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DV家庭で育ち、学歴は中卒、25歳までフリーター。そんな僕が思うのは、「人生はいつからでも変えられる」ということ。「大槌食べる通信」編集長・吉野和也さんの人生観

震災後すぐに勤めていたウェブ制作会社を辞め、岩手県大槌町へ移住。被災したおばあちゃんたちが手仕事で小さな収入を得る「大槌復興刺し子プロジェクト」を立ち上げ、無印良品とコラボレーションするまでに育てる。

2016年には大槌でNPOを立ち上げ、旬食材と生産者の物語を届ける「大槌食べる通信」を創刊。現在は編集長を務める傍ら、レジャーダイビング事業も準備中。ちなみに、NPOのアドバイザーには元世界銀行副総裁・西水美恵子氏が就いていて、パタゴニアからもサポートを受けている。

こう聞くと、「なんだかすごい人だな」と思いませんか? 私は思います。

2012年に「大槌復興刺し子」の取材で知り合ったのが吉野和也さんでした。フットワークの軽さ、人を巻き込み企画を形にする力、バイタリティ。ぼんやりと「きっと子どもの頃から優秀だったんだろうな」「愛されて屈託なく育ったんだろうな」という印象を抱いたのを覚えています。

ところが、その後交流する中で、吉野さんが「子どもの頃は兄からボコボコに殴られてたんですよ」「家を出たくて、中卒で働きはじめました」「新聞配達をした後大工をやって、その次がキャバクラの黒服です」とさらりと言うものだから驚いてしまいました。想像とは真逆の経歴です。一体、どうやっていまの道へ……?

もしかすると、吉野さんの半生は、同じような境遇にいる人の励みになるかもしれません。今回は吉野さんに、現在に至るまでの軌跡を伺いました。

吉野和也(よしのかずや)
1980年千葉県出身。NPO法人アラマキ副代表理事、大槌食べる通信編集長。現在は岩手県釜石市のローカルベンチャーコミュニティに参加し、「一次産業×レジャー」分野で事業化を進めている。また、日本食べる通信リーグのファシリテーターも担う。

新聞配達、大工、キャバクラの黒服、コンビニ店員、配達員、探偵、ウェブデザイナー。経験した職種は10以上

—— まずは、子どもの頃のお話を聞かせていただけますか?

吉野さん 負の連鎖が続く家庭、ってありますよね。親があまり働かず、それが子どもにも影響すると。そういう典型的な家庭に生まれました。父親は小学校を中退して働きに出た人です。母と結婚してからは大工をしていましたが、無免許で車を運転していたことがバレて逮捕され、僕が7歳の頃に離婚しました。字が読めなくて、免許が取れなかったそうです。

それで母と姉・弟4人で暮らしていたんですが、8歳上の兄が学校でも有名ないじめられっ子だったんです。とにかくボコボコに殴られていたようで、その鬱憤が僕に向かってボコボコに殴られると。

でも、その頃の記憶ってあんまりないんです。姉からは「毎日殺される寸前だった」と聞いているんですが、自分ではあんまり。

ベランダから突き出されて「あぁ、本当に死ぬかも」と感じた記憶が朧げにあるくらい。いつも死にたいと思っていた気がします。あまりに強烈な体験だったので、忘れちゃったのかもしれませんね。

—— それは、壮絶な……。家を出たのは、暴力から逃れるため?

吉野さん 母親が体を悪くしていたんですが、「私はあなたたちを育てるためにこんな体になった」とずっと言っていたんです。それにうんざりして、「じゃあ出ていくよ、そしたらお金もかからないだろう」と。とにかく家を出たくて、新聞奨学生になりました。

新聞配達の後は大工、その次はキャバクラの黒服をやりました。でも、お金を稼げる仕事がしたいと思っているうちに、グレーな世界を垣間見ちゃって。「お金は貯まるけど、これはちょっと危ないし無理だな」と、昼間の仕事に転向しました。

25歳までまともな会社で働くことがなかったんですよ。ずっとアルバイト。13種類ぐらいやったかな。コンビニと宅急便は複数の会社で経験しました。探偵学校の先生もやったんですが、授業料を数百万取っておきながら、2週間教えただけですぐに「はい、じゃあ後は自分で営業してください」というようなひどいところでしたね。あとは、日雇いの仕事も。都心のタワーマンションの建設現場で、扉270枚を28階まで担いだり。

—— 履歴書を書いたら職歴の欄がびっしり埋まりますね。

吉野さん そうですね。それで、建設現場の仕事があまりにキツかったから、「肉体労働は限界があるな、頭を使う仕事をしよう」と思ったんです。姉がデザインの仕事をしていたので自分もと思い、Macとイラストレーターを買って、知り合いのチラシをつくらせてもらうところからスタートしました。それと並行して、葬祭業、つまりおくりびとの仕事もしていました。

