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感性を研ぎ澄ますことで、生命力を高める。自然栽培でブドウを育てる山形の果樹園「白雲」 [野良的生活のススメ]

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特集「野良的生活のススメ」は、“野良”な生活、“野良”な働き方を探求する連載企画です。自由気ままに人間らしく、自然のリズムと共に生きる人々の知恵やアイデアを掘り下げ、野良的な感性をみなさんの元へ届けます。

都市の中での仕事と暮らし。そして、田舎と呼ばれる地域のそれ。今、ふたつの価値感の境界が曖昧になってきているように感じます。

それは、フィールドを飛び越え、場所を問わずに活躍する人が増えたからでしょうか。あるいは、都市であれ田舎であれ、感性を活かして生きるということに目が向けられているからでしょうか。

生き方の多様性が増えることは選択肢が増えること。この選択を突き詰めていくと、オリジナルな生き方が可能になってくるようにも思います。では、感性を養う“野良的な暮らし”とはどんなものでしょうか?そのヒントを探しに山形県に向かいました。

自然に対する信頼感。思い通りにはならないものに対する畏敬の念。

ぶどうの出来に目を凝らす松藤さん。
ぶどうの出来に目を凝らす松藤さん

見渡す限り、蒼く浮かび上がる朝日連峰の山々が連なる空。山形県寒河江市。出迎えてくれたのは「果樹園白雲」の松藤博人さんです。Tシャツの上からでもひと目でわかる、引き締まった体。日焼けした精悍な顔つきが印象的です。

松藤さんに先導されて車を走らせ、着いたのは葉っぱのグリーンが眩しいぶどう農園。松藤さんが“師匠”“天才”と仰ぐ工藤隆弘さんから譲り受けたという畑です。畑にはソファが置かれ、初老の男性が座っていました。

“師匠”、工藤隆弘さん。 “師匠”、工藤隆弘さん

「じじい、昼間っから飲んでんじゃねえよ」
そう言い放つ松藤さんに、男性はニコニコしながらなにやらぶつぶつ反論しています。そう、この人が師匠の工藤さん。見るからに…酔っ払いにしか見えませんでした。この時点では。

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清廉な果汁がすうっと染み渡るリザマート

松藤さんが「今、これが美味い」と教えてくれたリザマートという品種のぶどうを取ってくれました。赤紫色の弾力のある粒。皮ごとひとつ、口に含んでみます。清廉な果汁がすうっと染み渡り、後味のキレにも品を感じます。力強くありながら、まるで水墨画の一筆書きのような潔さです。

松藤さんのぶどう畑では、ほかの一般的なぶどう畑とは異なり、足元の草が多く、視界の大部分が緑色に埋め尽くされます。

雑草を刈らず、虫を敵とせず。120種類もの下草(松藤さんは雑草とは言わない)の多様性がぶどうの味に反映する。そうした環境を整えることができれば、あとはほとんどやることなんてないんだよ。生命力のある樹が勝手に育つからね。

そして、「生命力のあるものだけが残った」というぶどうの樹はわずかに5本だけだそう。直接的に果実をたくさん増やしたり、味を濃厚にするなどといった育て方ではなく、樹そのものが元気になることを考え、樹自身が育ちたい方向に少しだけ手を添えるようなやりかたです。

自然の生命力を信じて、手をかける部分は控えめ。そこに松藤さんの、自然に対する絶対の信頼感と必ずしも思い通りにはならないものに対する畏敬の念を感じました。

「ダボ松(=松藤さんのこと)、そんな難しい言い方したらわかんねえぞ」。
松藤さんにインタビューしていると、今度は工藤さんから野次が飛んできました。

答えて松藤さん。
「あんたのわかりにくい言葉をおれが翻訳してるんでしょうが!今日こそはホントに埋めんぞ」。

「もっと自分というものを表現できることをしたかったんだ」

りんご畑と工藤さん。 りんご畑と工藤さん

師匠の工藤さんは、その昔、新宿のど真ん中で働いていたと言います。そこから紆余曲折あって郷里の山形へ。

「農業から“業(=カルマ)”をなくしたい」という思いもあり、いわゆる自然栽培という手法で農薬や肥料を極力使わず、自然のままの力を信じてやってきました。無理なく育つぶどうの姿と、工藤さんの生き方がだぶります。自由気ままに人間らしく、自然のリズムとともに生きる姿です。

