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先生は僧侶、職人、そしてラッパー。若者が智慧を学ぶ場「スクール・ナーランダ」

「よりどころのない時代に生きる若者たちに、今と未来を生きる智慧を伝えたい」。

2017年2月、浄土真宗本願寺派「子ども・若者ご縁づくり推進室」は、10〜20代のための学びの場「スクール・ナーランダ」を、京都・西本願寺にて初開催しました。

「わけへだてと共感」というテーマのもとに登壇したのは、同派僧侶とともに、認知科学者の高橋英之さん、アートディレクターの森本千絵さん、映像人類学者の川瀬慈さん、ラッパーの環ROYさん。

お坊さん、研究者、職人、アートディレクター、そしてラッパー。これほど多様な講師とともにひとつのテーマについて対話する場は、いったいどんな風にして生まれてきたのでしょう?

今回は、この企画の提案段階から関わってきた、プロデューサーの林口砂里(はやしぐちさり)さんにインタビュー。現代アートや音楽の世界で仕事をしてきた林口さんが、なぜお寺で「若者の学びの場」をつくることになったのか、お話しいただきました。

林口砂里(はやしぐち・さり)
文化・地域振興プロデューサー。(有)エピファニーワークス代表取締役、一般社団法人CREP4、アートNPOヒミング代表理事。富山県高岡市出身。東京外国語大学中国語学科卒業。留学先のロンドンで現代美術に出会い、アート・プロジェクトに携わることを志す。ワタリウム美術館、水戸芸術館アートセンター、P3 art and environment等での勤務を経て、2005年に(有)エピファニーワークスを立ち上げる。現代美術、音楽、デザイン、仏教、科学と幅広い分野をつなぐプロジェクトの企画/プロデュースを手掛ける。

人類の叡智を横断的に学ぶ

「スクール・ナーランダ」の名前の由来は、5世紀頃に北インドに創設された総合大学「ナーランダ僧院」。世界最古の大学のひとつで、最も多いときは「1500人の教師と1万人の学生がいた」とも伝えられています。

「ナーランダ僧院」では、仏教のほか、医学や天文学、数学など多様な分野の知を教えたそうですが、「スクール・ナーランダ」もまた「人類が積み重ねてきたさまざまな叡智を横断的に学ぶ場」です。「スクール・ナーランダvol.1京都」は2日間の開催。認知科学者や映像人類学者による講義のほか、グループディスカッションやフィールドワークなど、体験的な学びも組み合わされていました。参加は1日のみでも、2日間通しでも可。

2月4日、5日に京都で開催された「スクール・ナーランダvol.1」。僧侶の研修施設「伝道院」(重要文化財・通常非公開)に15〜29歳が集い、ともに学びました

両日ともに、午前中は僧侶の解説による本願寺ツアー。国宝指定の建物を見学、本堂でのお勤めも体験

本願寺を見学した後は「お斎(とき)」という精進料理でランチも

林口さんが「スクール・ナーランダ」の原案を提案したのは、「子ども・若者ご縁づくり推進室」。浄土真宗本願寺派のなかで「子どもや若者にお寺・仏教に馴染み、仏縁を深めてほしい」と、全国の寺院とともに取り組むプロジェクトチームです。林口さんは、同推進室とともに「若者たちへのアプローチ」を議論するなかで、「仏教をはじめ、人類の叡智に触れてもらいたい」という思いを強くしたそう。

人は誰も、生きるよりどころとなるものを必要とします。きっと、今の若い方たちも、自分の人生を生きる基準となるものを、探していらしたり、悩んでいらしたりするんじゃないかなと思いました。若い頃の、私自身がそうであったように。

若い頃の林口さんは、どんなふうに「自分の軸」をつくっていったのでしょう? 時計の針を巻き戻して、学生時代から「スクール・ナーランダ」に至るまでの道のりを、林口さんにご案内していただきましょう。

現代アートの世界にのめりこんで

林口さんは、富山県高岡市の出身。中国の歴史・文化にあこがれて、東京外国語大学中国語学科に進学しました。ところが、1年生の夏休みに大陸を旅して「人を押しのけるほどにパワフルな人々」に衝撃を受け、ロマンチックな幻想を打ち砕かれて帰国します。

