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ダンボールハウスで開放する破壊性と創造性! 鹿児島のアートシーンを支える「P and A」早川由美子さんに聞く、アートを通して伝えたいこと

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子どもたちがつくったダンボールハウス

「アートマネジメント」という言葉を聞いたことがありますか? 美術、音楽、演劇などの芸術活動を支援する方法論のひとつです。

より多くの人に、質の高い芸術に触れる機会を提供することを目的に、展示方法から広報に至るまで統一的にマネジメントを行います。アメリカに端を発し、90年代から日本でも広がり始めた、まだまだ歴史の浅い分野です。

そんな「アートマネジメント」に10年前から、しかも地方都市・鹿児島で取り組んでいるのが、NPO法人「P and A(ピー・アンド・エー)」代表の早川由美子さん

夏の終わりの風物詩となりつつある野外フェス「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」の開催地「かわなべ森の学校」や、「かごしま文化情報センター(KCIC)」の運営をはじめ、数々のプロジェクトに携わるなど、鹿児島のアートシーンを支えるキーパーソンのひとりです。

今回、これまでの活動を振り返っていただいた中で見えてきたのは、「アートを通して、今、子どもたちに伝えたいこと」。アートの力を信じ、その普及に尽力してきた彼女のストーリーをご紹介します。
 
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早川由美子(はやかわ・ゆみこ)
NPO法人PandA 理事長。誰の日常にも芸術は存在する事への気づきをミッションに、アートプロジェクトや展覧会、ワークショップなど、アートそのものを支援・プロデュースするほか、独自カリキュラムで養成する文化ボランティアを活かしながら、人々や地域の新たなつながりや魅力発見を目指し、日々、アートという「仕掛け」を利用した「仕組み」作りにチャレンジしている。

「人」と「芸術」を「つなぐ」仕事

「そもそも「P and A」とは?」と聞いてみると、「今でもよく受ける質問」と早川さんは笑います。その理由は、活動があまりに多岐にわたっているからかもしれません。

「People and Arts」=「人と芸術」という名の通り、アートを提供したい側(美術館やギャラリー、アーティストなど)と、アートを享受したい側をつなぐ橋渡し役がひとつ。

例えば、さまざまな不自由さを持つ人でも快適に観賞できるように、ユニバーサルデザイン設備の有無を含めたアート拠点情報の発信も活動当初から続けていること。

また、鹿児島では、美術系のアートNPOは他になかったこともあって、国際写真展や芸術祭などのアーティスト受入れや作品制作・設営・関連事業の企画運営など、アーティストやアート環境の直接支援は多岐にわたりました。
 
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GOOD NEIGHBORS JUMBLEEの会場となった「かわなべ森の学校」

他にも、私の中でアートマネジメントとしてやるべきことは沢山あって、これもまた一例ですが、南九州市の廃校「かわなべ森の学校」を、自然や日常の暮らしとアートを近づけるための文化拠点とする構想も、最初の一歩は地元の信頼を得ることからでした。

部落の集会に参加したり、鹿児島市で“草刈り隊”を結成して遠路はるばる出掛け、荒れるがままだった廃校の草払いをしたり。それで真っ黒に日焼けして、人から見たら「何をしてるの?」って思いますよね(笑)

でも、私の中ではすべてつながっているんです。

早川さんには、「P and A」発足から変わらない確固たる想いがあります。それは、アートをコミュニケーションツールとして、いのちや環境、自分自身や家族など、大切なことに気付けるシーンを生みだすこと。

その“集大成”として挙げてくれたのが「ダンボールハウスつくり」です。

子どもの想像力を開放する「ダンボールハウスつくり」


「ダンボールハウスつくり」の紹介動画

「P and A」では、ハサミやのりを使うことなく、誰でも簡単に組み立てられるダンボール製ミニチュアハウスキット「DanballHouse」を企画開発し、全国でワークショップを開催。これまでにのべ3万人以上の人たちが参加し、1万個以上の世界にひとつだけのハウスが完成しました。

