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手打ちそばで文化を救え。「蕎麦打ちStudio CHIHANA」が横浜にできた理由

「うわ、良い香り!」「めっちゃ癒される〜」と、明るい声が聞こえてくる横浜のとある”スタジオ”にお邪魔しました。と言っても、ヨガやアロマテラピーの類ではありません。ここは2020年の11月にオープンした蕎麦打ち教室で、その名も「蕎麦打ちStudio CHIHANA(そばうちスタジオ ちはな)」。楽しそうな声は、初めての蕎麦打ちに挑戦中の参加者でした。

この蕎麦打ち教室、「初めてでもおいしくできる」ために、生まれて初めて蕎麦を打つ初心者が大半を占めるそう。オーナーは、「千花庵(ちはなあん)」というお蕎麦屋さんを鎌倉と横浜で経営する蕎麦職人の鈴木智也さんです。

プロの蕎麦職人が、初心者でもおいしくつくれるように蕎麦打ちを教える意図は何なのか。構想10年、実は地域や未来のために始めたという蕎麦打ち教室についてうかがいました。

横浜に蕎麦打ち教室「蕎麦打ちStudio CHIHANA」をオープンした鈴木智也さん。

「このままでは蕎麦が消える」という危機感

ひとことで「蕎麦」といっても色々あります。慌ただしいときに「駅のお蕎麦屋さんで簡単に食事を済ませよう」という手軽さもある一方で、特別な機会に予約して行く蕎麦懐石など、蕎麦は実に幅広く、それだけ多くの人に親しみのある食とも言えそうです。

一般的には、西日本のうどん・東日本の蕎麦、といった地域性があることや、十割(とわり: 蕎麦粉100%)や二八(にはち: 小麦粉が2割、蕎麦粉が8割の混合)といった原材料の違い、さらに産地や季節や製造方法などなど、こだわりや好みも分かれるところ。

また、蕎麦には健康効果の高い栄養素や食物繊維が豊富であったり、十割ならグルテンフリーでもあるといった、人によって注目する特徴も様々です。蕎麦ファンの中にも、麺が好きか出汁が好きかといった趣向の違いもあるそうです。

鈴木さんは元々、イタリアンなどプロの料理人でした。食の世界に長く関わってはいたものの、鎌倉本店で手打ち蕎麦を出していたお父様が交通事故で腕を骨折したことで、最初は必要に迫られて「千花庵」を継ぎました。

父から鎌倉店を継いで10年になります。自分で研究を重ねて、わりと早い段階で常連のお客様からもご評価いただけるようになりました。でも、それだけではプロとして成長していけません。将来お店を大きくしたり、もっとたくさんの人に喜んでもらえるようになるためには、もっと蕎麦打ちの人材を増やさないと、このままでは日本から蕎麦の文化が消えてしまう、という危機感も感じていました。

当時から時間の許す限り、他のお蕎麦屋さんを食べ歩いて勉強していたのですが、多くの蕎麦屋が、手打ちであることにむしろ苦労されていたんです。ある人は体力的にしんどそうだし、あるお店は店主が高齢でも息子さんはすでに別の仕事をしていて継げないなど、これじゃあおいしい蕎麦にこだわる余裕もなくなるだろうし、結果として蕎麦屋が減ってるのも当たり前だな、と。何とかしなきゃ、と思いました。

事実この10数年で国内のお蕎麦屋さんは減少傾向にあります。ある調査(※)によれば、職業分類「うどん・そば店」の登録件数推移は10年間で3割近く減少していました。さらにコロナ禍による飲食店の営業難を思うと、2020年に閉店した各地のお蕎麦屋さんが思い当たる方も少なくないでしょう。
(※第56回NTTタウンページデータベース参照)

蕎麦の文化を「他に変わるものがないからこそ残ってほしい」と願う鈴木さんは、決して自分の店だけ生き残れば良いとは考えませんでした。では、蕎麦の業界全体を救う手段が「蕎麦打ち教室」だったのはなぜなのでしょうか?