「将来は中国に関係する仕事をしたい」という目標を失い、しばらくモラトリアム状態に陥ってしまった林口さんですが、「中国語じゃないなら英語かな」気持ちを切り替えると、「ブリティッシュ・ロックが好きだから」という理由でイギリス・ロンドンに留学することに。そこで、偶然出会ったのが現代アートの世界でした。

曜日と授業の組み合わせで偶然とった「現代美術史」の授業が面白くて。20世紀の美術がすごく新鮮で、世界を見る新しい視点や価値観を提示してくれるものだって気がついて、「これだ!」と思いました。

東京に戻るとすぐ、国際的な現代美術を展示するワタリウム美術館に電話をかけて、「バイトさせてください!」と突撃。「明日から来なさい」と迎えられ、同館でますます現代アートにのめりこんでいきました。

でも、私は美術作家ではないし、キュレーターのようにクリティカルに仕事することにもあまり興味を持てませんでした。ただ、美術の良さ、おもしろさや魅力を人に伝えることをしたかったんです。それは、美術の世界でいうと「教育普及」という仕事でした。

林口さんがプロデュースした、国立天文台×クリエーターによるアート作品「ALMA MUSIC BOX:死にゆく星の旋律」(林口さん提供)

林口さんがコーディネートした作品。マイケル・リン「市民ギャラリー 2004.10.09-2005.03.21」(2004年)(提供:金沢21世紀美術館)

教育普及とは、博物館や美術館において、来館者向けの講演会などのイベント企画や、展示案内、広報などの仕事のこと。林口さんは、水戸芸術館アートセンターで教育普及を学んだ後、東京デザインセンター、P3 art and environmentなどで、さまざまなアート・プロジェクトに関わる人生を歩み始めたのです。

「アーティストのお手伝い」から会社設立へ

その後、会社を辞めて家庭に入った時期もあった林口さんでしたが、知り合いのアーティストからの相談に応えるうちに、フリーランスとして仕事を再開。ふたたびアートの世界に戻ります。その頃に出会ったのが、音楽家で映像作家の高木正勝さんでした。

高木正勝さん(「コンサート「Ymene」より」)

当時、彼はまだ十代でしたが、作品を見て「ものすごい才能ある人が出てきたな」と思いました。彼がアメリカで音楽アルバムをリリースするときに、「英語での契約交渉を手伝ってほしい」と言われたのがきっかけで、なんとなく自然にアーティスト・マネジメント、プロデュースを手がけるようになりました。

「アートを伝えたい」と思ったのと同じで、アーティストの作品を世の中にお伝えしたかった。そのときに、一番ふさわしいかたちは、CDだったり、DVDだったり、本や映画である場合もあった、ということだったんです。

2005年には、有限会社エピファニーワークスを設立。しかし、「このままずっとこの仕事をしていくんだろうな」と思っていた林口さんは、東日本大震災を機に転機を迎えます。「いつ、どこで、誰に何があるかわからない世の中なんだ」と改めて認識したときに、ふと「ずっとやりたかったこと」を思い出したのです。

故郷のまちで見つけた「いやし」と「課題」

震災を経験し、「やりたいことは先送りにしないほうがいい」と思ったとき、林口さんの心に浮かんだのは「歳をとったら父と一緒に畑をしたい」ということ。「歳をとってからでは遅いかもしれない」と、まずは月2回、週末に帰省して畑をすることにしました。

氷見の里山でお父さんと一緒に畑をする林口さん

父方の祖父母は、富山県氷見市の里山で囲炉裏のある茅葺き屋根の家に住んで、田んぼと畑をつくり、牛を飼って暮らしていました。

でも、里山は人が関わって保たれるもの。草刈りなどの整備をしないと、どんどん荒廃してしまいます。父ひとりでは人手が足りず、見るかげなく荒れてしまった里山を見て、私の大切な原風景が失われていくことにものすごくショックを受けました。同時に、畑で土に触れることがすごく楽しくて。ひとことで言うと、私にとっては“いやし”になっていたんです。

氷見市は、林口さんが育った高岡市の北側にある、豊かな森林を育む里山とおいしい魚が揚がる漁港のあるまち。いずれも、高校生の頃の林口さんが「こんな田舎、早く出て行きたい」と思って見ていたまちでした。ところが、今の林口さんには、氷見の里山も高岡の古い町並みも魅力的に映りました。