親子で行うワークショップでは完成させることがゴールではなく、「そこで交わされる会話や共有する時間・場がとても重要で、それがDanballHouseのコンセプト」と早川さん。

だからこそ、「DanballHouseには“未完成さ”をあえて持たせている」と言うとおり、キットを渡された子どもたちの眼は、その“未完成さ”に色めき立ちます。
 
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屋根や壁を好きな色に塗り、落ち葉や毛糸、ボタンなど気に入ったものを貼り付たり。時には、屋根や窓を大きく切り抜いたり「破壊」ももちろんOK。

人間が本来持っている破壊性や創造性を開放させ、熱中する貴重な時間。つくられていくハウスには、現在自分が置かれている状況や望んでいることなどが自然に表現されていきます。

親が子どもの集中力に改めて驚いたり、子どもの考えていることを垣間見えたり、自分自身と向き合えたり、と「関係性」が「場」によって深まっていくのです。

子どもたちの様子から、大切なことに気づく大人たち。途中から、大人の方が夢中になっているシーンをたくさん見かけますよ(笑)

ダンボールハウスと向き合っている間は、親子や友人などの関係性から、ひとつのものをつくる人間同士になっている。

そのことがとても大切で、対等な立場で話し合い、一緒に手を動かす中で、それぞれの持つ違った一面に改めて気付けたり、誰かと何かを一緒につくっていくことの楽しさや難しさなど、将来にわたって必要となる感覚を体験できるんです。

例えば、毎年ワークショップを開催している小学校のPTAの方々は、完成したハウスを並べて、未来の地域のことを考えたり、地域みんなで子育てをするきっかけとしても活用しているようです。

そういうことにDanballHouseがお手伝いできることがうれしいですね。「ダンボールハウスつくり」はまだまだたくさんの可能性を秘めています。

今年は鹿児島県の全離島でのワークショップも開催し、今や「P and A」の一翼を担う存在となった「ダンボールハウス」ですが、その誕生は偶発的なものでした。

きっかけはツリーハウスプロジェクト

2009年、あるツリーハウスプロジェクトの一環で、子ども向けワークショップを検討していたときのこと。ツリーハウスの完成が楽しみになるように、段ボール箱を素材に小さな家をつくってもらおう、ということになりました。

ところが現場には未就学児もたくさんいて、更には小学生でもつくり慣れない段ボール箱で“家”をつくることは容易ではなく、子どもたち全員が“家”として完成させるには、もうひと工夫が必要でした。そこで、簡単に組み立てられるキットを作成したのです。

そもそもツリーハウスをつくる目的も、昔の秘密基地のような場所として、子どもたちに思いっきり自然の中で遊んで欲しいから。つまり、“家”を完成させることよりも、ツリーハウスをつくる森と子どもたちがどれだけ親しくなれるかの方が、ずっと大事ですよね。

そうして完成したハウスキットに、森のあちこちから集めてきた葉っぱやどんぐり、木の皮や小さな木の実などたくさん貼り付けて、見事に子どもたちの想うツリーハウスイメージができたのです。
 
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自然のものを拾ってつくりあげるのも魅力のひとつ

子どもたちは、知らない森に臆することなく、いつの間にかどこに何があるかもわかるほど親しくなっていきました。予想以上に大盛況で、お昼のお弁当を食べながらも手を休めず、結局午後に予定していた別な企画も中止になるくらいに夢中になって。

制作中、その小さな家が森の中に並んでいる様子がまた私の好きな世界で(笑) 子どもたちも、つくる楽しさに気づき、森の豊かさにワクワクし美しいものは楽しい、気持ちいいということを自然に受け取ってくれていたような気がします。

「このワークショップをもうしばらく育ててみたい」と思った早川さんは改良を加え、最初のワークショップから約半年後の2010年4月、ダンボールハウスは「P and A」の正式なプロダクトとしてリリースされました。
 
