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「邑南町に救われました」。島根にIターンして3年、シングルマザーの”おーなんさん”に、田舎暮らしのリアルを聞きました。(前編)

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いい話も悪い話も含めて、田舎暮らしのリアルが知りたい。そんな思いから昨年、島根にUターンして農家民宿を営んでいる「今ちゃん」に話を聞きに行きました。そして今年訪ねたのは、知り合いもいない状態からIターンした「おーなん」さんです。

おーなんさんのお住まいは、島根県邑南町の中心部。田舎といっても少し開けた印象です。かわいい文字で「Welcome to our house .We love Ohnan Town.」とペイントされた民家があります。「こんにちはー!」と声をかけると、田舎では見かけないようなオシャレな女性が出迎えてくれました。彼女がおーなんさんです。さっそく話をうかがいました。

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都会での生活。子どもが生まれて「何か違う」と

丸原 私もそうなんですけど、いま都会には田舎暮らしに興味を持っている人が増えているんですよ。

おーなん 田舎も都会も関係なく、国とかに頼らず自分たちの力で生きて行かなくてはいけない時代が来ているのかも知れませんね。どう生きていくのか、本気で考える人が増えているんだと思います。

丸原 田舎暮らしをしようと思ったきっかけを聞かせてください。

おーなん いちばん大きいのは、子どもが生まれたことです。スーパーに行って、大根とかを見たときに、これどうやってできているんだろうと考えたら、わからないんですね。そう思ったとき、私これじゃ生きていけないと思った。野菜も育てられない、土もいじれない。これって何か違うとふつふつと感じ出したんです。

そのとき広島のマンションに住んでいたんですけど、近くに公園がなくて、子どもをのびのび遊ばせるのも大変で。公園に着いたら私のほうがもうヘトヘトになって、もう子どもと遊ぶ余裕がない、なんてこともありました。そんなこともあって、ここでの生活はおかしい、田舎に行こう!と強く思うようになりました。

丸原 そこでIターン先として島根を選ばれたのはどうしてですか?

おーなん まず、両親が広島に住んでいるので、何かあったときにすぐに行ける距離のところが希望でした。当時レストランに勤めていたんですが、そこのシェフがこだわる人で、食材を選びによく島根の生産者さんのところに行っていたんです。それに私もついて行って、ああ、島根っていいかも、と思うようになったんです。

それで、調べてみると、家の近くに島根県の観光事務局みたいなのがありまして。そこで島根に移住したいんですけど、どこかいいところないですか、と聞いたら、3か所ほど紹介してもらえたんです。

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丸原 3か所の中で、邑南町を選ばれた決め手はなんだったんですか?

おーなん 都会で暮らしていると、田舎って暗いっていう印象がありますよね。最初に行ってみた2か所は、本当に山深いところにあって暗かったんです。人はよかったんですけど、そこに自分が住むというイメージが持てませんでした。邑南町は、展望台から見た景色がとても明るくてきれいだったんです。

あと、子どもが小さいときに体が弱かったので、大きな病院があることも魅力でした。すぐに定住コーディネーターの人に、ここに住む!と言っちゃいました(笑)。それが3年前のことですね。

定住コーディネーターとの出会いで話がトントン拍子に

丸原 「定住コーディネーター」という人がいるんですね?

おーなん はい。観光事務所の人につないでいただいたのが、邑南町の定住コーディネーターの方でした。その方は、私より1年先にIターンされた方だったんです。あの方と出会わなかったら、移住はこんなにうまくいかなかったと思います。横洲さんという方なんですけど、その方が邑南町で仕事をされるようになってから、Iターン者が飛躍的に増えたと聞いています。いわばIターンのキーマンですね。

横須さんがいらっしゃる前も邑南町役場には定住促進課という部署はありました。でも、地元の人ばかりだったので、優しく接してはいても、どうしてもIターンの方の気持ちをくみ取るのが難しい面があったのではないでしょうか。やはり、横洲さんのように、経験者だからこそわかる悩みをともに考えてくれる立場の人がいるというのは、外から来る人にとっては心強いですよ。

