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犠牲にしていた自分を取り戻し、自然や地域とつながる。それがこれからの気持ちいい働き方かもしれない。奄美大島の「フリーランスが最も働きやすい島化計画」を取材してきました!

最近メディアで見聞きすることが増えた「働き方改革」。みなさんはどのような取り組みかご存知ですか?

それは、長時間労働の常態化やそれに起因する健康被害、過労死などの問題解決と改善を目指し、企業の労働環境を大幅に見直そうというもの。背景には、労働者にとって働きやすい環境を整えることで、ライフステージにあった働き方を選択できるようにし、少子高齢化に備え労働力を維持しようとする国のねらいがあるようです。

労働を提供し納税するのは国民の務め。けれどその働き方が、私たちひとりひとりの望む生き方や価値観、幸福のあり方、大切な人たちや家族とのつながりを犠牲にしているとしたら・・・。こうした観点から、自身の「働き方」を見つめ直し、自然豊かな土地へ移り住むことで「働き方改革」を実現した人たちがいます。

彼らが今暮らすのは、海に囲まれた美しい楽園、奄美大島。鹿児島県南東に位置する日本で二番目に大きな島です。この島で展開されているのが「フリーランスが最も働きやすい島化計画」というちょっとユニークな取り組み。それはどのような取り組みなのでしょうか。

IT技術を土台とする「フリーランスが最も働きやすい島化計画」

どこにいてもできる仕事、ここでしかできない暮らし

「フリーランスが最も働きやすい島化計画」が掲げる、この心をとらえるフレーズ。自身も奄美大島の出身であり、この取り組みを市と共にプロデュースしている、勝眞一郎(かつ・しんいちろう)さんにお話を聞くことができました。

遡ること15年前。奄美大島も多くの地方都市がそうであったように、地域活性化のための企業誘致を試みていました。ところが交通の便も悪く人口もまばらなこの土地に、企業にとってのメリットはほとんどなく、どこからも断られる始末。ところが、あることをきっかけにこの計画は急成長を遂げることになります。

勝さん 奄美市には他の離島と比べると規模の大きな情報処理専門学校があります。校長のポリシーは、卒業生を東京・大阪などの大都市へ就職させること。それは、島で就職したのでは大きな仕事への取り組み方を身につけることができないからです。

都会で経験を積んだ卒業生のなかには、腕もあり仕事もできる、けれど生活になじめず故郷に帰ってくる子たちが少なからずいました。加えて震災以降は、原発からできるだけ遠くで暮らしたい、そんなIターン希望組も増えてきました。

このような背景を受け、奄美市は2020年までに200人のフリーランスを育成することを目標に掲げました。そして立ち上げたのが、「フリーランスがもっとも働きやすい島化計画」です。

ただのIターン、Uターン誘致ではありません。市には前述の学校から輩出された「IT技術者」という力強いバックボーンがありました。彼らを軸にIT
企業の誘致と育成を、そしてITに不慣れな人たちには「フリーランス寺子屋」と題し、インターネットを使ったライティング、商用写真の撮り方、ハンドメイド作品の販売ウェブについて、懇切丁寧な育成支援を目玉としたのです。

こうした技術を解放することで、今ではのべ200人を超えるフリーランスが島で活躍しています。

島での成功に必要なのは「つながり」を意識すること

離島で「働き方改革」を成功させるコツはなんでしょうか。それはまず「個」を持ち、自然や地域とのつながりを持つことであると、勝さんは話します。

勝さん 島で暮らすには「地域や自然とのつながり」がとても大切。個があって、人がいて、その間には必ず境界がある。だから「つながり」が必要になるんです。

それを求めるには、まずはお互い何が違うのかを確認すること。仕事をしていくのも、暮らしていくのも同じで、まずその人が何者なのかを知ることから。そうでないとつながらないし、つながれない。