あまり知られてないことですが、昭和初期に機械化が進む頃までは「流しの蕎麦打ち」がいたんです。旅暮らしをしながら、蕎麦打ちが必要な蕎麦屋で2〜3年働いて、また次の街に移る。蕎麦打ちの技術一本で生きる職人たちです。

そうした腕のいい職人に蕎麦打ちを任せることができた蕎麦屋の店主は、よりおいしい出汁の研究ができたり、料理の腕を磨いたり、蕎麦に合う酒を勉強したりできた。それによって、日本の蕎麦は文化へと醸成したんです。だったらまた蕎麦打ち職人を増やそう、と思いつきました。だって、僕ひとりでは何もできません、仲間が絶対的に必要ですから。

蕎麦を伸ばす「のし棒」の使い方は、手の添え方にコツがあるそう。

蕎麦打ち教室は仲間探しの「のろし」

失われそうな蕎麦文化を救うべく、蕎麦打ち仲間を増やす手段を考え始めた鈴木さんでしたが、当時は同時に、引き継いだ本店の営業を軌道に乗せることや、支店を出す準備、人材の確保、加えて、他の蕎麦屋の事情や業界における問題点の追求など、やるべきことが山積していました。もちろん自身の蕎麦への追求にも余念はありません。

蕎麦打ち仲間を増やすためには、まず僕自身が一通りの失敗を経験して、蕎麦打ちに関するどんな質問にも答えられるようになる必要があると思ってました。その上で、誰がつくってもおいしい蕎麦に仕上がるという規格を早く見つけたかったんです。

さすが職人。鈴木さんは求道者のごとく、時間をかけながらも確実に、蕎麦打ちにおけるある種のフォーミュラを研究。蕎麦粉の特徴、水分の浸透率、温度管理といったサイエンス寄りのデータも明確にして、素早くもおいしい蕎麦のつくり方をメソッド化していきました。

同時に、本店の営業や経営方針も踏まえて検討を続け、その結果、行き着いた形が「蕎麦打ちStudio CHIHANA」でした。

「蕎麦打ちStudio CHIHANA」では、誰でもおいしい蕎麦を打ってお持ち帰りいただけます。経験者はもちろんですが、生まれて初めて蕎麦打ちする人だっておいしい十割蕎麦が気軽につくれるように考えました。厳選した材料を最適な条件下で管理して、計量や道具はすべてこちらで用意しています。所用時間も、片付けまで含めて1時間半で終わるように設計しました。

ウェブサイトから日時を指定して予約できるようにしてあるので、スポーツジムのクラスや、サロンを予約する感覚で蕎麦を打ちに来ていただけます。

鈴木さんのお話を伺っているうちに、そういえば蕎麦といえば乾麺を茹でるか外食するものと捉えていた自分にハッとしました。場所も材料も教えてくれる人もいるならば、自分でつくるというチャレンジだってしやすくなります。新しい経験は楽しいし、プロから「手ぶらで来てもOK」と言ってもらえる気軽さが、さらにハードルを低く感じさせてくれました。

まずみんなに蕎麦の魅力を知ってもらうこと、純粋に楽しんでくれる人を増やしたいんです。ここにいらっしゃる多くの方が、蕎麦ってこんな色だったんだ、こんな香りがするんだ、こうやってつくられてたのか、と目を輝かせてくれます。ぼくらにとっても刺激になるし、質問をされることも嬉しいですね。

自らもDIYした「蕎麦打ちStudio CHIHANA」をオープンさせてみると、一人で打ちにくる方、家族や友人同士、また、鈴木さんが予想していたより女性の参加も多く、世代も10代からシニアまで幅広い方々が楽しまれているそう。横浜という土地柄もあって、観光やデートの中に蕎麦打ちを楽しむという新しい姿も増えていると言います。

蕎麦を打つ人だけじゃない。
真意は、地域と社会への貢献として。

初心者大歓迎であると同時に、Studio CHIHANAではプロを目指したい方向けの本格クラスや、さらに、プロの蕎麦打ちの学び直し受講も大歓迎、と話す鈴木さん。そこには鈴木さんの情熱が結集した願いが込められていました。

蕎麦文化とともに、今大変な思いをしているお蕎麦屋さんを救いたいんです。営業が伸びずにいるからって、利益率のいいお酒をメイン商品にしたり、閉店することを考えたりするんじゃなく、本当においしい蕎麦に意識を向けてお客さんを喜ばせることを考えてもらいたい。

