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自分のくらしを自分たちの手でつくる「リノベーションまちづくり」のこれまでとこれから。アフタヌーンソサエティ清水義次さん×greenz.jp編集長鈴木菜央対談【前編】

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greenz.jpの特集のひとつに、「リノベーションまちづくり実践記」があります。そこに掲載されている記事の数々は、軒並み多くの人にシェアされ、ほとんどが大ヒット記事となっています。

リノベーションまちづくりとは、空きビルなどの遊休化した不動産という空間資源と、潜在的な地域資源を活用して、都市・地域経営課題を複合的に解決していくまちづくりです。

そのリノベーションまちづくりの生みの親であるのが、「アフタヌーンソサエティ」の清水義次さんです。今回はgreenz.jp編集長である鈴木菜央との対談が実現しました。

自己紹介をすればするほど、「ところで、一体何をやっている人なんですか?」と聞かれるという清水さん。この対談の前編では、そんな清水さんがさまざまな経験からリノベーションまちづくりを編み出していった過程をうかがいました。
 
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清水義次(しみず・よしつぐ)
都市再生プロデューサー。神田・裏日本橋、新宿歌舞伎町、北九州市小倉などで現代版家守業の実践に挑む。岩手県紫波町では、まちの中心をつくるオガールプロジェクトに携わっている。株式会社アフタヌーンソサエティ代表取締役、公民連携事業機構代表理事、3331 Arts chiyoda代表。

「リノベーションまちづくり」とは?

菜央 「リノベーションまちづくり」は、方法論として確立され、各地で実践されて、今や大きなムーブメントになっているという感じがしますが、もともと「リノベーションまちづくり」のもとになったのはどんなことだったんですか?

清水さん 1992年、42歳のときに「アフタヌーンソサエティ」という会社をつくったことから始まります。4人でスタートしたのですが、少人数の会社だと、事務所を開くときにワンルームマンションの一室をオフィスにすることが多いですよね。でも、私はもともと田舎育ちなので、それは息苦しいと思ったんです。

折しも、1991年にバブルが崩壊して、都内には地上げのあと不良債権となって、手つかずになっていた日本家屋がたくさんありました。今なら手頃な値段で広いところが借りられるということで、表参道駅周辺で物件を20軒くらい案内してもらったんです。そして、歩いて1〜2分で行き来できる距離に4軒借りることにしました。

菜央 4軒も! 使い道に計画はあったんですか?

清水さん 1軒は事務所にするつもりでしたが、それ以外はまったくありませんでした(笑)

どうしようかと考えたときに、そういえば以前から飲食をやりたいと思っていたんだよな、と。ちょうど1992年のバルセロナオリンピックを控えていた時期でした。そこで、隣り合った2軒を使って、イベントショップという形でスパニッシュバルを開くことにしたんです。6カ月の期間限定で、70席ほどの店でした。
 
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菜央 飲食店を経営した経験はまったくない状態で、いきなりスパニッショバルをオープンさせたんですか?

清水さん そうです。本業をやりながら、趣味で飲食店を始めたような格好でしたが、これが繁盛しましてね。

飲食業が成功するためのポイントは、ふたつあると思います。ひとつは現金管理がきちんとできているということ。もうひとつは、製造と販売が協力して仕事をすることです。

菜央 なるほど。それは他の業種でも同じことが言えるかもしれません。

清水さん バルは期間限定だったので、6カ月が経ったあとは、同じ場所でワインレストランを始めました。

やがて、このお店が繁盛しているのを見て、新しいビジネスをやりたいという人が私のところに相談しに来るようになりました。そして、周りに似たようなお店がどんどん増えていったんです。

最終的には25軒くらいになったんじゃないかな。飲食店はもちろん、カフェやバー、パン屋さん、インテリアショップ、ジュエリーショップなどが次々にできていきました。

そうしてできた新たなお店が繁盛し始めると、何もしなくても、周りに自然にお店が増えていきます。

菜央 清水さんにとって、リノベーションまちづくりの原点のような体験になったんですね。

清水さん そうですね。実はもうひとつ、これと並行してリノベーションまちづくりの原点といえる体験があったんです。

表参道をブランドストリート化

清水さん 1992年の秋、表参道の再開発のコンセプトをつくるチームに呼ばれました。表参道から根津美術館へつながる、御幸通りのエリアをどう変えていくのかのきっかけとなる再開発を総合設計の制度を使って計画するチームです。

表参道の、みずほ銀行とオーク表参道(92年当時はハナエ・モリビル)との間にある1900坪の土地の再開発でした。

私は店舗の設計を、ブランドショップのフラグシップが入れるようなスペックにし、ブランドストリート化してはどうかという提案をしました。

菜央 当時、表参道といえば、若者のストリートファッションを扱うお店が集まるようなエリアでしたよね。

清水さん そうです。最初、周りからは反対されましたね(笑)

菜央 それでも、清水さんが「いける!」と思った。なぜですか?