「個」があってこそのつながり。違いや境界があることを認めて、それから地域の人と自分、自分と自然、というつながりを意識することが必要になってきますね。

そう話す勝さんに、島に暮らす二組のフリーランスの方々をご紹介いただき、お話をお聞きすることができました。

晴れるベーカリー「丸田ファミリー」の場合

島人や外国人旅行客に大人気のパン屋さん「晴れるベーカリー」を経営するのは丸田恵(まるた・めぐみ)さん。自身も奄美出身のUターン組です。

都会で飲食店の責任者を12年間勤めるも、結婚し子どもを持つようになると、子育てをするなら自然豊かな土地でと思うように。それなら自分が生まれ育った島があるじゃないか、海も山もじいちゃんもばあちゃんも、奄美にはすべてがある、と5年前に家族で島に移り住むことを決めました。

「晴れるベーカリー」丸田夫妻。恵さんは、パンの基礎知識を1年で身につけた後、独学でパンづくりに取り組む。

ストレスも多く、終電で帰宅することも多かった飲食店勤務時代。奄美で暮らすようになりそんな生活からは解放され、気づけば花粉症の症状もまったくなくなっていたそう。そして移住後は、家族のあり方も大きく変化したようです。

丸田さん 都会で暮らしていた時は、「あれはダメ、これはダメ、あそこに行ってはだめ」と子どもたちにしきりに言ってましたけど、島にきてからはいっさい言わなくなりましたね。のびのびしすぎて困るくらいに子どもたちはまっすぐに育っています。嬉しいですね。

そして二つ返事で移住に賛成してくれた家内の存在も大きいです。彼女なくしてはやってこられなかったですね。島での暮らしには、家族の理解と協力は絶対的に必要です。

そして丸田さんも、地域との「つながり」が成功の秘訣だといいます。

丸田さん 歩いている人がいたら、「こんちはー」と気さくに挨拶する。あの人誰? と思われていたのでは、いつまでたっても助けてもらえませんから。

ご自身の健康やお子さんとの接し方が変化したのは、自然界とのつながりが強まったためかもしれないという丸田さん。どんな時に奄美の大自然のパワーを感じますか、とたずねると、

丸田さん 自然との一体感で五感が研ぎ澄まされ、それがパンづくりにも生かされてますね。湿度や温度はパンづくりの生命線。風のにおいで雨がくるな、シロアリを見かければそろそろ梅雨明けだな、あの空の色はそろそろ夏も終わりかな、と。自分のなかで湧き上がるこういう感覚がパンづくりにも影響しています。

「晴れるベーカリー」のパンには、国産小麦、奄美諸島のサトウキビ、用安の塩、白神山地の酵母など、これまで島にはなかったこだわりの素材が生かされています。

奄美にないような、ちょっとこだわりのパン屋さんを。

そんな丸田さんの温かさが店中に漂い、取材でうかがった日もお客さんは絶え間なくやってきました。

奄美で感じる「五感」が注入されたパンは、都会にはないのでは? そう自慢げにそう話す丸田さんの笑顔とたたずまいは自然体そのものです。

TL Works 「富永寛之さん/間瀬るみえさん」の場合

パートナーでウェブサイト制作やデザインクリエイティブワークを請け負う「TL Works」さんは、大阪からIターンで島へやってきた「働き方改革者」。彼らも丸田さん同様、変化があったのは「働き方」だけではないようです。

大阪ではIT関連企業に勤め、毎日朝から晩まで働いていたというかつての富永寛之(とみなが・ひろゆき)さん。その生活は、ストレスも多く、給料の大半が飲み代に消える月もあったそう。

8年間勤めた会社も、自分の希望はのんでくれず常に不満が。「これ以上成長できないのではないか」というあきらめにも近い気持ちに、「どこか別の場所に移り、自分の力でやっていきたい」「独立したい」という思いが交差するようになりました。そしてパートナーである、るみえさんの親族がいる奄美大島が候補にあがります。

