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自分の言葉で、人生を再編集していく。地域にあるものからはじまる、学びの場「あいだす」とは?

生きていく上で本当に必要な学びってなんだろう。

本来、よりよく生きるための学びが、いつしか他者に自分が何者であるかを証明するための道具にすり替わってしまっているように感じることがあります。

教科書で多くの知識を得たとしても、実際に自分自身が人や社会とどのように関わり、どう生きていきたいのかわからない。学校という場所から一歩外に出た時に、途方に暮れてしまう。そんな方は私以外にもいらっしゃるのではないでしょうか?

広島県・大崎下島の「久比(くび)」という小さな村にある「一般社団法人まめな」に関わる人たちを紹介していく連載「まめなな人」。前回は、一人ひとりの自己実現を通じた地域貢献のあり方について、代表理事の3名にお話を伺いました。

左から福崎陸央さん、大橋まりさん。「あいだす」の縁側に腰掛けてお話を伺いました。

今回は、「一般社団法人まめな」の学育の場「あいだす」を営む福崎陸央(ふくざき・りくお)さん大橋まり(おおはし・まり)さんにお話を伺いました。もともと東京で働いていた2人が、なぜいま瀬戸内の小さな村で人と人が交わる場「あいだす」をつくるに至ったのか。そこには、肩書きや生きているなかで、自然と身についてしまった先入観から解放されたいという想いがありました。

あるものからはじまる場所、「あいだす」とは?

地域のお祭りで使われた太鼓やギター・ピアノなどの楽器、ラケットやボールなど、溢れるくらいの数々の遊び道具は、地域の方々から寄付されたものです。

「あいだす」とは「一般社団法人まめな」の学育プロジェクトのひとつです。3年前にスタートし、いまでは寄贈された建物自体が「あいだす」と呼ばれています。地域の子どもたちが放課後に遊びに来たり、イベントが開催されたり、地域内外問わず人が交流する場です。

たとえば、私が滞在したときは遠方から訪れたおばあちゃんが「あいだす」のキッチンでうどんを作り、私たちや地域の人たちに振る舞ってくれました。他にも、「まめな」には音楽部という部活動があり演奏会の会場として使われたり、餅つき大会をしたり、子どもたちと畑を耕したり、大学や企業のワークショップの場として使われたり。「まめな」のメンバーのみならず、地域の人や訪問者がやってみたいことを企画し気軽にトライできる場になっています。

「あいだす」という名前は、「間」に複数形の「s」をつけた「間s」をひらがなにしたもの。久比という、お世辞にもアクセスがいいとは言えない場所にある「不便さ」と、不完全であっても自分たちでつくり出すことを大切にする「未完成さ」も許容する。いくつもの「余白=間」から創造性を育んでいこうという意味が込められています。

左が「あいだす」のロゴ。「間」という漢字に、いろんな隙間をもたらしたデザインです。

哲学的な意味合いが込められた「あいだす」というコンセプトが生まれる体験となった出来事があります。それは「島の寺子屋」という広島大学の学生を主体としたプロジェクトをやっていたときのことでした。

「一般社団法人まめな」プランナー/フォトグラファーの福崎 陸央(ふくざき・りくお)さん。
1996年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。2020年より、まめな学育プロジェクト担当。学生時代は、アートマネジメントやキュレーションを学び、子供のためのデザイン教育についての研究を行う。卒業後、広告制作会社にてコンセプト設計やコピーライティング、チームビルディングの業務を経験。2020年より一般社団法人まめなに常駐職員として参画。「自分なりの在り方を編みだすための学び」の環境を実現を目標に活動中。

福崎さん 誰の案だったか忘れてしまいましたが、水鉄砲で遊ぼうよっていう話になったんです。東京ならコンビニに行けば買えますけど、久比には売っているお店がありません。だったらつくるしかないと思って、地域の人に許可をとって、山に入り竹をとってくるところからスタートしました。

これが思った以上に難しくて、全然うまくいかなかったんですよ。でも、みんなの顔がすごくイキイキしていて、どんな年齢の、どんな肩書きの人も、夢中になっている姿が魅力的でした。こういう姿ってすごくいいなって思ったんです。

