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彼は、旅人と地域の人々を元気にする町医者!? 診療所をリノベーションした「神戸ゲストハウス萬家」朴徹雄さんに学ぶ “地元の人” になる方法

あなたには笑顔で挨拶を交せる人が、地元にどれくらいいますか?
都会であればあるほど、近所付き合いが希薄になりがち。そんな世間の固定概念を覆すかのように、人口の多いまちで、開業して半年にも関わらず、地域と強い絆でつながる宿があります。

それが今回ご紹介する、人口約150万人の兵庫県神戸市にある「神戸ゲストハウス萬家(以下、MAYA)」です。

高架下そばの角地に佇むゲストハウスです(写真提供: MAYA)

かつて医師が家族で住みながら診療所を営んでいたという、地域の人々にも思い出深い物件。使われなくなったその場所を、神戸に縁がなかったはずの韓国・ソウル出身のオーナーが、周辺住民や友人など約300名を巻き込みDIYでリノベーションし、ゲストハウスとして営んでいます。

さらに市内屈指の規模を誇る水道筋商店街をめぐる「つまみ食いツアー」を宿泊者向けに実施するなど、地域の人々と驚くほど良好な関係を築いている経緯と秘訣を、MAYAのオーナー・朴徹雄(パク・チョルン)さんに伺いました。

オーナーの朴さん。1階には、許可を得て譲り受けた摩耶山の間伐材があしらわれています

目の前には、クリエイターたちが続々と集まる「灘高架下エリア」

六甲山地の中央に広がる摩耶山(まやさん)の麓に位置するMAYA。賑わうJR三ノ宮駅からひとつ隣の灘駅が最寄り駅で、パンダやコアラを始めとする約200種・1000点の動物がいる王子動物園や、450軒以上の店々が軒を連ねる水道筋商店街も徒歩圏内という、とても便利な立地です。

観光スポットへのアクセスにも優れていますが、近年注目を集める通称「灘高架下エリア」のそばにあることも、ぜひご存知いただきたいところ。「灘高架下エリア」は、阪急電車の阪急王子公園駅から春日野道駅までの高架下の空きスペースを活用して、続々と個性的なクリエイターたちが店舗や工房を構え始めている場所なのです。

MAYAの屋上から見た景色。摩耶山、王子動物園の観覧車、高架橋を走る阪急電車というこの位置関係が、ロゴのデザインにもなっているそう(写真提供: MAYA)

高架下には、オーダーメイド家具の工房、額縁屋、デザイン玩具店など、個性豊かな顔ぶれが入っています

greenz.jpにも度々登場する「TEAMクラプトン」。“みんなでつくろう”をコンセプトに建築内装のリノベーションやイベント会場のデザイン・施工・設営などを行っている、関西で有名なDIY集団です。彼らの拠点も「灘高架下エリア」にあるとお伝えすると、イメージが湧きやすいかもしれませんね。(*)関連記事はこちら

「TEAMクラプトン」があるのは、MAYAの目の前。どれくらいの距離感かというと、共有スペースの中からガラス窓越しに作業風景が見えるほどの近さです。彼らは朴さんの思いに寄り添い、MAYAのリノベーションも一緒に手掛けています。

TEAMクラプトン。誰でも参加可能なワークショップを時々実施しているので、興味がある方はぜひご参加を

MAYA1階の共有スペース。建物本来の素材を生かしつつ、木や土を用いた温かみのあるデザインです(画像提供: MAYA)

寝室は、二段ベッド式になった女性専用や男女混合の相部屋、そして個室があります(写真提供: MAYA)

ゲストハウス開業の理由
国籍を超えて、個人と個人がつながる拠点をつくりたい

それにしても、どうして生まれも育ちも韓国・ソウルの朴さんが、このまちでゲストハウスを開業しようと思ったのでしょうか。その原体験は約20年前、朴さんの高校時代に遡ります。

僕は日本が大好きです。でも高校生の頃、ちょうどワールドカップが始まる前の時期、日本と韓国は今ほど交流がありませんでした。当時は、日本の文化に触れちゃいけないという雰囲気さえあったし、日本に対して少なからず偏見を持っていた自分もいました。

文化祭で、友人が日本の漫画のキャラクターに扮した服装をしたところ、先生が激怒。その様子を見て「どうしてそこまで怒るんだろう?」と葛藤したこともあったといいます。そんな折、第二外国語の日本語教師が、日韓学生交流会を実施。初めて日本人と交流することになったのです。