丸原 移住すると決めて、まずは住むところからですよね。

おーなん はい。住むところと仕事、この二つが決まってから引っ越ししましょう、ということになりました。11月から相談に乗ってもらって、こまめに、こんな仕事がありますよ、こんな物件がありますよ、と連絡をいただいて、トントン拍子で話が進み、3月に引っ越して4月から働くことができました。ご縁を感じますね。土地との縁というのを初めて感じました。

丸原 今お住まいの家は古民家なんですよね。

おーなん 最初は町営のアパートに住んでいたんですけど、ずっと古民家に住みたくて探していました。たまたま上司の親戚の家が空いているということで、そこを改修していただいて住むことになりました。邑南町では、Iターン者が住むとなると、町から100万円の改修費用が出るんです。

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丸原 今のお勤め先は?

おーなん 農林振興課で臨時職員として働いています。職場の人と仲良くなってきたころに、上司がいろいろと仕事をまかせてくれるようになって、どんどん仕事が増えていった感じです。Iターン農業者がどんどん増えてくると、地元の農家さんや町民の方とIターン者さんの気持ちが噛み合わないときが出てくるんですよ。それで、その心の溝を埋めたいとブログ「邑南町で農業しながら田舎生活」を立ち上げ、いろんな農業者を訪ねる活動を始めました。

農林振興課というのは、新規で就農される方が来られる窓口なんです。Iターンで農業をされる方もいらっしゃるんですけど、その部署にIターン者がいなかったんですね。なので、Iターン者として私ができることがあるんじゃないかと思っています。たしかにIターンで邑南町に来る人は増えてはいますが、出ていく人もいます。中にはここを嫌いになって出ていく人もいるわけですけど、そういう人を出してはいけないと思うんですよ。せっかく一度好きになってもらったんですから、ずっと住み続けてほしい。私は邑南町に来て救われました。だから、恩返しをしたいんです。

人が人を助ける、それが田舎では自然なこと

丸原 救われたというのはすごいですね。Iターンして生まれ変わった?

おーなん まさに生まれ変わったという感じです。町とかのために何かをしたいなんて考えたこともなかったんですけどね。

丸原 ご自分の中で何かが大きく変わったんですね。

おーなん 私は小学校まで広島で、中学から大学までは横浜だったんですね。横浜も好きな街ではありましたけど、住みたいとは思いませんでした。ゴミゴミした街の狭いアパートに7万も払って住むなんて嫌だなあ、と。

で、就職で広島に戻ってきたんですけど、小学校のときの友だちとはもうつながっていないですし、自分が育ったところという感じがないので、どこか孤独感がありました。邑南町はその点、人があったかかったんです。何のゆかりもないようなシングルマザーである私を、いろんな人が助けてくれるんです。

丸原 人が助けてくれるって、ありがたいですね。

おーなん はい、ほんとうに。広島で離婚して相談に行ったら、生活保護もらえばいいんじゃない、みたなことを言われて、すごく悔しかったんですよ。すっごく悔しくて、絶対に立ち直ってやるんだと思いました。

丸原 かわいそうな人、みたいな扱いは辛いですよね。

おーなん そうなんですよ。いま母子手当を受けているんですけど、広島だと、施しを受けてる人、という感じに見られることもあって。それが悲しくて悲しくて。だからどうにかして自立したいと思いました。広島では親のマンションに同居していたんですけど、ごみごみした都会で小さく生きるんじゃなくて、自立してのびのびと生きたいと。そこまで強く思えるようになったのは、子どもたちのおかげでもあります。子どもたちには感謝しています。

おーなんさんと邑南町という土地、そして定住コーディネーターの方との出会いは奇跡的です。でも、その流れを引き寄せたのは、おーなんさん自身の細やかな気づきと強い思い、そして勇気ある行動だったのではないでしょうか。

続く後編では農業についてのお話をお聞きします。お楽しみに。