることで私たちの体も健康になる。医師・桐村里紗さんが鳥取県江府町からつなぐ、「水」を軸にしたプラネタリーヘルスの実践

「健康」は、時代を超えて人々が探求し続ける永遠のテーマです。

栄養のある食事、十分な睡眠、適度な運動……。あなたも日々の暮らしの中で、健康を維持するためにさまざまな努力をしているのではないでしょうか。

しかし、予防医療の医師であり地域創生医として活動する桐村里紗(きりむら・りさ)さんはこう語ります。「真の健康を手に入れるためには、自分自身の健康だけでなく、地球の健康を取り戻すことが不可欠だ」と。

SDGsが発表されたのと同じ年(2015年)、国際的なサミットのワールドヘルスサミットで「プラネタリーヘルス」という新しい概念が提唱されました。これは、人間の健康と地球環境の健康が深く結びついているという考え方で、持続可能な生活や政策、経済活動を通じて、地球と人類がともに健康で幸せに生きる未来を目指すものです。

「とはいえ、一体私たちの生活の何を変えていけば良いの?」そんな疑問が浮かぶかもしれません。

その答えを探るため、桐村さんは2022年から地域創生医として鳥取県江府(こうふ)町という小さなまちで、行政や町民とともにプラネタリーヘルスを実践する取り組みを始めました。

活動開始から約二年。今、桐村さんと江府町の人々は、地球と人間の健康をどう結びつけ、変化していけば良いのか、その道筋を見つけつつあります。

今回、私たちはプラネタリーヘルスを日常の中に取り入れるヒントを求め、桐村さんのもとを訪ねました。

桐村里紗(きりむら・りさ)
地域創生医。天籟株式会社代表取締役医師。東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻道徳感情数理工学講座共同研究員。(公財)日本ヘルスケア協会・プラネタリーヘルスイニシアティブ代表理事。予防医療から在宅終末期医療まで総合的に臨床経験を積み、現在は鳥取県江府町を拠点に、産官学民連携でプラネタリーヘルス地域モデル(鳥取江府モデル)構築を行う。

腸内環境の土と地球環境の土はつながっている

プラネタリーヘルスは、2015年に世界的に権威のある科学雑誌「The Lancet」が提唱したヘルスケアの概念で、相互に関連し依存し合っている人の健康と、社会・地球の健康の関係性を捉え直し、全体の健全性の実現を目指すものです。

桐村さんはプラネタリーヘルスに出会うまで、長年、内科医として生活習慣病から終末期医療まで幅広く臨床経験を積み、人が病気になりにくい生き方やライフスタイルを提案する予防医療の現場で医師として活動してきました。

桐村さん 幼い頃から母が薬害による病に苦しんでいるのを見て、そもそも人が病気にならない世界をつくりたいと思い、予防医療が重要だという考えを前提に医師になりました。

しかし、「人が病気にならない世界の実現」を探究すればするほど、現代の病気の多くは、人間が暮らす社会や地球環境によって引き起こされており、結局は人類の活動が病気をつくり出しているという事実に気づいていったといいます。

桐村さん 病気を予防することの根本は、腸内環境を改善することにあります。腸内環境を「人の土」と捉えたとき、その土を良いものに変化させるには、結局は地球環境の土を良くすることにつながっていくんです。

というのも、土壌に暮らす微生物が食べ物とともに腸内に移住したものが腸内細菌の起源であり、人は「食べる」ことを通じて外的な環境と接続しています。つまり、生物多様性が失われた土で育った食べ物を食べ続けたり、加工度の高い多様性の少ない食事を続けたりしていると、腸内の土にも多様性がなくなり、やがて心身のさまざまな不調を引き起こす原因になるというのです。

さらには、コロナ禍や次々と勃発する戦争など、地球と人類双方が健やかでなくなっている状況に直面したことで、桐村さんは医師としての既存の医療のやり方を変化させなければいけないと強く思うようになりました。

桐村さん 診療所で病人を待っているだけでは何も変わりません。現代の社会システムの中で人が病気になっているのだとしたら、そのシステム自体を変えていかなければ意味がない。そう考えたときに、地球環境、社会、経済、コミュニティ、家庭、そして人間の病理まで、全てにアプローチできるプラネタリーヘルスを探究しようと思いました。

現在、プラネタリーヘルスはハーバード大学などが主体となり、さまざまな大学で机上の研究は進められていますが、地域を巻き込んだ実践は世界的に見てもほとんど行われていないそう。