高岡のまちには、江戸時代の町家も残る金屋町など、古く美しい町並みが残っています

400年以上続く高岡銅器、高岡漆器などの伝統産業も受け継がれています。写真は高岡銅器の「能作」工場

同時に、何百年も受け継いできた高岡銅器、高岡漆器などの伝統産業が、後継者不足や需要の低下などの課題を抱えていることにも気がつきます。「こんなにすばらしいものが10年後にはなくなっているかもしれない」と思うと、林口さんは「いてもたってもいられなく」なりました。

私のミッションは「いいと思ったものを世の中にお伝えすること」。「社会をよい方向に変えてくれる視点がある」と思えたものは、伝えたくてしょうがなくなる性分なんです。今までアートや音楽を伝えてきたように、今度は日本の伝統文化や自然、地域の魅力をお伝えしていきたいと思いました。

しかし、地域の魅力を伝える仕事をしたいなら、地元の人たちと関わる時間を増やして信頼をつくる必要があります。「でも、地元に戻ってしまうと、今までの仕事ができなくなってしまう」と、林口さんは大きな葛藤を抱えることになります。

「東京か、富山か?」と悩んだ末、林口さんが出した答えは二拠点居住。東京から富山に拠点を移し、東京には事務所を残してそこに通うスタイルに切り替えました。

東京でマネジメントしていたアーティストには事情を話して、「今までのようにできないから」と専属契約を全部なしにして。本当に、まったく仕事のあてもないままに富山に帰ったんです。

今では地元の仕事も増え、「アート・文化」と「地域・文化」のふたつの分野のプロデュースを「それぞれ半々ぐらいで」手がけているそう。そして、富山での生活のなかでもうひとつ、林口さんが出会いなおしたものが「仏教」だったのです。

人生を支えてくれた智慧を伝える場をつくりたい

北陸地方は昔から「真宗王国」と呼ばれるほどに、浄土真宗の門徒さんが多い地域。林口さんのご実家も「家の中心にあるのはお仏壇」。幼いころから、「仏さまが身近にある生活」をあたりまえのものとして育ちました。

自分の根底には仏教があり、本当に一番伝えたいのは仏教だったけど、宗教や信仰について語ることははばかられたし、人に押しつけるものではないと自己規制もかけていました。でも、どんな仕事をするときにも、何かしらそれが仏教につながるようにという思いでやっていましたし、自分自身が「仏教の道として、この道は正しいだろうか?」ということは常に考えるようにしていました。

林口さんと本願寺のご縁をつないだのは、富山県黒部市にある善巧寺住職・雪山俊隆さん。雪山さんは、曽我部恵一さん、二階堂和美さん、七尾旅人さん、後藤正文さんなどのアーティストを招聘し、「お寺座LIVE」という音楽イベントを10年にわたって開いてきました。ふたりのご縁のきっかけも、雪山さんから高木正勝さんへの「お寺座LIVE」出演依頼でした。

富山・善巧寺「お寺座LIVE」にて、ご住職の雪山俊隆さん(善巧寺提供)

「お寺座LIVE」にて、お坊さんたちと一緒にお経をよむ二階堂和美さん。※二階堂さんも浄土真宗僧侶です(善巧寺提供)

私が富山に戻ってからは、お寺に伺って仏教のお話を聞かせていただく機会も増えました。雪山さんが「子ども・若者ご縁づくり推進室」の推進委員になられたとき、「内部だけで話すよりも、外部の意見も聞いていこう」とコンサルタントとして私を推薦してくださったんです。

「子ども・若者ご縁づくり推進室」に入った後、林口さんがお坊さんたちと議論しながら模索したのは「今の時代に合う仏教の伝え方」でした。

お寺でのコンサートや展覧会、境内でのマルシェなどは、「敷居の高いお寺に来るきっかけ」をつくることはできます。でも、お坊さんたちが本当に伝えたい仏教は届けることにはつながりにくいという課題がありました。かといって、今の若い人を法話会に呼ぶのもまた難しいですよね。

