35人が暮らす福岡県上毛町の有田集落へ移住した西塔さんご夫妻。目指すのは、家族3人と1匹が心地よく“フツー”に暮らすこと。

「すみません、“ミラノシカ”を探しているんですが」
「ああ、あすこのお客さん? そこの道をぐるっとまわった、上にあっよ」

ここは、大分との県境にある福岡県上毛町(こうげまち)の有田集落。
福岡市内から高速道路で約1時間半、上毛インターで降りて10分ほどの場所にあります。人口8000人弱の上毛町の中でも、15世帯35人が暮らす小さな集落です。

福岡への移住をきっかけに活躍の幅を広げた人々をご紹介する「福岡移住カタログ」。今回は2013年に福岡県築上郡上毛町の有田集落へ移住した西塔さんご夫妻を訪ねてきました。

有田集落。ここで暮らす15世帯のうち、3世帯が移住者世帯。正面が巣狩山で1時間ほどで頂上まで登ることができます

有田集落の春の棚田の風景。愛犬の散歩で毎日通る場所

集落の高台にある「上毛町田舎暮らし研究交流サロン」、通称ミラノシカ。近所の方に尋ねるとすぐに案内してくださり、地域へ根付いていることが伺えます

西塔大海(もとみ)さんと、妻のともみさん、3歳になった娘のみなみちゃん、糸島生まれの愛犬・しばいぬの村長という3人と1匹の西塔さん一家。夫の大海さんには、LOCAL SUNDAYやgreen drinks Tenjin(私も参加させていただきました!)といったグリーンズのイベントにも多数登壇していただいており、記事などでその活躍を目にした方も多いのではないでしょうか。

(撮影:山口靖雄さん)

夫の大海さんは山形県の出身で、高校から不登校、ニート、フリーター、バックパッカーを経て大学に進学し、物理学を専攻していましたが、転機となったのは、大学院在学中に起こった東日本大震災でした。

被災地で、意図せず避難所のお手伝いをすることになり、震災から1ヶ月後に「一般社団法人気仙沼復興協会」を立ち上げ、事務局長に就任しました。やがて事務局長の任を引き継いで、大学院へ復学し、研究のかたわら、2012年秋訪れた福岡県上毛町に移住を決意。地域おこし協力隊として、大学院を卒業してすぐの2013年春、上毛町へご夫婦で移られました。

思い出したくないくらいリノベーションが大変だったとおふたりが声をそろえたミラノシカの外観

ミラノシカの内部。広々とした、のびやかな空間になっています

バックパッカー時代にはバンコクのスラム街で暮らしたとか、大学の卒業研究テーマが素粒子物理学(理論)の「6次元トポロジカルソリトン」だったとか。失礼ながら、「これって全部本当のことなんでしょうか」と思わず尋ねたほど、ユニークな経歴をお持ちの大海さん。

今回の取材では、ご本人こそ“ヘンタイ人材”の極みともいえる大海さんと、さらにその奥様にもお話をうかがえるとあって、非常にワクワクしながら上毛町へ向かいました。

おふたりがひと目で移住を決意したという有田集落からの眺望。訪れる人を最初に連れて行く場所とのこと。開けた景色に清々しい気持ちになりました

ローカルとの出会いは震災後の気仙沼

「もとみとともみって漫才コンビみたいでしょう」。

瀬戸内の海を奥に見ながら、ほがらかに笑うともみさん。気さくで明るい人柄がうかがえます。

福岡市出身のともみさんは、大学進学とともに上京。慶應義塾大学SFCでソーシャルイノベーションやソーシャルデザインを学びつつ、フィールドワークとして各地の山村や島などへ実際に赴き、さまざまなローカルでの活動を経験しました。

ともみさん 
特に20歳の頃に出会った牧大介さんには、森林やローカルのプロジェクトのことをたくさん学ばせてもらいました。就職してからも「春夏秋冬」西粟倉に通うツアーを企画したりと、定期的に訪れていましたね。

おふたりの出会いは、2011年の6月のこと。気仙沼出身の友人が罹災したことをきっかけに緊急支援に駆けつけ、気仙沼復興協会を立ち上げていた大海さんと、当時慶應義塾大学SFCの大学院生として支援活動で気仙沼を訪れていたともみさんは、現地で偶然に出会いました。