竹を切り、水が出る穴の大きさを調整している様子。「あいだす」のコンセプト誕生までの創作の道のりは、それぞれの視点で書かれたnoteに記載されています。

久比は決して便利な町とは言えません。東京では簡単に手に入る水鉄砲も、久比ではなかなか見当たらない。じゃあ、しょうがないから自分たちでつくろう。あるものでどうにかしよう。そんな想いを込めて「あるものからはじまる場所、あいだす」というコンセプトが生まれました。

「一般社団法人まめな」 コミュニティデザイナーの大橋まり(おおはし・まり)さん。
1994年東京生まれ。デザインプロダクションでグラフィックデザイン、社外プロジェクトでプランニングなどを経験。東京と久比を往き来し、自分のやりたいことを探究しながら、学びの複合型施設「あいだす」の企画運営を担当。ふとしたことが学びにつながったり、気づいたら行きたくなるような場づくりを目指しています。

大橋さん 本来、場を持ったり、コミュニティを営むということは、環境の設計やルールづくりが必要だと思うんですけど、私たちは結構行き当たりばったりで(笑) というのも、「あるものからはじまる」っていうように、計画に縛られず、その時々に起こる偶発性を大切にしたい気持ちが大きいからです。

地域のおばあちゃんに助けてもらいながら開催された餅つき大会。

ルールのなさ、不完全さを大切にするコミュニティの育み方。ただ、オープン時から2人が守ろうと決めてきたことが1つだけあります。それは地域の人たちに受け入れてもらうことを第一に据えることです。

いまでは、外からやってくる人たちが増え続けている「まめな」ですが、まずはとにかく地域の人が日常的に来たくなる場所をつくることを大切にしていたそう。現在では、毎日子どもたちが来てくれるようになり、おじいちゃんおばあちゃんたちとの交流も増え、0歳から100歳まで多世代の地域の人たちに愛される場所となっています。

生きづらさから、とにかく解放されたかった

勉強しにやってくる中学生

福崎さんと大橋さんは、以前東京で働いていた時の同僚。アートや美術の魅力に惹かれ、デザインに関する仕事についた2人でしたが、想像していた未来とのギャップや社会に対する違和感を共有しあう内に、「あいだす」が生まれる種となった「開放/解放プロジェクト」をスタートするに至ります。

福崎さん 大学ではアートやデザインを社会とどう接続させるかを学ぶ学科だったんですが、その内容がすごく面白くて。自分が特に興味を持ったのがデザインでした。

デザインって身近すぎて気づかれにくいんですが、自然と人の行動を促進したり生活を便利にしてくれたり、“誰かのため”にあるものなんだと。いままでの勉強では、「どうすれば高い点が取れるか」「どうすれば勝てるか」とか、自分のために学ぶという視点しか持てていなかったから、「自分の学びが誰かのためになる」っていう発想自体が驚きだったんです。

それからは、デザインが人に与える影響って何だろう? とか、義務教育のうちからデザインを意識するにはどうすればいいのだろう? と、「人が学ぶ」ということに関心が湧くようになったんです。

大学を卒業した福崎さんは、クライアントとデザイナーの間に立ち、どんなものをつくるのか、なぜつくるのかを考える「プランナー」という職種でデザイン関係の会社で働きはじめます。そこで出会ったのが、当時デザイナーとして働く大橋さんでした。

大橋さん 福崎くんが後輩として入ってきた時期は、いまやっている仕事が本当に自分がやりたいことなのか疑問が湧いてきた頃だったんです。当時の仕事は分業が結構はっきりしていて、毎日デザインをつくるけれど、つくったものが誰の役に立ってるのか、社会の役に立っているのか、いまいち実感が持てなかったんです。

新しいことに挑戦しようにも、私は大学からずっとデザインを学んできたので、“デザイナー”という肩書きに自分を縛り付けてしまって身動きが取れませんでした。

そんな時に入ってきた福崎くんは、入社数週間ですでにギャップを感じはじめている様子で…(笑) 福崎くんともうひとりのデザイナーと3人で意気投合して、「開放プロジェクト」っていうものをはじめたんです。

ただの岩や石も、子どもたちの手によりカラフルな作品に

「開放/解放プロジェクト」とは、肩書きやこびりついてしまった先入観、東京で感じる生きづらさなど、あらゆるものから解放され、自分が本当にやりたいことに素直に没頭できる状態を目指すというもの。

いまでも3人は毎週対話を続けており、この「開放プロジェクト」の延長線上に「あいだす」が存在すると言います。

福崎さん 社会人になるとお金やクライアントとの関係性といった、あらゆる“縛り”を感じました。僕が感じていたデザインの面白さが発揮されていない現場を目の当たりにしたんです。