言葉はうまく通じないけど、みんな良い人で、打ち解け合って。3日間くらい一緒に過ごして、お別れの時には、空港で抱きしめ合いました。そのシーンが忘れられなくて。

これこそ日韓関係のあるべき姿じゃないかなって。日本と韓国の関係だけじゃなく、国籍や文化や宗教が違っても、お互い尊重し合える社会をつくるには、個人と個人が交流して、友だちとなってつながることが大事だと思ったんです。そうやって世界中がつながれば、きっと世界は幸せになる。だから、いつかそんな場所を自分でつくりたい。そう思うようになりました。

「ローカルクリエイター交流会 -Guesthouse Caravan-」のなかで、原体験について話してくれました

日韓学生交流会後も文通を通じて日本の学生と友人関係は続き、日本への興味は増すばかり。大学では日本語教育を専攻。思い描いた夢はいつしか、“泊まれる交流拠点”となるゲストハウスをつくるという具体的な目標に。そして、ワーキングホリデイで東京へ。ゲストハウスを開業する前に一般企業で社会人経験を積んでおきたいと、東京の企業に就職をします。

その後、思い描いていた“多文化共生”を掲げてゲストハウスの開業を支援する株式会社 宿場JAPANの存在を知り、開業希望者向けの約半年間の研修「Dettiプログラム」への申し込みを決意。品川にある「ゲストハウス品川宿」と、研修卒業生が運営する長野の「ゲストハウス蔵(KURA)」で事業ノウハウを学び、妻の地元である兵庫県で開業をしようと物件探しをスタートします。

一番左が、朴さんが師匠と慕うゲストハウス品川宿の代表・渡邊崇志さん(画像提供: ゲストハウス品川宿)

2年越しの物件探し
水道筋商店街に惹かれ、“地元の人”になる決意

「ゲストハウス品川宿」と「ゲストハウス蔵」での研修を通じて、ゲスト同士だけでなく地元の人々ともつなぐ活動を目の当たりにして感銘を受けた朴さん。“泊まれる交流拠点”のイメージのなかに、地域の人々の存在も強く思い描くようになっていきます。

宿場JAPANのサポートのもと、感性の近いプレーヤーのいる地域を求めて歩き回り、神戸市内の商店街をほぼ網羅。最終的にたどり着いた水道筋商店街で、地域の人々の底力に惹かれたといいます。

水道筋商店街を訪れた時、ピンと来て。地元の人たちの力によって、まちが活気で溢れている。こんな素敵な商店街の近くで宿をやりたいと、最後は灘区周辺で物件探しをしました。

だけど当時の僕は、このまちに知り合いが一人もいなかった。あてもなく勢い余って「まちづくりをしている人を紹介してもらえませんか?」とガラス屋さんに飛び込み営業したことも(笑)

じゃあ、まずは自分が、“地元の人”になろう。そう思って商店街の喫茶店で働くことにしたんです。他のお店の人に積極的に話しかけて、地域の行事があればボランティアとして参加して。そうやって少しずつつながりができ、気づいたら、地元の会議にも呼ばれるようになりました。

水道筋商店街。老舗の和菓子屋や、美容院、豆腐屋など、昔から代々続くお店も多く残っています

喫茶店に勤めて2年が過ぎようとしていた頃、商店街の人々と築いた信頼関係が基盤となり、地元の人の勧めで今の物件に出会います。医師の息子である現在の大家さんへ、手紙や電話でアプローチ。最初は断られ、マンションに建て替える計画も浮上していました。

しかし、たゆまぬ努力が運を味方につけ、奇跡的に直接会う機会をもらうことができ「お父さんが家族のために守ってきた家を、僕がまちのために素敵な場所に蘇らせます」と心を込めてプレゼン。大家さんへのファーストアプローチから半年後、ついに賃貸の承諾を得ることができました。

地域の人々と関係性を築くには、オープンするまでの行動が鍵!

そこからオープンに向け、楽しいながらも怒涛の準備期間が始まりました。地域の人々との関係性を大切にする朴さんの取り組みは、商店街での2年間だけにとどまりません。MAYAから学ぶべき手法のいくつかをご紹介しましょう。

最初に、商店街の人につないでもらえるようお願いをして、まちづくり協議会の会長ご夫婦、老人会の会長、資料館の館長、自治会の役員など、物件周辺の重鎮ひとりひとりに会いに行きました。オープン後ではなく、改装工事前に会う理由を「いきなりゲストハウスができても、きっと誰も共感してくれないだろうから」と朴さんは語ります。

次に、TEAMクラプトンの発案で、DIY作業をする時には必ず、玄関前に大きな看板を出していたのだとか。そこにオープン予定日とリノベーションのワークショップ日時を書くことで、近隣の住民が、その場所で何が行なわれているかを知り、気軽に参加できるようにしていました。