誰かが猿に日当を払って木を剪定してもらったことがあるか?盆栽じゃあるまいし、リンゴでも切り詰めたものはろくなもんじゃない。伸ばしきるから美味くなるんだ。今いる場所でどうやって良いものにしていくか。それしかないんだよ。

千葉県出身の松藤さんは約10年前に新規就農し、山形県にやってきました。転機となったのはその少し前。友人らと立ち上げたITビジネスがちょうど軌道に乗りはじめた頃のことだったといいます。

500万円投資すれば次の大きなビジネスになるっていう、でかいチャンスがあったんだよね。でもそこで仲間と話し合ってさ、「この仕事本当に好きか?」って改めて確認しあったんだよ。そしたらみんな「本音を言えば実はもっとやりたいことが別にある」って言うんだよ。

そこで自分自身にもこのITビジネスに心から情熱を感じるかを問いかけて、違うなと思ってやめることにした。お金が儲かるっていうことだけじゃなくて、もっと自分自身を表現できることをしたいと思ったんだ。

新規就農者として一歩を踏み出してからは、自然の声に耳を澄ませる生活。「農家を選んだのは間違いではなかった」と言います。

手の進化こそが人間の進化

五感を研ぎ澄ませ、自然の声を聴く。 五感を研ぎ澄ませ、自然の声を聴く。

松藤さんのように、農薬や肥料を極力使わない栽培を行うには、自然の声を聞くための身体性と五感を研ぎ澄ます必要があります。土の匂いを嗅ぎ、葉の厚みを確かめ、枝がどこに伸びたがっているかを見ていきます。また、感性を高めるという話の中で、松藤さんは手の大切さを教えてくれました。

4本足で生きてきた祖先が2本足で立ち、手を使うことで人間となった。手を使って火を使い、家を作り、暮らしを作ってきた。そしてどんどん器用にいろんなものを作れるようになった。だから手の進化こそが人間の進化と言えるはずなんだよ。

機械が増えた今の時代はなんでも便利になって、ますます手を使わなくても済むようになってきた。今はそれを文明の進化と言っていたりするけど、手の退化は人間の退化なんじゃないかと思うんだよ。

手仕事、手料理、手塩にかける。

昔から、日本語には丁寧に物事をおこなう言葉に“手”の文字が並びます。優れた手の性能で生きる“職人”と呼ばれる人が減り、日本文化の存続にも警鐘が鳴らされています。自分は普段、どんな手の使い方をしているだろうか。松藤さんの話を聞きながら、自分ごととしてまるで居場所がないような心地がしました。

感性を高めて生きる

生命力のあるぶどうに囲まれた官能的な暗闇。 生命力のあるぶどうに囲まれた官能的な暗闇

リンゴ畑、桃畑を回り、その夜、酒盛りをするということで、再びぶどう畑へ。昼間とは違い、虫たちの鳴き声、草が風にそよぐ音がより鮮明に聞こえてきます。

食べ物は人を作る。そして美味しい食べ物は人を健康にして、機嫌まで良くする。そして人が国を作る。すべての元になっている食べ物ってのはそれだけ大事なものなんだ。だからちゃんといい食べ物を選ぶ必要があるし、いいものがわかる感性が必要なんだよ。

今死んでもいいっていう生き方をどのようにしているか。最後まであきらめない仕事が人の心を打つ。明日があるという現実はラッキーなこと。そこでどう生きるか、どう表現するか。

食べ物と生命。そしてその生命を使って力の限りに表現すること。会話の中で語られる魂のこもった言葉にも圧倒されますが、言葉の後ろには、自信をもって語るに値するだけの真摯な仕事が見え隠れします。

都会にはない真っ暗闇。たまたまそこにあった、ランタンと細いろうそく2本だけの灯り。生命力のあるぶどうに囲まれた暗闇は、皮膚感覚を通して官能的にさえ感じました。

「生きたいように生きなければ、自分は誰も幸せにすることはできない」。松藤さんは、人生の転機において、このようにも考えたと言います。

自分の人生でありながら、ついほかの誰かの意思や環境に流されてしまうこともあるように思います。生きたいように生きる。けっしてわがままに振舞うということではなく、自分の人生を自分の手で作っていくこと。自然の声に耳を澄ませるように、自分の内なる声に耳を傾ける感性を高めることもまた、“野良的”と言えるのかもしれません。

今、松藤さんは新規就農希望者の支援にも力を入れています。興味のある人はぜひ、Farmer’s Market @ UNUのサイトで「果樹園白雲」の出店日をチェックしてマーケットへ!