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福祉の現場に音楽で場づくりを!”自分らしく楽しむ”を誰にとっても当たり前にする「リリムジカ」

Creative Commons: Some Rights Reserved. Photo by    Islam Elsedoudi

Creative Commons: Some Rights Reserved. Photo by Islam Elsedoudi

あなたがもし介護が必要になったら、と想像したことはありますか?わたしたちは事故にあうかもしれませんし、おじいちゃんおばあちゃんになったらだれかの助けが必要になるかもしれません。

一方、この記事を読んでいる方の多くは、好きなことを選んで楽しむことができます。例えば、好きなアーティストの音楽を聞いたり、ライブを観に行ったり、楽しい時間を自分でつくることができる。

しかし、もし介護が必要になったら、生活が制約され、人間関係は家族や介護職員にかぎられてしまうこともあります。介護現場の職員は利用者の生活をもっと豊かにしたいという思いを抱いていますが、人材不足等の理由で業務が忙しく実現できないことが多いそう。

こうなると、当たり前にできていたはずの“自分らしく楽しく生きる”ことがなかなか難しくなってしまいます。

それぞれのスタイルでだれもが楽しめる音楽を用いた場づくり

このような現状を改善していくために株式会社リリムジカでは、介護施設やご自宅を訪問し、45分間の音楽プログラムを実施するミュージックファシリテーション事業を行っています。

ミュージックファシリテーションは「音楽を用いた場づくり」という意味です。音楽はだれもがそれぞれのスタイルで聴いたり、歌ったり、演奏したりしながら楽しむもの。そんな音楽の特性を活かし、参加者それぞれが主体的に楽しめるよう考えられた空間をつくっているのです。

例えば、ある高齢者分野の介護現場での音楽プログラムの様子をみてみましょう。

「リリムジカ」のミュージックファシリテーターはピアノの前に座って挨拶をし、まず一言、「さて、今日は何の曲から始めましょうか」。

その日の気分によって参加者は曲をリクエストできます。

そしてピアノの演奏が始まると、歌い出す方、楽器を手にとって演奏なさる方、耳を傾ける方や中には立ち上がって踊りだす方も!プログラムが終わると、介護現場の職員とのふりかえりをし、次回のセッションにむけてのミーティングがおこなわれます。

ミュージックファシリテーターは職員や家族のパートナーとして、参加者の日常生活にも目を向けます。職員の方々は、利用者の知らなかった一面・本来の姿をみられて仕事に対するモチベーションにも変化が出ているとのこと。

例えば、人見知りでいつも居室にこもりがちな女性がセッション中、すくっと立ち上がって、「みんなで歌うと楽しいですね」と大きな声で話してくれたり、月に数回来るミュージックファシリテーターに対して良いところを見せたいと、いつもよりおしゃれをなさったり、みなさんはりきって参加者しているようです。

演奏家でも、先生でもない音楽の仕事「音楽療法士」

このような取り組みはどのような思いからはじまったのでしょうか。株式会社リリムジカを立ち上げ、現在取締役を務めていらっしゃる柴田萌さんにお話を伺いました。

「リリムジカ」取締役柴田萌さん
「リリムジカ」取締役柴田萌さん

4歳から音楽教室に通い、ピアノとエレクトーンを習いました。小学校ではブラスバンド部に所属したり、市内のジュニアオーケストラや合唱団に入ったりと小さな頃から音楽は好きでしたね。ただ、仕事にしたいという思いはなくって、趣味で続けられればいいかなと考えていました。

高校生になると父の影響でIT関係の仕事をしてみたいと思うようになり、理系の大学への進学を目指し、受験勉強をしていました。

そんな柴田さんに転機が訪れたのは高校3年生の5月でした。

母親との会話の中で「音楽療法という仕事があるらしいよ」と聞き、なんとなく気になって母が買ってきた入門書を読んだんです。そこで演奏家や音楽教室の先生以外で音楽を仕事にできると知り、驚きました。何より音楽が医療や福祉の現場で活かせるということが衝撃でしたね。

当時は理系大学への進学を目指して受験勉強をしていたこともあり、音楽療法士になりたいとまでは考えませんでしたが、音楽療法士という職業のおもしろさを友人や先生に語るようになりました。その時、先生から「柴田はその話をしている時が一番いきいきとしているな」と言われ、この言葉をきっかけに、音楽療法を勉強してみたいという自分の気持ちに気付いたのです。