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少年犯罪への憤り。自分にできることを考えたらアートだった

ひとつのプロジェクトから派生して生まれた「ダンボールハウス」は、「P and A」発足前に早川さんが抱えていた、ひとつの思いとも呼応しています。それは、現代の子どもたちを取り巻く環境に対する強い危機感です。

きっかけとなったのは、今から18年前に発生した「神戸連続児童殺傷事件」。14歳の少年が小学生の男女5名を殺傷したこの事件は、その特異性から瞬く間に全国に知られるように。当然、当時会社勤めをしていた早川さんの耳にも入ります。

衝撃的でした。この事件前後は未成年者犯罪が多発していて、その度に考えさせられました。

社会や未来に希望を持てない子どもたちが大人になったとき、日本はどんな国になるのだろう? 心に傷を負った子どもたちのために、私にできることはないだろうか? と。

物心つく頃から絵を描くのが大好きで、学生時代に絵描きを志すほど、アートと身近だった早川さん。心は再びアートの世界へ向かい、現代の子どもたちに向けた絵本を書きたいという思いが芽生えるようになります。それは「P and A」発足の2年前のことでした。

それからの目まぐるしい日々を、「ひたすら走っていた」と表現しながら、それでも楽しそうに話してくれました。

会社に勤めながら、放送大学で“学びなおし”を始めました。美術史はもちろん、イギリス文学やフランス文学、経済学から環境アセスメントまで。これまでの振り返りと、これからに必要なものを探して学んでいました。その中で出会ったのがアートマネジメントだったんです。

パッと目の前が開けたような気がしましたね。絵本だと、手に取った子どもたちにしか伝えられない。アートマネジメントの力を借りると、子どもたちだけじゃなく、親や周りを取り巻く人たちにも一気に伝えることができる。試してみたい! と、どんどんのめり込んでいきました。

一方で不安もありました。その頃はまだ、日本全体を見ても事例の少ないアートマネジメント事業。本当にこの鹿児島で仕事にできるの? そこで、すぐにリサーチを開始します。

介護施設や老人ホームに慰問演奏をしている友人の楽団についてまわり、慰問する側と受ける側はどんな経緯で出会ったのか? 情報共有やスケジューリングの仕組みは? そして、お互いに実際にどう思っていてどんな要望を持っているの? など、ストレートに質問し、マネジメントの余地を探っていきました。

そんなとき、ある施設から「海外の楽団の受け入れを手伝ってほしい」という話が舞い込みます。

アートマネジメントの話をしたら、とても興味を持ってくれて。アーティストのアテンドから、来場者の整理、さらにMCまで担当しました。自信につながったし、鹿児島でも必要とする人たちはいる! という手応えを感じましたね。

リサーチ開始から1年後の2005年、いよいよ「P and A」が発足します。ミッションは「すべての人に芸術を」。誰の日常にも芸術は存在する。そのことに気づいてもらいたい。そんな強い気持ちが込められた言葉です。

自然がもたらす感動を、今の子どもたちにも味わってほしい

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かごしま文化情報センター(KCIC)

それから10年間、早川さんは鹿児島でのアート活動の普及と、環境改善に尽力してきました。その原動力について、早川さんは「根拠のない自信」と苦笑を浮かべながら、幼少期の大切な時間について話してくれました。それこそが、彼女が現代の子どもたちに伝えたいことだったのです。

鹿児島市街地にほど近い場所でありながら、緑豊かな集落で早川さんは育ちました。畑が広がり、小川が流れ、近くの竹林では牛が飼われていて、それら全てが早川さんの世界でした。