「開放プロジェクト」について、とある場所で福崎さんがプレゼンをする機会があったそう。しかし、「耳障りのいい言葉を並べただけで中身がない」という、まさかのフィードバック…。かなり落ち込んだと福崎さんは振り返ります。

福崎さん 言葉でビジョンを描いて人が動くきっかけをつくるプランナーという職種をしていたにもかかわらず、絶望的なフィードバックですよね…(笑)

僕らの「開放プロジェクト」は空想上の話でしかなく、実際の行動には移せていなかったから、僕の言葉に実体がなかったんだろうなって。ただ頭で考えるだけではなくて、自分の手足で実践していかないと、いつまでも借り物の言葉のままだと。このままじゃまずいと思って、入社して1年半くらいで転職活動をはじめたんです。

肩書きではなく、一人の人と向き合う「まめな」との出会い

そんな矢先、ソーシャルビジネスをおこなう人たちが集まる場で福崎さんが出会ったのが、「まめな」の代表理事の更科安春(さらしな・やすはる)さん。まだ「まめな」が誕生する前のことでしたが、旧来の教育とは違った生涯学習の場を生み出す「学育プロジェクト」を一緒にやらないかと声をかけてくれたのだとか。

福崎さん 転職活動で心機一転と思いきや、空振りしまくりでとても苦しい時を過ごしていました。いく先々で「あなたのスキルは何ですか?」「あなたは何ができるんですか?」と聞かれて、あれ、僕って“経済動物”なのかもしれないって。僕の人間性ややりたいことなんて会社にとっては全く重要じゃないんだなと悲しくなりました。

そんなときに更科さんと出会い、これまでの転職活動とは全く違った視点というか、社会人として大先輩であるにかかわらず、叶えたい社会を実現させていく仲間として僕を迎え入れてくれたんです。

そこで初めて久比に訪れることになった福崎さん。のちに「あいだす」になる建物を見て、こうして実践の場を持たせてもらえることの喜びを改めて感じ、「まめな」への転職と久比への移住を決意しました。

福崎さん しっかり自分の言葉で語れる人間になるためには実践が不可欠だし、まさにその実践こそが本当に必要な「学び」なんじゃないかなって。

生きていると、理不尽なことやしんどいことはたくさん起こるけど、それを「嫌だなあ」ってモヤモヤして終わりじゃなくて、自分の体験を持って、自分の言葉で再編集できる力をつけることが学びの本質なのかもしれない、と。誰かの成功論を真似るのではなくて、自分の経験を持って人生を紡いでいく、そんなあり方を僕も含めて来てくれる人たちみんなで探っていける場所にできたらいいなと夢が膨らみました。

福崎さんから一緒にやらないかと誘われた大橋さんも、直感で「久比に行かない理由はない。絶対やるべきだ」と強く感じたと言います。デザイナーという肩書きから自分を解放し、自分が社会にどう役に立てるのかを探る、新しいスタートラインに立つこととなりました。

大橋さん 会社で働いていた頃、自分が誰の役に立てていたのか、いまいち実感が持てませんでした。でも、久比では子どもたちや地域の人など、社会と直接結びついている感覚を持つことができます。

“まめなの大橋さん”ではなくて、私そのものとして関わってくれる人が多いこともすごく嬉しいんです。“〇〇会社の大橋さん”とか“デザイナーの大橋さん”とかではなくて、私として人や社会の役に立てている。だからこそ、やりがいも感じるし、ちゃんと受け応えていきたいという責任も芽生えてきて、働く意味が大きく変化しました。

「あいだす」の常識は世間の非常識!?

特に大きなルールがあるわけではない「あいだす」という場所。ただ、共有する価値観として「あるものからはじまる」以外に、「大人も子どもも誰でも対等」という考えがあります。

放課後も休日も、毎日のように小学生が遊びにやって来ますが、「あいだす」は子どもたちの面倒をみる場所ではありません。もちろん怪我がないようになど、最低限見守る姿勢は必要ではありますが、子どもも大人も、そしてマネージャーの福崎さん、大橋さんでさえ、全員が自分自身がやりたいことに没頭できる状態が理想だと言います。

福崎さん 「あいだすの常識は世間の非常識」っていうパンチラインがあるんです(笑) 一般的には、大人は子どもを見守る役割を求められがちなんですが、僕らとしては大人も役割から解放されて、自分がやりたいことに夢中になってもらいたいんです。