デスクが並ぶ仕事部屋でのお二人。富永さんは、「フリーランス寺子屋」に通いつめ技術を身につけると同時に島でのつながりを広げていったそう。

“奄美で仕事をする”という富永さんの決断に、最初は半信半疑だったというるみえさん。当時の富永さんは、仕事をしている時とそうでない時とで精神バランスも悪く、この人大丈夫かな? と内心思っていたそう。だから「一緒に来て」という誘いに、自分は2ヶ月遅れで行くね、と。2ヶ月間で彼がどれだけできるか、どれだけ本気かを見てみよう、そう思っていたからです。

るみえさんは、親も友だちもいる大好きな大阪から離れたくなかったし、富永さんが変わっていなかったら、一緒に奄美で暮らすことはないと決めていました。そんなるみえさんの気持ちを大きく動かしたのは、約束の2ヶ月後に一変していた富永さんの姿。

るみえさん 電話越しでもわかるくらい浄化され、いらないものがすっかりなくなっているのがわかりました。彼はほんまに変わったんや。

疑心暗鬼の心はゆるぎない確信に変わり、大好きな大阪を後にすることを決めたのです。

るみえさん 何が彼を変えたのだろう。きっとそれは奄美の土地と人。一歩家の外にでるだけで、「はーっ! 空気がいい、癒される」と毎日感じるんです。排気ガスにまみれた大阪とは何もかもがちがう、心にも体にも空気が大事なんだと、島に息づくパワーを心底感じるんです。

仕事がひと段落するとよく二人で散歩にでかける。毎日家を出るたびに自然を感じ、生きていることを実感すると語るるみえさん。

富永さんの表情や顔色は別人のようによくなり、るみえさん自身も幼稚園から苦しんでいた花粉症がいつしかなくなっていました。

島での働き方改革に必要なことは? と富永さんにたずねると、

富永さん 仕事の能力よりかは、コミュニケーション能力が高いほうがいいですね。地域や島の人とのつながりがなくてはやっていけませんから。人間力というか、人として買ってもらう。そして向こうのことも知ることです。

先の丸田さんと異口同音に富永さんもそういいます。もしgreenz.jp読者のなかに移住を考えている人がいたらどんな言葉をかけますか、の問いには、

富永さん 都会でも楽しくやれるからこそ、島でも、です。都会でコミュニケーションがむずかしければ、島にきても同じかも。迷っているならとにかくすぐに行動したほうがいい。無茶でもいいから。環境を変えるということが何より大事。

せっぱつまった状況に自分をもっていく、生きるために行動しなければならないのであれば必死になる。だから自分もあえてスーツケースひとつでした。ここからどうしたらいいか必死に考えました。すると何が必要か見えてくる。居心地がいい場所から自分をさらに成長させたいのであれば、つきあう人や環境を変える。そのくらいのほうが人生おもしろいです。

島で仕事をしていくということは、便利な都会と同じようにとはいかないでしょう。だけどそこに挑んでいく、生きることに真剣に向き合う、それは都会でも島でも同じこと。そうした本質が、富永さんの中に変わらず息づいているのだと。

もしかしたらみなさんも私がそうであったように、働き方改革は、ブラック企業での仕事や子育て・介護と仕事の両立に悩む人たちの問題、と人ごとに感じているかもしれません。

ですが今の働き方が、健康や大切なものを犠牲にする日々をつくっているとしたら、理想の未来を望む本当の自分と向き合うことを避けていたり、環境や誰かのせいして時間を無駄にしてしまっているとしたら。それは誰にでも関係している事といえるのではないでしょうか。

どう生きたいか。
何を手に入れたいか。
何を最も大切にするのか。
そのためにもっとも望ましい「働き方」があるとすればそれはどんな形なのか。

常識、自分自身でつくっている壁、決めつけ、そうしたものをとっぱらい、本当に望む「生き方=働き方」について、大切な人に打ち明けてみるのはどうでしょうか。

あるいは、「フリーランスが最も働きやすい島化計画」のホームページを訪ねてみてください。未来へ「つながる」光が、ほんの少し見えてくるかもしれません。