母親に「音楽療法の勉強をするために音大を目指したい」と伝えたところ、母はすぐに「いいね」と。反対されていたらあきらめていたと思います。 

きれいごとで済まされない音楽療法の世界の本当の魅力

音楽療法について座学や実習で学んだこと、感じたことについて柴田さんはこう語ります。

入学するまでは、音楽療法について「音楽の力でクライアントが癒された」といったキレイなイメージばかり先行していたんですが、先生から現場でのエピソードを伺ううちにその世界の厳しさを知りました。例えば、先生がクライアントの看取りの瞬間に立ち会ったお話をしながら、泣いてしまう姿を目の当たりにしたり。。

3年目になると実習が始まります。実習は「高齢者」「障がい児」「精神科」の3つの分野があるのですが、高齢者だと80・90代の方とコミュニケーションをとることに難しさを感じ、苦手意識を抱きました。どこか別世界に住む人に感じられ、「何を話せばいいのか?」と悩みました。

音楽療法の現場の本当の厳しさや難しさを感じた一方で、柴田さんは魅力を強く感じる経験をします。

障がい児分野の実習のとき、小学校2年生の自閉症の男の子の担当になりました。初めてお会いしたとき、無表情で近くに行っても離れられてしまい、声を掛けてもふり返ってもくれず、どうやってコミュニケーションをとったらいいかわからなかったんです。

しかし音楽療法の実施中、先生がピアノを弾いて演奏をやめた瞬間、その子がピアノの方を見たんです。この時、音をちゃんと聞いていることがわかり、諦めずにかかわってみようと決めました。それから、色々なかかわりを通して自分が認識されていると感じられるようになりました。

やがて、その子がトランポリンを跳び、それに合わせて先生がピアノを弾くという時間中に、私の手を引っぱって「一緒に跳ぼうよ」と表情で訴えかけてくれたのです。このときは感動しましたね。同時に、その子とのコミュニケーションツールになった音楽の力を再認識し、音楽療法士という仕事の必要性も実感しました。

音楽プログラム中の柴田さん音楽プログラム中の柴田さん

理想の会社がないから、つくるしかなかった

音楽療法の仕事をしたいと考えるようになった柴田さんですが、ある厳しい現実に直面します。

音楽療法士の働き方として代表的なのは施設の常勤音楽療法士のほか、非常勤の音楽療法士の掛け持ち、介護士として施設に就職し音楽プログラムの担当になるなどの選択肢があります。しかし、常勤音楽療法士の求人はとても少なく、その他の働き方は収入が安定しにくいのが現状です。

一生懸命、音楽療法について私たちは学んでいるのに仕事にならない現実に悔しい思いをしました。音楽療法士を集め、派遣するような会社があれば働きたいなと探すようになりましたが、そのような会社もなかったですし。

そこで、また柴田さんに転機が訪れます。

母親にこのような現状を話したところ「働きたい会社がないのなら、つくったら?」と言われました。それを聞いて「ああ、そうすれば良かったのか」とすぐに納得したんです。

そこで大学4年生の10月から、ビジネス観を身につけるために介護•医療分野の人材紹介の会社でインターンを始めることにしました。どこかの企業に就職して2・3年たってから起業しようとも考えたのですが、それをインターン先の社長に告げると「周りにたくさん起業すると言う人はたくさんいるけど実際やるのは一握りなんだよ」と言われ、その場で「卒業後すぐにやります!」と勢いで宣言していました。

さらに、ある出会いが「リリムジカ」創業のスピードを加速させます。

ETIC.が主催する社会起業家を目指す人向けの講座を受講し、そこで「障がいのあるお子さんと音楽療法士をつなぐマッチング事業」についてプレゼンしました。それを聞いて話し掛けてくれたのが後に共同経営者となり現在代表取締役を務める管です。

私のプレゼンを聞いて、熱い思いをずっと持ち続けそうだと感じたそうで、講義後ふたりで話し合い、一緒に起業をすることになりました。ひとりで起業することに不安を抱いていたので、仲間ができたことは本当に心強かったですし、恵まれていましたね。

音楽療法士残酷物語を書きたいのか?!