看板は黒板式になっているため、作業工程に合わせて書き換えられます(画像提供: MAYA)

ワークショップに参加してくれる親子連れも多く、最後には塗る壁がなく二度塗りするほど(画像提供: MAYA)

また、近隣住民のなかにはゲストハウスが何かわからず不安に思う人もいるのではと考え、周辺の各家庭に手紙を書いて投函。そこには、地域の拠点をつくっているのでぜひ遊びにきてください、もし何かあれば気軽にご連絡ください、というメッセージに携帯番号も添えたといいます。

こうして、時には看板や手紙を接点に、時には直接「終わったら一杯飲みませんか」という言葉で現場に誘うなどして、見事に約300名以上を“MAYAの関係者”にしていったのです。

そして2017年7月、ゲストハウスを無事オープンすることができました。

大勢の人々がお祝いに駆けつけ、MAYAは人で溢れかえっていました(画像提供: MAYA)

商店街で食べ歩きツアー
食をきっかけに、旅人と地域の人々をつなぐ

MAYAと地域との絆の深さを象徴するような企画が「つまみ食いツアー」です。宿泊者の中から希望者を募り、チェックアウト後にみんなで高架沿いを歩いて、水道筋商店街へ。朴さんの解説を受けながら商店街や市場の6〜8店舗ほどで食べ歩きをするというもの。

実はこの企画、もともと水道筋商店街の組合が主催となり、日本人向けに月1で開催していました。ですが、朴さんがボランティアでガイドアシスタントをしていたことから、商店街の了承を得ることができ、宿泊者向けのMAYAオリジナル版が実現したのです。朴さんが英語や韓国語で通訳してくれるので、日本語が苦手な海外ゲストも安心です。

国籍を超えてつながりやすい「食」をテーマにしたツアーです。なので、楽しんでいるうちに宿泊者同士や地域の人々とも仲良くなって、このまちに良い思い出ができたことで、また訪れたいという気持ちにつながったらうれしいですね。

宿泊者やスタッフの状況を考慮して開催を決めるため、ツアーの実施は不定期。気になる方は、チェックインの時に「明日やってますか?」とぜひ聞いてみてくださいね。

練り物屋のお母さん。朴さん率いるツアーメンバーがやってくると、商店街のどのお店も笑顔で対応してくれます

魚屋の大将。その日ツアーに組み込まれていないお店の店主も「どこの県から来たん?」と明るく声を掛けてくれました

地域の人々の気持ちも元気にする
町医者のようなゲストハウス

物件探しや開業準備に奮闘しながらも、積極的にまちに関わろうとする朴さんの姿を見て、商店街や近隣で暮らすさまざまな人々が心を動かされていきました。なかでも感動的だったのは、この日の「つまみ食いツアー」でお邪魔した「漬物茶屋 たけちょう」の女将さんとのエピソードです。

物件が決まった時、お世話になった人たちに報告しようと、たけちょうの女将さんのもとを訪れました。「ようやく物件が決まりました!」って報告をしたら、女将さんが泣いて喜んでくれて。それから、ここのカウンターで、2人で泣きながらビールを飲みました。

「漬物茶屋たけちょう」の女将さん。泣きながら祝杯をあげた日のことを教えてくれました

オープンして約半年にも関わらず、地域と深い関係性を築いているMAYA。それは、原体験に基づき、人と人とのつながりを心から大切にし、ゲストハウスをオープンする以前から、“地元の人”になろうと努力を絶やさず、今もその努力を継続しているからこそなせるものでした。

世界各地から訪れる旅人同士だけでなく、地域の人々との関係性もつなぎ、まちの人たちをどんどん笑顔に変える様は、まるで、人々を元気にする町医者のようです。MAYAは、元診療所という場所が持つ思い出だけでなく、地域を元気にするDNAもきっと受け継いでいるのでしょう。

宿泊した皆で最後の記念撮影。今回の旅もたくさんの出会いがありました

皆さんは、地元とどんな付き合い方をしていますか。「うちは人口の多いまちだから」と固定概念で地元との関わり方をおざなりにしていないでしょうか。地元ではないまちで“地元の人”になる。そんな朴さんの姿を見て、地元との付き合い方を改めて考えさせられた気がします。

笑顔で挨拶を交せる人を、地元にもっと増やしてみませんか?

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こちらの記事は「greenz people(グリーンズ会員)」のみなさんからいただいた寄付をもとに制作しています。2013年に始まった「greenz people」という仕組み。現在では全国の「ほしい未来のつくり手」が集まるコミュニティに育っています!グリーンズもみなさんの活動をサポートしますよ。気になる方はこちらをご覧ください > https://people.greenz.jp/