うちの蕎麦打ちなら、時間的にもすごく早いし、力も掛けずにつくれるので、女性や年配の方にもおいしい蕎麦がつくりやすいんです。せっかくのお蕎麦屋さんなんだから、おいしい蕎麦を出すことで地域で愛され続けてほしいんですよね。

蕎麦打ちStudio CHIHANAを鈴木さんと一緒に運営するのは、若き蕎麦打ち職人・小宮山優麻南さん(左)

「自分もプロの蕎麦打ちだからこそ、他の蕎麦屋にもおいしい蕎麦をつくり続けてほしい」と願う鈴木さんは、自らの経験とスキルを蕎麦打ち教室で惜しみなく公開することにしたのでした。そこには初期に構想した「流しの蕎麦打ち」のことも忘れてはいません。

将来的には、うちの教室に通って腕を上げた人に蕎麦打ちを外注したいんです。職人を育成して困ってる蕎麦屋に派遣できたら、蕎麦打ちに時間を取られていた蕎麦屋の助けになると思うんですよ。他のことに時間を使えるし、後継者で悩んでる蕎麦屋だって、蕎麦打ちさえ誰かに任せられたら救えるかもしれない。

それに、働ける時間が限られてる人や、定年後の方にも仕事が生み出せるはずです。うちのメソッドが完璧にできるようになると、1度に1500gの蕎麦を30分で打てるようになるので、1時間で2回打てる。それで時給5000〜6000円前後の歩合で委託できるようになれば、良い雇用がつくれるじゃないですか。

かつて「流し」だった蕎麦打ち職人を、現代らしく蕎麦打ち「派遣」に形を変えて、必要なニーズ同士をつなごうとしているのでした。
年齢も性別も問わず、1日の数時間で収入を得られるスキルが身につけられたら救われる人もいるはずです。鈴木さんの思いは、自らの経験を通して社会貢献にまで広がっていました。さらに蕎麦打ち教室の狙いは、地域への恩返しと貢献でもあるそうです。

オンリーワンの街・野毛で
誰もしたことのない貢献の形

蕎麦打ちStudio CHIHANAがあるのは、野毛(のげ)という横浜の歓楽街。横浜と聞くと、みなとみらいや中華街、元町の風景を思い描く人も多いかもしれませんが、野毛は桜木町の駅を挟んでみなとみらいの反対側にあるエリアです。昭和の風情を残した一画に700近い飲食店が並び、おいしい時間を楽しむ地域。鈴木さんの千花庵も、鎌倉市の本店と、支店はこの野毛にあります。

野毛には「飲み歩き」の文化が確立されてるんです。お客さんが共通しているお店が多く、お店側も他のお店を紹介し合うのが当たり前で、うちの支店も小さく限られた席数ですが、席が空くのを待つ間に近くのお店で飲んでくる方も多いんです。飲食店同士がお客さんを取り合うんじゃなくて、紹介しあったり助け合ったり、とても優しくてあったかい街です。だから自分たちも、もっとこの街に貢献したいとずっと考えていました。

従来の考え方であれば新しい蕎麦屋をつくりそうですが、鈴木さんはここでも、蕎麦打ち教室を通した新しい貢献の形を始める準備をしていました。

Studio CHIHANAで蕎麦打ちをした後、うちの野毛店にお越しいただけたら、打った蕎麦を茹でてお出しすることが可能です。でも、うちだけじゃなく、ぜひ野毛の街も楽しんでもらいたいんです。今後早い段階で、Studio CHIHANAで打った蕎麦を持ち込める協力店を野毛に増やして、蕎麦打ちしたお客さんが野毛の色んなお店を楽しめるようになったらいいな、と考えています。

あたたかい人情が大事にされている街だからこそ、初めてでも蕎麦打ちをきっかけに野毛を楽しんでもらいたい。鈴木さんの構想は、社会や未来を見据えながらも、足元である地域にしっかりと根づくものに支えられていました。

「でもまだまだチャレンジ中、これからです」と手ぬぐいを結び直しながら語る鈴木さん。北欧のカフェを彷彿させるStudio CHIHANAの雰囲気と溶け込み、古さと新しさの融合を感じさせます。新しい蕎麦の楽しみ方に興味をもたれた方はぜひ「蕎麦打ちStudio CHIHANA」をチェックしてみてください。

(撮影: 羽柴和也)