ともみさん 
私からすると、いわゆる社会起業とかソーシャルイノベーションのことなど学んでいても、いざ震災になって、なにかを立ち上げてちゃんと物事を進めたり、問題解決をした人って周りにあまりいなかったんです。

でも彼は現場に早く入ったことで起業して、100人単位で雇用をつくっていました。巻き込まれた彼がさまざまなことを乗り切ってやっていたわけで、すごい人がいるなぁと思いました。


大海さん 
それまで物理学の勉強ばかりで、ローカルとの接点もなく、というか人間との接点もあまりなく(笑)、卒業後はシリコンバレーか南アフリカに行こうと就活もしていたんです。でも、何もわからないなか始めた事業でたくさんの出会いがあり、なんだかローカルっておもしろそうだぞ、ということに気づきました。それに気づけたのは彼女のおかげです。

笑顔が印象的なともみさん(2014年春撮影)

自然な成り行きでおふたりは付き合い始めます。ちなみに、最初のデートは東大でやっていた「うなぎ」についての展示会だったそうですよ。

「家族で楽しく暮らしたい」震災を機に移住計画

震災の経験を経て、このまま東京にいるという選択肢がしっくりこなかったおふたり。徐々に、東京を離れるという選択肢を模索し始めたといいます。

ともみさん
 月並みですが、震災のときに、東京のスーパーやコンビニからあっという間に食料や電池がなくなり、輪番停電も経験したことで、都会の暮らしに不安が生まれました。東京は刺激もあって大切な場所ですが、そろそろ別のところで暮らしてみたかったのもあります。

大海さん
 津波の被害を目の前で見ましたからね。とにかく「家族との安心できる、楽しい暮らし」を大切にしたかったんです。彼女の実家が福岡市内だったので、移住するなら九州のどこかがいいだろう、ということで探しました。そのとき、知人の紹介で、最初に訪れたのが上毛町だったんです。

この有田集落の棚田から、市街地と海を見下ろすあの風景を見て、なぜかここだ! と直感し、「移住します!」と集落のみなさんの前で宣言をしました。地元のおもしろいおじさんたちや、町のキーパーソンとの出会いも大きかったです。でも、そのときはまだ大学院生でしたし「仕事はどうするんだ」と心配されましたね。

そんなとき、ちょうど募集のかかっていた上毛町の「地域おこし協力隊」のことを町役場の方が教えてくれて、無事に仕事が決まります。 そして、「移住をするからには」ということで、おふたりは結婚。当時ともみさんの住んでいたシェアハウスで、「移住&結婚記念パーティ」を盛大に行い、2013年3月に東京を離れました。

「移住&結婚記念パーティ」の様子。慶應義塾大学慶應義塾大学SFCのすぐ隣にある「かまぼこハウス」(当時はシェアハウス)。参加者は妻の友人が70人に対し夫の友人が5人。半数以上が上毛町まで訪ねてきてくれました

おふたりの出身地と上毛町の食材を使って、特定非営利活動法人フードデザイナーズネットワークさんにつくってもらったパーティの料理のスケッチ案

食事だけでなく、内装も装飾もDIYでつくりました

いただきものを大切に、地域の媒介となる

移住してきた当初はしょっちゅうご近所で食事を食べさせてもらっていたというおふたり。住む家を用意してもらったり、「とりあえずこれ使って」と車を貸してくれる方がいたりと、集落全体でおふたりを全力で迎えてくれたといいます。田舎ならではの「移住者への反発」や「暮らしづらさ」などを味わったことはないそうです。

大海さん
 もしかしたら、なにか言われていたかもしれませんが、僕らの耳には入りませんでした。毎日とても楽しく過ごさせてもらっています。

ときどきは飲み会もあって、今晩も集落の石窯ピザを焼くんですよ。毎回、夜の9時ごろには解散する“さわやかな飲み会”ですし、お酒を無理に飲ませようとする人もまったくいません。すごくいいお付き合いをさせていただいています。
今住んでいるのは借家なんですが、大家さんもいい方で、娘もかわいがってもらっています。大家さんの家は、自分の実家よりも頻繁に行きますし、帰りには、ひと抱えの食材を持たされます(笑)