桐村さん だったら自分でやってみようと、実践できる場所を探していたときに江府町にご縁をいただき、自治体と連携しながらまちぐるみでプラネタリーヘルスの実現に向けた実践を始めることになりました。

観光から環境へ。県内人口最小のまちをプラネタリーヘルスの最先端拠点に

壮大なプラネタリーヘルスを日本国内で実装していこうと考えたとき、桐村さんはまず「水の循環」を大きなキーワードにして取り組むことを決めました。

国土の約75%(※)が山地である日本には、各地に豊富な水源と流域が存在しています。そのため、「水の循環」を一つの単位として実践を積み重ねれば、いずれは日本全体のプラネタリーヘルスの実現につながると考えたのです。

(※)国土地理院資料より

曇り空の中に微かに見える大山

桐村さん 水は生きる根源です。脈々と続く地下の水脈は土の中を里、川、海へと流れながら生命を育んでいます。日々の暮らしの中で水を守り育む環境を社会システムの中に落とし込むことが、プラネタリーヘルスの第一歩だと考えました。そんな経緯で、実践の場所としてできるだけ上流に近い場所を探していたところ、ご縁があって、現在一緒に「プラネタリーヘルス・ツーリズム」として「大山流域から学ぶ水のプログラム」などを展開する一般社団法人Bisui Daisen大原徹さんに江府町をご紹介いただきました。

鳥取県江府町は、中国山地の中でも古くから霊山として知られる大山の南壁にある奥大山の水源域にあり、「水のまち」として知られています。しかし、高齢化や人口減少などの課題を抱え、かつてのスキー場も閉鎖されていました。そんな状況をなんとかしようと、江府町は奥大山の豊かな自然をいかして「観光から環境へ」と大きくシフトチェンジすることを決めたのです。

桐村さん 江府町はスキー場があった土地の活用方法を考えたとき、もう一度観光客を呼ぶための施設にするのではなく、環境教育の拠点にしようと「奥大山自然塾」という自然環境を学ぶ塾をスタートさせました。私が江府町を訪ねたのはこのタイミングで、町長にプラネタリーヘルスについてお話したところ、「ぜひ一緒にやりましょう」と即断即決で言っていただき、2022年の11月に連携協定を結びました。

県内人口最小の小さなまちだからこそ、行政の動きが早く、町全体で環境再生に取り組めることに大きな魅力を感じているという桐村さん。

桐村さん 鳥取県は全国でもGDPが最下位で、かつ人口も最小。江府町はその中でも人口最小のまちなのですが、現代の価値観では測ることのできない自然資本、生態系の豊かさが息づいています。町民の方々は昔からそれらを大切にしていて、「大山さん信仰」がいまだに根付き、暮らしの中で水を大事にする文化があるんです。プラネタリーヘルスの最先端拠点としてそれらを可視化し、新しい価値へと転換していきたいと考えています。

せせらぎ公園の水源を再生させる

江府町でのプラネタリーヘルスの活動拠点となったのは、10年以上放置され、遊休施設となっていたせせらぎ公園でした。

夏には大量に蛍が現れ、幻想的な景色がみられるという

約2ヘクタールの公園内には、古来の湧水地があった場所で、水道が通る前に上水として使われてきた水源があり、約20年前に人が水に関わる場所としてオープンしました。かつて水源だった場所にはビオトープがつくられていましたが、10年ほど前に遊休施設となってからは誰も管理をせず、ビオトープは枯れて雑草に覆われ、水源がどこにあるのかも分からなくなっていたといいます。

桐村さん 町としても「せせらぎ公園を再生させることができれば、まちの人たちは喜んでくれると思う」ということで、「再生」をテーマにこの場所を拠点に活動していくことを決めました。

桐村さんが町民とともに初めに着手したのは、公園の水源を再生させることでした。

まずは伸び放題だった草を刈り、水源を発掘する作業から開始。どこから水が湧いているのか全く分からない中で、微かに聞こえる水音を頼りに草を刈り続けると、枯れてしまったと思われていた水源が姿を現したといいます。

当時の水源探しの様子。微かな水の音を頼りに手探りで行った(画像提供:桐村里紗さん)

桐村さん 水源はちゃんと生きていたんです。ただ、本来の湧水地は地下に埋まり、水源としての機能が劣化していたので、土中環境の視点から水源や森林を再生する専門家・高田宏臣さんに来ていただき、有機土木®︎の技術で水源整備をしていくことになりました。

有機土木®︎では、石や藁、落ち葉、炭などを使うことで、微生物など生きものの力で大地の息吹と水脈を取り戻していく(写真提供:桐村里紗さん)