—— おくりびと。ちょっといままでと毛色が違いますね。

吉野さん 話が前後するんですが、黒服をしていたとき、後輩から「人って死んだらどうなるんだろう」と聞かれたんです。それまで「俺に答えられないことはない」と先輩風を吹かせていたんですが、そう聞かれて「あれ、わからないぞ」と。その後、バイト先の会社で船井幸雄さんの本に出合い、スピリチュアルな世界に傾倒していくんです。「ここに答えがある」と思って。

超能力にも興味を持って、テレビに出ている有名な超能力者に会いに行ったりしました。ただ、そこでわかったのは「超能力と人格は比例しない」ということ。その人は幼い頃から超能力で周囲からもてはやされて、人格を磨くことなく中年になってしまっていたので。

彼と付き合う中で有名人や芸能人とも親しくなったし、スピリチュアル方面ではインドで修業した瞑想者を招いて瞑想キャンプを開いたりもしましたが、そっちに大きく振れた反動で、地に足の着いた暮らしがしたくなったというか、「何事もバランスだな」というところに落ち着くんです。それで、亡くなった人を送り出す仕事に。

—— 振れ幅がすごい。

吉野さん しばらくフリーのデザイナー見習いとおくりびとの2足のわらじ生活をしてからウェブ制作会社に就職して、その2年後に震災があって東京から大槌へ移住しました。

—— よく辞める決心がつきましたね。そんな紆余曲折を経て普通の会社に辿り着いたなら、執着しそうなのに。

吉野さん もともと、いつかは独立するつもりだったんです。これからの時代、ウェブサイトって何をやるにも絶対に必要だし、自分でつくれたらいいな、という感覚で入ったので。

それに、被災地で見聞きしたことが大きかったですね。目の前で「助けて」と叫んでいる人を助けられなかったことを悔やんでいる人や、旦那さんとお子さんを一度に亡くしたお母さん。そういう人がたくさんいて、僕はそれがどれだけの苦しみなのか、どんなに辛いことなのかがわからなかったんです。だからとにかく、そばにいたいと思いました。そばにいれば、一緒に泣いたり笑ったりして、少しでも気持ちをやわらげることができるんじゃないか、って。

吉野さんが立ち上げた針仕事プロジェクト「大槌刺し子プロジェクト」には、延べ200人の女性が参加しました。家族を亡くしてずっと泣いていたけど、刺し子を始めてようやく笑うことができたという方、刺し子で月10万円を稼ぎ、他の資金と合わせて店を再建した方もいます。

—— いまは運営から離れているんですよね?

吉野さん ありがたいことに、途上国支援を行うNGO「テラ・ルネッサンス」が運営をしてくれることになりました。

僕自身はいま、大槌・釜石エリアの全体的な復興に携わるため、「NPO法人アラマキ」という団体を立ち上げ、2016年に「大槌食べる通信」を創刊しました。大槌町のおいしい食材がついた情報誌で、年に4回発行しています。

首都圏で育った僕にとって、自然と共に生きる大槌の暮らしは魅力に溢れたものでした。漁師・猟師・農家が多く、仲良くなるとめちゃくちゃおいしい郷土料理を食べさせてくれる。郷土芸能やお祭りを大事にしていて、喜んで体験させてくれる。「サーモンスイム」というんですが、遡上してきたサケと一緒に川で泳ぐこともできる。

でも、地元の人たちは「ここには何もない」と思っているんです。大槌でビジネスが成り立つと思っていないし、若者は外に出ていってしまう。これってすごくもったいない。

大槌の情報をプロの手で綺麗に編集・デザインされた冊子にまとめて、「こんなに魅力があるところなんだよ、購読者からはこんな感想が届いてるんだよ」と伝えれば、自信を持ってくれるかもしれない。そこで、撮影もデザインもその道のプロに協力してもらい、クオリティを追求しています。しっかり利益を出して、「大槌でも稼げる」と証明したいですね。

「大槌食べる通信」の読者になると、ホタテ、牡蠣、ウニ、サンマ、新巻鮭といった大槌の旬の食材と、漁師や加工業者へのインタビューなどが掲載された冊子が送られてきます

—— 大槌食べる通信のほかには何をしているんですか?

