\新着求人/人事や組織づくりの経験を、地域でいかす@福岡県赤村

greenz people ロゴ

堅苦しいイメージだった禅には、”今”を生きるためのヒントが詰まっている?『禅とジブリ』から、”今”を生きるおもしろさが見えてきた。

私は、自分でもときどきびっくりしてしまうくらい楽観的なところがある。

悩むことや考え込む時間は長いくせに、先が見えないうちに“なんとかなるだろう”と、一歩を踏み出してしまうことがあるのだ。去年の12月に、仕事を辞めると決めたときもそうだった。

具体的になにかしようと思っていたわけではないし、収入のあてももちろんない(保育士の経験も資格もあるから、いざとなれば働く先はあると思っていたけど)。でも、いろいろ考えた末、今の職場に居続けられないと思い、踏み切った。

とはいえ、思えばあのころの私は、自分の選択が正しかったのかやっぱりどこか不安だったのだと思う。だからこそ、ある知り合いの投稿にあった”お守り”ということばに惹かれ、出会ったのが”禅”だった。

ざっくり言えば、“クレド”という企業が掲げる行動指針や信条を自分のために書いてお守りにしてみた、という投稿。そのなかで使われていたのが、”禅語”という禅のことばだった。

「いつもお茶を差し出すくらいの余裕をもとう」という意味の「喫茶去(きっさこ)」や、「のんびりじっくりいこう」という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。どこか不安定な自分に、そのとき目にした禅語の響きや意味がゆるゆるとはまった。

なんとなく”禅”にこころ惹かれるー。

そんなとき目にした、その人の『禅とジブリ』を紹介する投稿。幼稚園にあがる前から『となりのトトロ』を観て育ったジブリっ子でもあった私は、思わずその一冊を手にとっていた。

淡い水色の表紙に墨文字のタイトルが印象的な『禅とジブリ』。ジブリのプロデューサー鈴木敏夫細川晋輔和尚横田南嶺老師玄侑宗久和尚ら3人の禅僧の対談がまとめられている。禅や仏教、ジブリの裏話、哲学など、禅に興味があり、ジブリとともに育った私にとっては、盛りだくさんな内容だった。

示唆に富む話のなかでも印象的だったのは、禅が”今”と”自己”を大事にしていること。”坐禅”は、自己をみつめるための手段であり、ちょっと立ち止まって自分にベクトルを向ける時間だということだった。

それが私にとって発見だったのは、”坐禅=仏教の修行”という堅苦しいイメージがあったからでもあるし、ここ数年の自分の課題が、無意識のうちに”いい子”であろうとする自分と向き合い、ほかならぬ自分の考えや気持ちをないがしろにしないこと、だったからでもある。

先の絡まった糸を当てずっぽうにたぐりよせていたら、思いもよらないかたちで手の中にするりと先が滑り込んできた。そんな気分になったのを覚えている。

「放下著(ほうげじゃく)」「即今目前(そっこんもくぜん)」
「放り出せ」「今を生きよ」

本の中でジブリの作品は、なにが起こるかわからないのにそれでもすすんで行くさまが「人生そのもの」と表現されている。たとえば、人間と自然がテーマの映画『もののけ姫』には、森を守護する犬神の問いかけに、主人公がこんなふうに答える場面がある。

モロ(犬神) お前にサン(※)を救えるか。

アシタカ わからぬ。だが、共に生きることはできる。

(※)サン=犬神に育てられた人間の娘

主人公であれば、”救える”と断定することを求めたくなりそうだが、ここでの答えは”わからない”である。

仏教にも似たような考え方として、「不識」つまりわからないことこそが人生であり、むしろ”わかってしまったらおもしろくない”という前提があるらしい。そこには、”わからない”からこそ信じる先の”おもしろさ”も垣間見える。

そんな正解のないなかで、未来を憂うこころも、過去を悔いるこころも”放り出し”、「”今”をどう生きていくのか?」と自己に問いかけることを求める坐禅。ただ、”放り出す”とはいっても、全てを無視して忘れろという意味ではない。自分がどのような状態にあるかを把握し、必要な量を見極めて取り込み、不要な部分を手放す調整をすること。それが大切なのだという。

「坐禅は心の調合」。毒物として知られるトリカブトが、少量であれば漢方としても使われるように、不安や嫉妬、怒りなど一見毒にしか見えないような感情も、分量が適切であれば、ときに人にとって必要な起爆剤やエネルギーとなりうるのだ。

“トリカブト” by CookieM is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

宗教は人々に答えを与え、導くものという印象とは対象的に、禅は常に”今ここにある”自己と向き合い、考えることを突きつけているかのようにも感じられる。

いつまでも続くかのように思えていた”当たり前”が崩れゆくなか、自分はどう生きていくのか。変わっていくことが”当たり前”のなか、なにを答えとするのか。それは、私が自分自身と向き合い、探していくしかないのではないか。そんな思いが頭をめぐった。

去年の12月、私が仕事を辞めると決めたときは、不安も少しありながら、次はなにをしようかとワクワクもしていた。

海外に住む友人や家族に会いに行こうかな。
タオ島の海へ潜りに行こうかな。
リゾートバイトをしながら今まで行ったことのない土地にしばらく住もうかな…

新型コロナウイルスの感染拡大によって、すぐには叶わなくなってしまったそんなささやかな希望や夢は、少なからず閉塞感や期待はずれのがっかり感を私に抱かせている。

でも、禅のこころを見習い、そうした感情を否定もせず、振り回されもせず。ちょうどいい塩梅をたもちつつ、今できること・やることに集中する。そうして見えてくる次の手は、初めに予想していたものとは違っても、きっと同じくらいおもしろいものになる予感がしている(もしかしたら、それ以上!)。

さて、では、目の前のできることに集中。まずは、仕事の引き継ぎとgreenz challengers communityでの挑戦に力を注いで!

[via Unsplash,flickr]

– NEXT ACTION –

不安や心配ごと、悩みで頭がいっぱいなときこそ、”今”に集中してみよう。あなたの目の前のできること・やることはなんですか?