藪の下に埋もれていた美しい湧水が取り戻された

2023年と2024年秋に2回、高田さんをはじめとした全国から集まった有機土木チームと桐村さんと地元町民が力を合わせて、有機土木による水源再生施工が行われました。今後も整備を続けていくそうです。今回、実際に整備された場所に案内してもらうと、そこにはキラキラと光る透明で美しい水が湧いて小川となり、鳥や昆虫など、目にみえるだけでも沢山の生物が生息できるビオトープができていました。

桐村さん 水源整備をした途端に渡り鳥がやってくるようになったんです。やはり変化が目に見えると嬉しいし楽しいですよね。課題だけにフォーカスすると心がつらくなってしまうけれど、みんなで一緒にやることによって意識がつながりあって、生きることの喜びを感じられるようにもなる。怒りや恐怖や不安をエンジンにするのではなくて、歓喜を共有することによって文明は発展していくと思います。環境への罪悪感ではなく、人間だからこそできることを探したいんです。

また、江府町に長く暮らしてきた地元の方々が持っている自然の知恵や知識から多くのことを学んでいるという桐村さん。

地元住職が描いたという大山流域曼荼羅(写真左)。素戔嗚をモデルにした「大山ー火の川流域曼荼羅図」大風呂敷(写真右)。縄文時代から人が住み、古来、精神的支柱であった豊かな霊山「大山」を源流とする2つの“火”の川(日野川と斐伊川)流域は、渡来の技術や文化を融合しながら、人と自然の持続可能な関係性が築かれてきた エリアであることをもとに、水の流れを軸にしたこのエリアの未来図が描かれている

桐村さん やはり古来の日本の里山では、人が暮らしの中で自然を保全、再生しながら共生する生き方がされてきたんだということが、地元の方々との交流の中からも分かるんです。それを忘れてしまったことが、社会の混乱や自然破壊を生む一つの要因になっていると思います。失われつつある日本古来の精神性や生き方と最新の科学、技術を融合させることで、古くて新しい文明を再び築き上げていきたいと思っています。

シネコカルチャーを実践し、土壌微生物と腸内環境の相互作用を研究したい

せせらぎ公園では、水源整備と同時進行で2023年から畑でSynecoculture™(以下、シネコカルチャー)(※)という環境再生型農法の実践も行われています。

(※)Synecocultureはソニー株式会社の商標です。

シネコカルチャーは、「耕さず、農薬や肥料を与えず、種苗以外は持ち込まない」という条件のもと、沢山の種類の種や苗、果樹を一気に寄せ植えし、多種多様な植物や微生物が共生して助け合い高め合う状態をつくることで、土壌の微生物の多様性を高め、土壌を健康な状態にしていく農法です。

桐村さん このやり方なら、都会でも少しのスペースがあれば誰でも簡単にできる。今の時代、多くの人が自分で食糧を生産できなくなっています。自分で食料をつくれなければ、何かがあったときに自分はもちろん、周りの人たちの命を維持することもできません。それは根源的な人間の生きる力の低下につながっています。だからこそ誰でも実践できることが重要で、種と苗さえあればいいというシネコカルチャーのハードルの低さは魅力でした。

せせらぎ公園内の畑。桐村さんを囲むのは全てシネコカルチャーで育った作物や共生する植物

また、プラネタリーヘルスの視点で考えても、シネコカルチャーは、土中への窒素や炭素の固定と同時に、土中の微生物の多様性を高めることが可能で、人間にも好影響をもたらすことが研究で示されているといいます。

桐村さん 慣行農法では一般的に、微生物や虫、雑草を農薬で排除して、栄養が偏った化学肥料を与えて作物を育てます。その環境では豊かな生態系のつながりが失われるので、当然ながら作物の栄養価も低下しているんです。ここでは、土中の環境を再生させながら、腸内環境も改善していきたい。この畑は「食べられるジャングル」として開放していて、収穫期には、プラネタリーヘルス・ツーリズムのプログラム内で収穫してその場でランチに食べたり、まちの人たちが育ったものを自由に採りにきてくださったりしています。

種と苗を植えたのがたった一年前とは思えないほど、ハーブやエゴマ、あずきなど数えきれないほどの作物がのびのびと育っている光景を見て、シネコカルチャーはまさに、人と地球環境の再生を、誰にでも手の届くかたちで示してくれるものなのだと実感しました。

エゴマや枝豆、バジルやミント、赤紫蘇など数百種類もの作物が育つ

ツーリズムによって素戔嗚の視座を手に入れ、それぞれのまちの実践者へ

桐村さんは、江府町でともにプラネタリーヘルスに取り組む仲間が増えること、また、他の地域で同じような実践者を増やしていくことを目的に、まずは自然と人が“接続”する入口となるような、3日間の「プラネタリーヘルス・ツーリズム」をBisui Daisenと共に企画しています。