起業準備を経て、2008年4月1日「リリムジカ」が設立しました。しかし、事業はなかなか軌道に乗らなかったそうです。

障がい者•障がい児の日中一時支援をするNPO法人から最初の仕事をいただきました。障がいも年齢もバラバラで一緒に何かをすることが難しいので、音楽を用いてみんなが楽しめる場を月に1回つくってほしいとのことでした。1年弱はその仕事しかやれなかったですね。どのようにサービスを拡げていったらいいのかわからなかったんです。

その後2008年9月から「NEC社会起業塾」に参加し、事業について厳しくも的確な指摘を受けます。

塾長から「君たちは音楽療法の対象になり得る人を幸せにしたいのか、もしくは、音楽療法士に仕事をつくって幸せにしたいのか優先順位をつけなさい」と言われたのですが、優先順位をつけられませんでした。

大学で苦労して勉強しても、音楽療法士として働けない現状について語ると「君たちは音楽療法士残酷物語を書きたいのか?」と指摘されたんです。私は何も答えることができず悔しい思いをしました。

この厳しい一言を受けて、事業をもう一度見直すことになります。

まず、共同経営者の管の提案で2009年1月から音楽療法の対象になり得る障がい者、高齢者、その家族や介護職員に対してインタビューをしました。結果、対象者の生活に足りないことは日常の楽しみで、職員は1人ひとりの利用者と向き合う時間がなかなか取れないことがわかりました。

また、毎日のレクリエーションもいつも同じになってしまうという悩みも伺うことができました。このような悩みを解消する事業内容にしていこうと考えるようになったんです。

少しずつひろがっていく輪

参加者の方とお話される柴田さん参加者の方とお話される柴田さん

インタビューをきっかけに、ある高齢者のグループホームの方から「リリムジカ」のサービスに興味を持ってもらうことになります。実習時から柴田さんが苦手意識を抱いていた高齢者分野の施設で、初めは戸惑ったそうですが、かかわり続けていくうちに少しずつ認識が変わっていったのだとか。

例えば、手を握って下さって「あなた手が白いのね」と仰ってくださったり、実際かかわってみると私たちと何も変わらないことに少しずつ気付いていきました。そこから苦手意識がなくなり、高齢者分野の施設にもサービス提供先をひろげていくことができたんです。

その後は戦略的な営業というよりも、介護に関する勉強会やイベント等に参加することで、ちょっとずつビジネスをひろげていきました。

左から、SVP東京の支援チームリーダーの入部さん、「リリムジカ」代表取締役の管さん、取締役の柴田さん、ミュージックファシリテーターの梅崎さん
左から、SVP東京の支援チームリーダーの入部さん、「リリムジカ」代表取締役の管さん、取締役の柴田さん、ミュージックファシリテーターの梅崎さん

音楽療法からミュージックファシリテーションへ

事業を拡げていくなかで柴田さんは“音楽療法”という言葉に違和感を抱くようになります。「リリムジカ」が現在やっているのは“療法”なのだろうかと。そして、リリムジカの事業を“ミュージックファシリテーション”と呼ぶことにしたのです。その経緯についてはこう語ります。

“療法”の成果は対象者ひとりにどんな変化があったかで測られます。例えば、認知症の方に対する療法の場合、臨床評価が良くなったかどうかを重要視されることがあります。

しかし、リリムジカはそれより大切なものがあると考えています。例えば、笑顔。認知症の進行を遅らせることも大切ですが、認知症があってもそれでもなお元気に穏やかに楽しく暮らせることがより大切なのではないでしょうか。介護の現場で仕事をするうちに、そう感じるようになりました。

また、対象も本人だけではなく、職員や家族にも貢献することで、現場全体の活性化を目指しています。

そんなことを外部の方にお話した際、「リリムジカさんは“場づくり”をしている」と仰っていただきました。その言葉がしっくりときて、「リリムジカ」の事業を“ミュージックファシリテーション”と呼ぶようになりました。これからも、月に数回訪れる外部の人間だからこそできることを介護現場に提供していきたいです。

ミュージックファシリテーションを必要とする介護現場は相当数あることが予想されます。現場で働く職員の方々にとって、リリムジカのようなパートナーがいることはとても心強いはずですね。

今後の目標は音楽プログラムを実践する介護施設を増やしていくこととミュージックファシリテーターを増やすこと。リリムジカの取り組みがひろがっていき、多くの方にとって“自分らしく楽しむ”のが当たり前となる社会になることを期待したいです。