ともみさん
 もはや実家! あと、移住前は「自給自足で田んぼや畑をやろう」なんて言っていたんですが、来てみたらおばあちゃんたちのつくる自家用野菜(無農薬!)が美味しくって。ありがたい頂き物を腐らせないように、必死で料理していたら、もう5年経っちゃいました(笑)

明るく元気な有田集落のおばあちゃんたち(2016年撮影)

集落や町の方々への感謝を何度も口にするおふたりは、さらにこんなことを話してくれました。

大海さん
 おばあちゃんたちって、基本的には全然困ってないんですよね。僕らの協力できることって本当になくて、草刈りくらいのものです。ですから、集落の草刈りくらいは頑張ってやるけれど、それくらいなんですよ。毎日を豊かに暮らしているおばあちゃんたちには直接恩を返せないので、ここに移住などの相談に来られる方々に、僕らがいろいろしてもらったぶんを「恩送り」している感じです。

初めての夏は全身をダニにかまれたり、ムカデと戦ったりと苦労もありましたが、周囲の人に助けられ、少しずつ家や暮らしを整えながら、気づけば約5年。この5年間で西塔家を訪ねてきた人だけでも、300人をゆうに超えるとのこと。

ともみさん
 都会を離れて、それまでのコミュニティからいったん遠ざかりましたが、わざわざ東京から訪ねてくれる友人も多いので、寂しさはありません。むしろ、泊まりがけで来てくれますから、付き合いが深くなりましたね。


先日は大学の後輩が数年ぶりに連絡をくれて、「ちょっと行ってもいいですか」と。そういうときは、近所のおじさんの家でいつものように飲み会をして、庭で焚き火をしたり、犬の散歩をしたりして、普通に過ごします。西塔家のありのままを体験していただくという。娘もお客さんが泊まってくれるのを楽しみにしていますよ。

最近は、一度遊びに来てくれた友だちが、次はその友人を連れて再訪し、西塔家を飛び越えて地元の人と仲良くなって、プロジェクトやイベントが立ち上がることもあるとか。「そういうのがおもしろいんですよ」とおふたりは口を揃えます。

協力隊の仕事から、「自分にしかできない仕事」をつくる

一方、お仕事についてはどうだったのでしょう。移住した当初、大海さんは地域おこし協力隊になり、町の移住交流プロジェクトを担当することになりました。今でいう関係人口づくりでしょうか。

大海さん 大震災という、いわば非常事態での“起業”の経験はあったものの、その当時は大学院生でしたからね。無事に大学院を修了して、“新卒”からの地域おこし協力隊着任です。だから会社で働いたこともなくゼロからのスタートでした。

「移住交流担当」になったのも、積極的に選んだわけではなく、用意されていた業務課題。そんなわけで、右も左もわからないところから、なんとか前に進めようと、必死で勉強しながら動きました。担当の職員さんの熱意と、企画の素晴らしさ、地元の上毛町地域づくり協議会などの支えもあって、やってこられたと思います。

特色ある取り組みとしては、働きながらお試し居住ができる「上毛町ワーキングステイ」や、日本で初めての“大学生向けDIY建築教育プログラム”(古民家フルリノベーション)、上毛町田舎暮らし研究交流サロン(通称ミラノシカ)の設置、そこから生まれるさまざまな情報を発信するHP「みらいのシカケ」の立ち上げにも参画しています。

上毛町のお試し居住「ワーキングステイ」の様子

古民家改装の建築教育プログラム「デザインビルド」のメンバーで撮影

完成したミラノシカ内部。天井を取り払い、広々とした空間に生まれ変わりました

上毛町に個性的でおもしろい人材を呼び込むさまざまなしかけをつくってきたことで、徐々に注目を集めるようになりました。今では、15軒しか住んでいない集落に、年間のべ1000人以上の方が訪れます。