若葉の眩しさに、燃えるような深緑、秋の紅葉と、季節ごとに変わる色彩。小鳥のさえずりや虫たちの合唱。彼女は自然の中で美しいものたちに出会っていったのです。

のびのびと遊ぶことができたのは、2人の姉の存在が大きいです。姉は歳が離れていて、私からしたら両親含めて保護者が4人いる感覚。

常に守られている安心感の中で、自由を謳歌しましたね。というか、はちゃめちゃ、やりたい放題(笑)

父親も一風変わった人で、屋根瓦を鮮やかなオレンジレッドにしたり、庭に鉄棒やブランコ、シーソーを設置したり。早川さんは、そんな父親も家も、大好きでした。

こうした恵まれた環境の中で、もっとも熱中したのが絵を書くこと。落書き帳では飽きたらず、チラシの裏、さらには壁にまで。この頃描いた絵にまつわる、忘れられないエピソードがあるそうです。

私が中学生の頃、病気で入院し受験も諦めないといけないかなとふさぎ込んでいた時に、ふいに長姉が1枚のチラシを渡してくれました。驚きました。その裏に幼い頃の私の描いた絵があったんです。

チラシいっぱいに広がる大作。ずっと取っておいてくれたんですね。とても感動して。思い出すと今でも涙が出るくらい。

豊かな自然環境と、自由を尊重してくれる大人の存在。この2つが、子どもの心の成長にとっていかに重要かを、実体験として持つ早川さん。

だからこそ、「神戸連続児童殺傷事件」前後に多発した未成年者犯罪に、大きな違和感を感じずにはいられませんでした。

私にも過去、心身ともに苦しい時期があったけど、幼少期に自然と愛情溢れる家族や人の中で培った“強さ”があったから乗り越えられた。自分自身を見つめ直したり、再出発するパワーを与えてくれた。

幼い自分が享受した恵まれた環境・体験を、現代の子どもたちにも伝えたい! 自然は、美しいものは、変わらずすぐ傍にある! そんな気持ちに引っ張られて今までやってきた気がします。

精神の脆弱さを感じさせる昨今の未成年者犯罪。この解決すべき問題に、早川さんはアートでできることを探りました。そしてその一念は、「ダンボールハウス」として具現化したのです。
 
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次の10年に“つなぐ”もの

「P and A」の活動を通して、様々なアートと人をつないできた早川さん。これからのことについて聞いてみると、「次の10年を見据えて、」と答えてくれました。

この10年で鹿児島もずいぶん変わりました。アートシーンの旗手も増えましたし、新幹線をはじめインフラが整ったことで県外から多種多様な感性も入ってきた。ウェブの利用率も格段に上がり、情報提供の仕方も変わりました。

もう橋渡しをしなくても多くの人たちに届くかもしれない。アートコーディネーターとしての私の役割も終わりかなと。

こうして若手アーティストやプロジェクトリーダーが活躍し、ひとつの役目を終えた実感があるからこそ、早川さんは新たな目標を探っています。

いま感じているのは、「つなぐ」役割の必要性です。「つなぐもの」は多種多様あると思いますが、次の10年を考えたとき、50代を迎える私がその“つなぎ手”になれたらいいなと思いますね。

この10年で積み上げてきたものを、誰かに、何かに託すためにも、「つなぎ」ながら伝えていこうと思います。

早川さんがアートを通して伝えたいこと。それは、豊かな自然環境と、見守る大人の存在が幼少期にとってとても大切である、ということ。

自然環境は、「すべての人に芸術を」与え、人のつくりだす作品やそれを価値あるものとして人がまた享受していく循環の基礎をつくってくれる唯一のもの、ということ。

自然の中に飛び込む体験も、親子で向きあう時間も少なくなっている現代。時間や距離が邪魔をして、求めてもなかなか得られない現状にあって、アートを入り口にそれらを与えてくれる彼女の活動は、貴重な光のように思えます。

現在育児中の人は、親子でダンボールハウスつくりを体験してみませんか? 創造性を開放し、夢中で創作する子どものそばで、親であるあなた自身も何かをきっと受け取るはずです。

(Text: 塚本靖己)