吉野さん 地域の未来をつくる人を増やしたくて、無印良品のスペースを使わせていただき、2〜3か月に1度、「ローカル」や「ソーシャルデザイン」をテーマにゲストを招いてトークイベントを開いています。

仕事ではありませんが、ボランティアダイビングも行っています。潜るのが好きなので、趣味も兼ねた復興支援活動といったところですね。津波で流された漁港の海神さまの石像を探したり、漁協から依頼を受けてアワビの放流を手伝ったり。

釜石平田漁港に祀られていた石像。無事見つけることができました!

—— 楽しそう!

吉野さん そうそう、普通のダイビングとは違った楽しさがあるんですよ。ゆくゆくはこうした活動を、レジャーダイビングとして事業にできたらと思っています。

岩手ではいま、ウニが増えすぎて海藻を食べ尽くし、磯焼けが起こっているんです。そこで、ウニを除去する作業をレジャーとして観光客に体験してもらってはどうかと。観光客にとっては滅多にできない体験で新鮮だろうし、漁協も助かるし、海も綺麗になるでしょう。

ただ、事業化するにはさまざまな壁を越えなければいけません。まずは漁師さんたちから信頼してもらえるよう、一つひとつの依頼を誠実にこなしていかないと。

—— どの事業も大変だとは思いますが、地域に役立つ仕事だし、吉野さん自身も大槌での暮らしを楽しんでいることが伝わってきます。

吉野さん 別にすごい成功を収めているわけじゃないけど、よく「楽しそう」と言われますね。

だから、若い子が「将来に希望が持てない」とか「学歴がないから、就活に失敗したからもうだめ」と話すのを聞くと、「いやいやいや、待って!」と思うんですよ。就活や会社でのトラブルを苦に自殺、なんてニュースを聞くと、本当に悔しくなる。

「DV家庭で育って、中卒で、25までアルバイトをしていた僕でも楽しく生きてるんだから大丈夫だよ、いつからだって人生は変えられるよ!」って。

—— でも、吉野さんと同じような境遇だったら、大抵の人は「人生こんなもの」と諦めたり、「世の中が悪い」と腐ったりしちゃうんじゃないかと思います。どうして吉野さんは這い上がれたのでしょうか。

吉野さん うーん、どうしてだろう……。なんというか、僕の人生って、いつも目の前にお題が出されて、クリアするとその先にまたお題が降ってきて、の繰り返しだった気がします。

最初はとにかく家から離れることが目標で、次にお金を求めて、幸せって何だろうって考えて、スピリチュアルを通った後にバランスが大事だということに行き着いて、大槌に来て「目の前の人の役に立ちたい」と強く思って、いまはそれが一段落して「次の世代に何を残せるか」に関心が出てきました。

一度も転んだことがない人っていないでしょう。行動すれば絶対に失敗はする。でも、そこで必ず気づきや学びはあるはずだから、それを糧にして一歩一歩進めばいい。

天国と地獄は、死後ではなくいまここにあると感じています。物事の悪い面しか見なければ地獄だし、良い面を見ようとすれば天国になる。自分のフィルターを通して世界を眺めているんですよね。結局は自分次第。人生は自分の力でいくらでも楽しくできるし、みんなが何となく難しそうと思っていることでも、やってみれば意外とできちゃうものなんじゃないかなぁ。僕はそう思っています。

—— 吉野さんが言うと説得力がありますね。

吉野さん 知らないだけなんじゃないかな、と思うんですよ。子どもの頃って世界が狭いでしょう。親や親戚や先生としか関わる機会がなくて、その人たちが「いい大学に入っていい会社に入れば幸せ」という価値観しか持っていなかったら、そのレールから外れた途端に「もうダメだ」と思ってしまう。

でも、世の中にはいろんな生き方や働き方をしている大人がいるから。そういう情報に触れるだけで救われる人っているんじゃないかな。だから僕は最近、積極的に自分の経歴を伝えています。呼んでもらえるならどこでも行って、自分の経験を話したいと思っています。

(インタビューここまで)

「人生はいつからでも変えられる、自分の力でいくらでも楽しいものにできる」。

これがもし、一流大学を卒業して一流企業に入った後に何かを成し遂げた人が発した言葉だったら、反発を感じる人も多いと思います。「いやいや、教育にお金をかけてくれる家庭環境に育ったからでしょう、スタート地点で恵まれていたことを自覚せずに、全部自分の努力の結果のように言わないで」と。

でも、吉野さんの経歴を聞いた上でこの言葉を聞くと、「もしかすると、そうなのかも」と、素直に受け取れるのではないでしょうか。

環境は人の思考や行動に大きな影響を及ぼすものだし、どうしたって境遇の差はある。それでもなお、自分が何を信じてどう生きるかは、いまこの瞬間から自分で選ぶことができる。

心からそう思えたとき、人生は変わるのかもしれません。

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