清水さん 当時、パリやニューヨークでは、ブランドのフラグシップ店がメインストリートに250〜300坪のお店を構えるようになっていました。近いうちに東京もそうなるという予感があったからです。

菜央 その予感はどこから来たのでしょう?

清水さん 社会人になって身につけたマーケティング思考からですね。新卒で入社したのが、マーケティング・コンサルティングの会社だったんです。上場企業の新規事業のコンサルティングを手がけていました。

もともと街を歩くのが好きなのですが、幸運なことに、その会社では「考現学」の手法を取り入れていたんです。

菜央 考現学というのはどんな学問ですか?

清水さん 考現学は、都市の生活を観察し、スケッチして、採集した情報を分析する学問です。今和次郎という人がつくった日本発の学問です。学生時代に、『考現学』という本を読んで、その考え方を知って感銘を受けました。会社が偶然にもこの手法を使っていたんです。

菜央さん 偶然!すごいな。考現学の手法を使っているとは知らずに入社した?

清水さん そうです。新聞の求人欄を見て、「面接のみ」と書いてあったので試験を受けに行って、採用になった(笑) その会社では企画室に配属になり、本格的な社会風俗観察を17年しました。

菜央 なるほど。リノベーションスクールの合言葉的にもなっている「まちにダイブする」には、そんな歴史と背景があったんですね!

表参道での場所取り合戦が始まった

清水さん 表参道の再開発は、ひとまずブランドのフラグシップ店が入れるスペックの建物にしておこうという話になり、スペインの建築家リカルド・ボフィルの設計による、モダンクラシックなビルをつくりました。
 
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青山パラシオ

そして、テナントコンペをしたら、坪単価が当初の3倍強に跳ね上がったんです。各ブランドがその場所を取り合ったんですね。99年春、グッチのフラグシップ店がオープンすることになりました。

このとき、「経済の力って大きいなぁ」と感じました。“都市の魅力を高める”ということと、“経済のメカニズム”が合致したとき、すごい力が生まれるんです。

菜央 今や表参道といえば、各ブランドのお店が建ち並び、完全にブランドストリート化しましたもんね。

清水さん そうですね。この体験を経て、1999年に「都市魅力の経済研究会」というグループをつくりました。これが、のちにリノベーションスクールへとつながっていきます。

リノベーションまちづくりを理論化する

菜央 「リノベーションまちづくり」が本当にすごいことの一つは、理論化されていて、リノベーションスクールでイチから学ぶことができるという点だと思います。まち全体で学んで行動する仕組みができてる。いい意味で、清水さんの専売特許になっていないですよね。

これは僕の仮説ですが、一般論で言うと日本人って、考え方を理論化して広げていくことが苦手なんじゃないかなって思うんです。しかし、「リノベーションまちづくり」はぜんぜん違う。清水さんはリノベーションまちづくりをどのように理論化されていったんですか?

清水さん 理論化のきっかけになったのは、2002年からの千代田SOHOまちづくり検討会です。六本木ヒルズが建つというタイミングで、都心部でのオフィスビルの供給が過剰になる「2003年問題」が懸念されていた頃のことです。

エリアに空きビルが増えれば、家賃相場が下がり、エリアの価値が下がってしまいます。これからの神田の街をどうするのかを考える研究会に、ボランティアとして関わりました。

当時、神田はペンシルビルと呼ばれるような、老朽化した細長いビルが多くあり、不動産オーナーも多い街でした。私が参加した時点では、ある程度骨子は固まっていて、実現するにはどうしたらよいか、具体化するプロセスを担当する役目として関わったんです。

このときに練り上げた構想の中で、リノベーションまちづくりのポイントになる「家守」という言葉を初めて使うことになります。

不動産オーナー、事業オーナー、大学関係者を結ぶコネクターの役割をするのが「家守」です。

不動産オーナーと家守がプロジェクトを企画し、そこに事業オーナーが参加してくると、民間主導型のリノベーションまちづくりが動き出すのです。さらに大学関係者を巻き込むことで、若い力がまちの未来をつくる力になります。

民間の力で街は活性化できる

清水さん この構想では、神田駅西口の近くにある空きビルをまちづくりの拠点にすることを考えていました。100坪あまりの空物件に1000万円を投資し、シェアオフィスにするという計画です。入居率6割平均で5年で投資回収できる計算でした。

ところが、その構想をいざ実現しようという段になって、実行する人が現れなかったんです。お金を出すというのは、本気度の“踏み絵”になるんだというのはそのときに学びました。

結局、表参道に事務所を構える、いわば“ヨソ者”の私がやることに(笑)

大量に発生していた空きビルにクリエーター職の人を呼び込んで、地域を再生しようという試みが始まりました。8月に行った旗揚げイベントには、神田・裏日本橋エリア(特に東神田エリア)の再生に興味のある人が百数十名集まりました。
 
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イベントは夕方からのスタート。会場を暗くし、クラブ風の雰囲気を演出した

菜央 なるほど〜! 「実行する人が重要」ということに気づいたと。それにしても、なぜ東神田だったんですか?