大海さん 
上毛町田舎暮らし研究サロン(通称: ミラノシカ)という移住交流相談の窓口ができ、いろんな人が来るようになりました。なかには移住希望でもなく、イベントや体験を希望するわけでもない、相談者もいるんです。


たとえば、「移住促進の仕組みを新しく考えたいから相談にのってほしい」と自治体職員の方がわざわざ遠方からいらっしゃったり、地域で新しい事業や取り組みをつくりたい大手企業の方が東京からいらっしゃったり。地域おこし協力隊の3年目には、そういう相談がひとつずつ副業になり、仕事ができてきました。

地域おこし協力隊の任期を終えた大海さんは現在、過疎地域の公共政策に関わる企画立案や、新規事業の立ち上げなどで「整理する・企画する・共有する」という一連を仕事としているとのこと。

特に、全国で増え続ける地域おこし協力隊のトラブルに対応するため、地域おこし協力隊の企画・募集から、活動の支援・メンタリング、起業のサポートまでを、OBの視点を生かして行うなど、福岡県内だけでなく、九州中を飛び回っている。

大海さん 
九州では数少ない「プロの地域おこし協力隊専門家」です、たぶん(笑)

愛犬のしばいぬ「村長」と

目指すのは、丁寧すぎない“フツーな”暮らし

なんとも忙しそうですが、それでも「出張は原則月に5日以内」が大海さんの目標だそうで、家族との時間を一番に考え、それを実行しています。

大海さん 
せっかく移住したのに、家族を家に置いて出張ばかりでは本末転倒ですからね。「家族で楽しく暮らす」を踏み外さないように気をつけていますよ。

ともみさん
 基本的にお昼ご飯は一緒に食べるしね。仕事が立て込んでいるときも、夕方6時には家に帰ってきてます。うん、えらい! 娘との時間をすごくちゃんととっています。夜ご飯も全員一緒に食べて、夫と娘でお風呂に入って、私が娘を寝かしつけるのが、いつもの流れ。そのあと朝方まで、夫は書類仕事とかをしていることもありますが(笑)

大海さん
 ここで普通に暮らして、普通に働いています。ここで家族一緒に時間を過ごし、地域の方々と草刈りしたり、回覧板回したり、季節ごとのお祭りの準備をしたり。あたりまえのことを、あたりまえに。それは、田舎だろうが、都会だろうが全然変わらなくって。物をやりとりするところが、コンビニかおばあちゃん家かくらいの違いです。

ともみさん
 そう、野菜の頂き物が多いので、食費は家族3人で月2万円ほどですんでいます。夏場はぬか漬けに挑戦したり、冬は餅つきを手伝ったり、今度は味噌も仕込んでみようかなと。別にオーガニックな暮らしを目指しているわけではないんですが、周りのおばあちゃんたちに影響されて、東京にいた頃より結果として健康的な食生活ですね。

大海さん
 確かに、よく寝て、よく食べ、健康的!

ともみさん 
今は、それが気持ち良くて。将来のことを考えると、「ここに骨を埋めます!」とは言えないけれど、地域の人に聞かれたら、「なるべく長く住んでいたいです。状況の許す限り」と言っています。娘にとってはここが故郷ですから、できるだけ、守っていきたいと思いますね。

福岡へ移住されてからの5年間には、たくさんの困難にも遭われたと思います。ですが、それらをおふたりは笑いながら一緒に乗り越えられてきたのでしょう。

さまざまなことをおもしろがることができるポジティブさと、「ではどうするのか」という合理性、共通する明るさ、また会いに来たくなる親しみやすさ。今回おふたりにお話を伺い、使い古された表現ですが、連理の枝とか、比翼の鳥とか、ベターハーフなんて言葉が頭をよぎりました。

そして、ヘンタイの嫁は、やはりヘンタイでした(笑)

とはいえ、そんなおふたりが目指すのは、家族3人と1匹が心身ともに健康で仲良く過ごせる“フツー”の暮らし。

自分にとっての心地いい“フツー”の暮らしについて、考えてみませんか? それが未来の「恩送り」につながれば、人生が最高に豊かに、楽しくなりそうですね。

(写真提供: 玉利康延、山口靖雄)
(Text: 池田愛子)