大人も子どもも対等ですから、例えば、子どもが誰かを攻撃してしまったとしても、それが悪いことだと一方的に判断するようなことはありません。何が正解で何が不正解か、僕らもわからないし、「あいだす」のような0〜100歳まで多世代が集まると意見も本当にバラバラですから。これが正解とは言い切れないんです。

大橋さん 子どもたちの行動にどこまで意見を挟むかって、すごくバランスが難しいところではあるんですが…。起きたことに対して一生懸命考えてゆっくり話し合うことでしか、お互いをわかりあうことってできないと思うんです。

福崎くんが言ってくれたような例だと、「なぜ人を叩いてはいけないんだろう」だとか「叩かれた相手はどう感じただろう」とか、そういう正解のない問いを私たち大人も含めて考えて話し合う。そうすることで、相手の気持ちがわかるようになったり、自分の意見の伝え方を知っていく。それが「あいだす」っぽい学びのあり方だと思っています。”

正解のない問いについてみんなで考えるには、時間がかかります。でも、久比、とりわけ「あいだす」では、時間がゆっくり進んでいくことを直に感じます。自分の気持ちをゆっくりとしゃべらせてくれる余裕があるのです。

一方、東京を含めスピードが求められる場所では、じっくり考え話し合う時間は、無駄だとか非効率だとかいうプレッシャーがあります。会社という場所だと、なおさらそう感じる方も多いのではないでしょうか。すると、人は考えることや話すことをやめてしまい、相手のことを深く理解できないままです。

時間の流れ方一つとっても、「あいだすの常識は世間の非常識」なのかもしれません。

無目的ではじめることに価値がある

「あいだす」では、それぞれが自分のやりたいことに没頭できる環境を目指して、福崎さんと大橋さん同様、コミュニティマネージャーをもう一人探している最中なのだそう。移住までしなくても、広島の本島から週に何日か通ってくれる人や休暇中に来てくれる人など、多様な関わり方を模索中だと言います。

どんな人に「あいだす」が合いそうか、聞いてみました。

福崎さん 特に仕事においては、何をするにも目的が求められがちだと思います。でも、いまの社会にモヤモヤしてるとか、大橋さんのように直感的にやりたいと感じたとか、それくらいではじめるのもすごくいいと思うんです。きれいに言語化できなくても、感じている気持ちは本物ですから。

逆に目的があると、その目的を達成できるかどうかに縛られてしまって、それこそ自分の頭で考えたり何かをつくり出したりする「余白=間」がなくなっちゃいますよね。久比に対しても、自分の目標を叶えられる場所かどうかって視点で見てしまう。もったいない気もします。

これまでも無目的で「まめな」にやってきた人も、何かしらやりたいことを見つけたり、創作をしてくれた人が何人か現れたそう。目的や理想を掲げるよりも、偶発性を大切にする、いかにも「あいだす」らしい答えです。この記事を読み興味を持ってくださった方は、ぜひ「あいだす」のHPから問い合わせてみてください。

大橋さん 私たちも、こっちに来て初めて、「誰もが本当にやりたいことに夢中になれる場所」を求めていたんだってことが明確になっていきました。地域の人たちから愛されるようになると、生み出したことへの責任も感じる。いまは「あいだす」が無理なく、そこにあり続けられるように、どう育てていくか話し合いを進めています。

福崎さん 「あいだす」を僕たち2人の理想を叶える場所にしたいわけではなくて。地域の人や外部の人にとって訪れたい場所になることが大切なんですよね。だから、どんどんいろんな人のカラーに染まって、その時たまたま居合わせたメンバーによってオリジナルの色が生まれるような、そんな場所にしていきたいと思っています。

本来の学びとは、他者と過ごす中で相手の気持ちがわかるようになったり、上手に自分の気持ちを伝えられるようになったり、自分の言葉で人生を紡ぐ力を育むこと。

「あいだす」で起こる一つひとつの出来事に丁寧に向き合っていく姿は、大変でちょっぴりめんどくささもありながら、自分を理解し、他者とよりよく生きていく力を与えてくれるものなのかなと感じました。

久比に訪れる際は、ぜひ「あいだす」で没頭する時間や対話を楽しんでみてくださいね。

(撮影:福崎陸央)
(編集:古瀬絵里)