「スクール・ナーランダ」は、「お寺に若い人が集まり、なおかつ仏縁につながる場」をつくる試み。同推進室のお坊さんたちと林口さんは、若い人たちの悩みに応え、また興味や関心を持ちやすいテーマ設定、講師のラインナップを考え抜きました。

「スクール・ナーランダvol.1京都」2日目、映像人類学者・川瀬慈さん、ラッパー/音楽家・環ROYさん、本願寺派僧侶・小池秀章さんによるディスカッション

「講義の後にグループディスカッションする」というアイデアは、学生スタッフの発案だそう

多様な分野と仏教を相対して学べる場をつくれないかと思いました。生きる上での軸をつくる要素は複数あることが望ましいと思っています。たとえば、私の軸は仏教をベースに、音楽や美術や自然科学、いろんなものでできています。若い方たちが、そんないろんな要素に出会えて、その中の一つに仏教もある、というような。

人生って、生きていることって大変ですよね。でも、仏教的なものの見方、世界の捉え方を取り入れることで、きっと、少しでも生きることが楽になる。未来を切り拓く力になると思うんです。私自身、ストンと腑に落ちるまでに時間はかかりましたが、今はよりどころとなる軸として、何があっても安心していられる感じがあります。私には良薬である仏教という処方箋。

全ての方には今すぐ効かないかもしれないけど、それを待っている方がおられるかもしれない。最近はそんな風に思えるようになり、ご本山にご縁をいただいてお仕事もさせていただいていますし、ひとりの仏教徒としても、仏教を伝えていきたいと思っています。

「スクール・ナーランダvol.2」は、林口さんの地元・高岡市で開催予定。また、今後は寺院単位での「スクール・ナーランダ」の開催も考えていくそうです。

地域で開催するときは、必ず地域の魅力と課題を知っていただく機会にもしたいので、その地域ならではのテーマを毎回設定しています。

富山のテーマは「『土徳―土地からのいただきもの』が育むものづくり」。高岡で400年以上続く金工技術を受け継ぐ職人たちの実直で勤勉な気質は、「真宗王国」と呼ばれたこの土地の精神風土に育まれたもの。その関わりをお伝えしたいと思っています。

棟方志功の作品。棟方は阿弥陀佛をたくさん描きました

また、第二次世界大戦の末期に疎開してから約10年、板画家・棟方志功はこの地を愛して住みました。そこには、柳宗悦をはじめ民藝運動に関わる人たちも訪れ、この地に深く根付いていた仏教に多大な影響を受けたことも知られています。

民藝というと「無名の職人さんがつくる素朴な日常の器」などと、表面的な受け取られ方をされることも多いのですが、柳宗悦が器物やもので表現しようとしたのは浄土思想です。そのあたりのことも、彼らがまさにその思想を育んだ土地でお伝えできればと思っています。

「スクール・ナーランダ vol.2」の講師は、僧侶であり日本民藝協会常任理事の太田浩史さん、平和問題・災害支援活動に取り組む僧侶の飛鳥寛静さん、前・国立天文台台長の観山正見さん、美術家の内藤礼さん、そして地元から金属鋳物メーカー社長・能作克治さん、鍛金職人の島谷好徳さんの6名。民藝ゆかりの場所見学や、鋳物体験や鍛金工房見学、ランチは地域のお料理も用意しているそう。

実は、日本の文化と生活に根付いている仏教へのアクセス方法を知ることは、自分の生きる人生の足元が確かめることにつながるかもしれません。まずは春先の富山での「スクール・ナーランダ vol.2」に参加してみませんか? 

– INFORMATION –

スクール・ナーランダvol.2 富山
2017年3月4日(土)・5日(日)10:00〜17:30
会場:飛鳥山善興寺、他
定員:50名/日(*対象年齢は15歳〜29歳)
参加費:1日2,000円、2日間(両日)3,000円(いずれも昼食付き)
講師:(3/4)太田浩史(真宗大谷派僧侶)、観山正見(天文学者)、内藤礼(美術家)
(3/5)飛鳥寛静(浄土真宗本願寺派僧侶)、能作克治(金属鋳物メーカー)、島谷好徳(鍛金職人)
問合せ:浄土真宗本願寺派 子ども・若者ご縁づくり推進室
goen@hongwanji.or.jp Tel(075)371-5181 (代)
お申込み:スクール・ナーランダ申込フォームより
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