清水さん コミュニティの結束が固く、かつ外部の人間も受け入れてくれるエリアを探したんです。5月の神田祭で御神輿がでるときに見て回ると、その地域の性格がよくわかります。

東神田というのは面白い町会ですよ。線維問屋を中心とした問屋街なのですが、コミュニティの結束が固くて、外部の人間を受け入れる懐の深さもある。まちづくりに情熱を持っている人物もいました。

菜央 そこでも、考現学的な観察が重要なわけですね。

清水さん そうなんですよ。神田祭りの2週間後に、タオルの卸問屋を営む鳥山さんと話し込んだところから、アートデザインイベントのCentrarl East Tokyo(CET)が始まりました。これは東神田エリアの空きビルを使って、毎年秋に10日間ほどのイベントを行うというものです。
 
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CETの展示や飾り付けがまちを変える

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公立高校を使った展示

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公共空間も展示スペースとして活用

菜央 そうすると、アート系の人たちの間で評判になって、エリアに変化が出てきそうですね。

清水さん 次第に、東神田エリアの空きビルに、アート系の人たちの事務所が入るようになりました。そして、5年くらい経った頃、コンテンポラリーアートのギャラリーができた。そうすると、何もしなくても、カフェ、雑貨店などが集まってくるようになります。表参道とよく似た現象が起きたんですね。

菜央 うわー、面白いですね。市民が集って動いて、まちが変わる。
 
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コンテンポラリーアートのギャラリーができると……

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おしゃれなカフェやライフスタイルショップなどが集まるようになった

行政を巻き込んでみたらどうだろう

清水さん このように、民間の力でまちの活性化はできます。ただ、行く先がわからなくなるんですね。CETに集まった人のベクトルは一致していました。でも、その後から入ってくる人はいろんな思惑を持っています。当初の方針が次第に拡散していって、ふと立ち止まってみると、自分たちは何のために何をやったんだろうとなる。

このころから、「行政を巻き込むことができるなら、その方がよいのでは」と考えるようになりました。

そんなことを考えていたときに、ちょうどタイミングよく、北九州市の課長さんからオファーが来たんです。「家守っていうのは、空きビルをただ活用するんじゃなくて、空きビルを活用することで自分たちのまちが抱えている課題を解決することですよね?」って。

菜央 ちゃんと清水さんの取り組んでいることを理解した上での依頼だったわけですね。「地域を活性化したいけれど、どうしたらよいかわからないので、何とかしてください」という他力本願な依頼ではなくて。

清水さん そうです。この機会に、行政と一緒に民間主導のまちづくりを超リアルにしてみたらどうだろうと。「チャンスだ!」と思いました。

菜央 おお、チャンスですねぇ! それが「リノベーションスクール北九州」につながっていったんですね。うわー、鳥肌です。

清水さん そこで、「小倉家守構想」を議論するところからはじめることにしました。いくら構想をつくっても、実行する人がいないと“絵に描いた餅”です。構想を実行する人を委員にしたらどうだろうと考えました。

今までのまちづくりでは、ほとんどの場合、行政が専門家を呼んできて検討委員にはまちの偉い人たちを充て職としてそろえて構想をつくっていた。ヨソ者がつくっていたんですね。

そうではなくて、構想を議論するメンバーとして、志を持つ不動産オーナーを選ぼうと。町の人の中から実行するところまでやる人を行政と一緒に選びました。
 
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リノベーションスクールの様子

菜央 ヨソ者がコンサルする机上の空論を元にまちづくりをすることをやめ、市民が集って動くことと、行政はそれをサポートすることを、合わせていく。これまでのまちづくりから見たら、大きな転換点ですね。

清水さん リノベーションまちづくりでリノベーションの対象になるのは不動産だけではありません。これまでのやり方がうまくいっていないなら、委員会をリノベーションすればいいんです。

菜央 なるほど、リノベすべきなのは、建物だけじゃないってわけですね。それにしても、疑問があります。もともと不動産や建築を専門にしていなかった清水さんが、なぜ、「まちづくりリノベーション」に取り組むに至ったんでしょうか……?

後編へつづく)

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