桐村さん 人と地球が持続的に共存し、ともに繁栄していくためには、私たちが「グレートトランジション」、すなわち大転換を起こす必要があります。でも、ただ頭で考えるだけではこの変化は実現しません。実際に体験し、その感覚を自らの中に獲得していくことが重要です。だからこそ、まずは現場に足を運び、大山流域の水の流れを体感してほしいのです。

このツーリズムの目標は、プラネタリーヘルスの担い手として「素戔嗚(すさのお)」の視座を獲得すること。素戔嗚とは、たたら製鉄によって栄えた古代出雲國において、高度な製鉄技術とともに植林や治水の技術によって暴れ川を治めたとされる、日本神話に登場する神の一人です。

桐村さん 私たちは、素戔嗚は、目には見えない地下を流れる水を含めた自然の原理原則に対する深い洞察を持ちながら、当時の高い科学技術を融合させて、人類の文明が自然を守り再生しながら発展する状態をつくり出したと解釈しています。私たちも素戔嗚のように、最新の技術をうまく使いながら、より生態系を豊かにすることができるという視座をもてるようになってほしい。

プログラム1日目は、大山の源流域で、山に入り水の流れに逆行して登るシャワークライミングを体験しながら、微生物や苔が岩から森を形成する過程や地下の水の流れなどを高解像度に見えるようにすることで、大山の水と接続する日です。これまで自分が思っていた身体の範囲より遥かに大きな自己が拡張します。

2日目は、生態系とつながり、その力を自分の力として使いながら、自然をより豊かに再生する日です。自分にできることを探究するため、せせらぎ公園でシネコカルチャーや有機土木®︎を体験。そして最終日は、山全体と接続した状態で海に行き、山の地下を通り海底に湧く海底湧水を汲み上げ、塩をつくる。その塩を使ったかまどご飯を炊き、おにぎりを自分たちで結びながら、振り返りを行い、それぞれが暮らすまちへと帰ります。

せせらぎ公園から車で30分ほど下り、海岸へ。海水に入り、両足を砂に埋めると大山の森の恵みのミネラルを含む海底湧水を足に感じることができる

桐村さん 山から海までの水のつながりを身体全体で分かった状態で海へと足を運ぶことで、「海こそが大山だ」という感覚を得ることができます。山から海の流域全体が自分自身であるという視座を獲得し、それぞれのまちに帰ることで、まちの見え方も変わってくるはずです。

取材に訪れた日は、ちょうどプログラム最終日で、ツアー参加者のみなさんは「シャワークライミングで『私は大山だ!』という感覚になった」「自分と自然は深くつながっていることを身体で理解できた」など、これまでとは目に見えている世界がまるで変わったかのような晴れやかな顔をして語っているのが印象的でした。

ツーリズムに参加していたみなさんとともに、おにぎりをいただいた。3日間、口にするのは大山の水と流域で採れた食材ばかり。そうすることで参加者一人ひとりも流域の一部となる

桐村さん いま、全国の方からお声がけいただいていて、各地の流域とつながりながら、それぞれ土着のプラネタリーヘルスをつくれる予感がしています。同じプラネタリーヘルスと言っても、平均化したものを当てはめることはできなくて、それぞれの土地の歴史や文化、気候に基づいたかたちを模索していかなければいけません。そのために、今後は人を育てながら、育っていった人たちが各地で自分たちのエリアのプラネタリーヘルスの実践者になれるような未来をつくっていきたいと思います。

「すべての生命はつながり、そのつながりが自分自身である」かつての日本人の暮らしの背景には、この考え方が根付いていたのではないでしょうか。桐村さんが語るように、それを知識と体感で再び取り戻すことができれば、私たちの視野は広がり、やがて地球そのものが自分であると感じる大きな視座へと変わっていくはずです。

その時、私たちは自分一人の力ではなく、生態系の微生物や植物の力に委ねることで、ともに支え合う精神的な安心感も得ることができるのかもしれません。プラネタリーヘルスは、地球と人間がともに歩む未来への羅針盤であり、その旅路はほかでもなく私たち一人ひとりの小さな気づきと行動から始まるのだと、教えてもらいました。

(撮影:風間美幸)
(編集:村崎恭子、増村江利子)

– INFORMATION –

桐村さんが実施する「プラネタリーヘルスツーリズム」の情報はこちらからからご覧ください。

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