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みんなの顔の写真に元気をもらう。87歳の映画監督と33歳の写真家が旅に出た『顔たち、ところどころ』

新型コロナウイルスの影響で、文化・芸術分野に大きな影響が出ています。映画業界もそのひとつ。先日、東京都が週末の外出自粛を要請し、シネコンが休館したことも記憶に新しいですが、新作映画の多くが公開延期になるなどもしています。

実は映画館は法律で換気設備を整えることが義務化されているし、見ている人同士で会話することもあまりないのでいわゆる「三密空間」には当たらないのですが、不要不急の外出と考えると足が向きにくいことも確かです。

そんな事情から、映画館と配給を手掛ける「UPLINK」が自社で配給してきた作品の中から60本を見放題で配信するという動画配信プランの提供をはじめました。価格も3ヵ月間で2980円と破格です。

自宅待機を余儀なくされている私たちにとっては安く映画が見れる機会ですし、観客減に頭を悩ませるUPLINKにとってはわずかでも売上増につながる施策ということで、勝手に応援させてもらうことにしました。

この施策が映画業界のみならずエンタテインメント業界全体へのダメージを少しでも減らすモデルケースになったらいいなと思っています。

前置きが長くなってしまいましたが、そんな事情もあって、この60本の見放題作品の中から、いまgreenz.jp読者に見てほしい作品を何本か紹介していきたいと思っています。今回はその第1回目にして、私のイチオシの作品である『顔たち、ところどころ』を紹介します。

87歳の映画監督と33歳のフォトグラファーの化学反応

87歳の映画監督アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda)と33歳の写真家JR(ジェイアール)が出会い、意気投合。二人は映画を共作するために、撮った写真をすぐに引き伸ばして出力できるJRのトラックに乗って、フランスの田舎町を訪ねる旅に出ます。

© Agnès Varda – JR – Ciné-Tamaris – Social Animals 2016.

二人は旅の先々で、地元の人たちの写真を撮り、それを大きく引き伸ばして壁に貼るという、JRがこれまでやってきた活動を二人ですることにします。

彼らが撮影するのはごく普通の人たち、元炭鉱夫、カフェの店員、港湾労働者の妻たち、農家など。たくさんの田舎町を巡ったあと、二人はともに思い出の地である海岸へ行き、最後にはアニエスの友人で映画監督ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)のもとを訪ねます。

これがどんな映画かと言うと、JRのストリートアートの記録で、アニエス・ヴァルダの過去をめぐる旅。JRの作品が素晴らしいのと、出てくる人たちが素敵で見ているとなんだか楽しくなってくるのです。

アートが自己肯定感を生む

作品中に登場するJRの作品はなぜ素晴らしいのか。映画を見ながら思ったのは、その作品が現実を切り取り、それを返すという形で行われているのが理由のひとつではないかということです。

JRは普通の人たちの写真を撮り、それを大きく引き伸ばしてその人が暮らす村の建物の壁に貼ります。引き伸ばされた自分の姿を目にした人たちを見ると、一様に少し恥ずかしいけど嬉しい、誇らしいという反応を見せるのです。

一番象徴的なのは、あるリゾート地のカフェの女性店員、恥ずかしがり屋だという彼女の写真は働くカフェの目の前の壁に大きくはられ、カフェのオーナーは彼女が「村一番の有名人になった」といいます。そして彼女の子どもたちも母親の写真を見て「美人だ」と褒めるのです。

© Agnès Varda – JR – Ciné-Tamaris – Social Animals 2016.

被写体となった彼女が得たものは何かと考えると、自己肯定感ではないかと思うのです。自分をモデルにした作品が褒められることで自信を得られる。大事なのは、JRはそうなるように作品をつくっているということです。彼の写真は被写体の魅力を引き出す力がある。だから見ても素晴らしいと感じるし、モデルにもその評価が返されるのです。

なぜそんなことができるのかというと、JRの表現者としての能力の高さとしか言うことができないのですが、このようなアーティストとしてのスタンスが作品に表れていることは間違いないでしょう。

そしてそのスタンスは、実はアニエス・ヴァルダにも共通しています。

アニエス・ヴァルダはフランスのヌーヴェル・ヴァーグ(※)の映画監督のひとりとして様々な作品を撮ってきましたが、フィクションであっても現実からエピソードや映像を拾い、それを物語として構成してきました。それによって見る人に現実について考えさせるとともに、拾われた現実を生きる人たちを肯定しようとしていたのではないか、この映画を見て過去の作品についてそんなことを思いました。

(※)「新しい波」を意味する。フランスで、1950年代〜1960年代にかけて起こった映画の革新運動のこと。

自分ではつまらないと思っていた自分自身の姿や人生が、写真や映画というフレームで切り取られ、人の目を通して観られることで魅力的なものに見えてくる。それがJRやヴァルダのアートが対象に対してやっていることなのではないでしょうか。

それは、言い換えるとつまらないと思っていた現実もフレーム(視点)を変えてみると輝いて見えることがあるということ。映画の中でも、古い曾祖父母の写真にフレームを付けて引き伸ばして壁に貼るというシーンがでてきて、それを見ると、視点を変えることでものに価値を与えることこそアーティストの能力なのだと思わされるのです。

© Agnès Varda – JR – Ciné-Tamaris – Social Animals 2016.

アートとは想像することである

映画の後半になるとJRの作品のモチーフは出会った人たちではなく、ヤギやヴァルダが昔撮った写真、ヴァルダの体のパーツなどになっていきます。

この後半部分を見ていると、作品に乗せられているのは想いだという気がしてきます。写っているものそのものではなく、それに対する誰かの想いを表出させるものとして作品があるように見えるのです。

それはつまり物語があるということ。映画では作品の背景が映像で語られるので、その物語がわかりますが、ただ作品を見ただけでは理解できません。角の生えたヤギの写真にどんな物語があるのか。でも実はそれでいいのです。その作品が持つ物語はひとつではありません。映画が示すのは一つの解釈に過ぎないのです。

終盤にヴァルダは「私とJRは“想像力を働かせてる?”と問いかける」と話します。つまり、作品を見て想像力を働かせることこそが重要なのです。この作品には一体どんな物語が潜んでいるのか、誰のどんな思いが込められているのか、それを問い、想像することこそがアートの鑑賞そのものなのです。

そしてその鑑賞の仕方は完全に自由です。見る人はどんな想像をしてもいい。そのことはこの映画を見てもわかります。ヴァルダもJRもとにかく自由で、ふざけ合い、偶然を楽しみ、それが表現へと還っていっています。その姿を見るのものこの映画の楽しみのひとつですが、この映画もまた作品なので、自分たちのそのような姿を見せることで「自由に解釈していいんだよ」と説明しようとしているのかもしれません。

とにかくこの映画は見ていて楽しくなる作品です。そしてその楽しさの背後には二人のアーティストの自由な発想と抜群の表現能力があり、彼らの作品の意図を考えると、見ているものにもメッセージが伝わってくる、アニエス・ヴァルダは87歳になっても本当に素晴らしい。亡くなってしまったのは残念ですが、彼女の作品は今後も私たちを楽しませてくれるし、考えさせてくれるのです。

© Agnès Varda – JR – Ciné-Tamaris – Social Animals 2016.

– INFORMATION –

『顔たち、ところどころ』Visages villages

2017年/フランス/89分
監督・脚本・出演:アニエス・ヴァルダ、JR
音楽:マチュー・セディッド
https://www.uplink.co.jp/kaotachi/

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