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何度つまずいてもリスタートできる社会へ。ドロップアウトした生徒の大学受験を応援する「キズキ共育塾」[マイプロSHOWCASE]

Some rights reserved by Jessica.Tam

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現代の日本社会では、不登校や高校中退、ニートなどでレールを一度でも外れてしまうと、戻るのは簡単なことではないという現状があります。そんな様々なかたちで人生につまずいてしまった若者たちをサポートしているのがNPO法人「キズキ」です。
 
「勉強がつまらない」「学校に行けなくなってしまった」「大人になったけれどもう一度受験がしたい」などの理由で「もう一度勉強したい」と願う全ての生徒を「キズキ共育塾」はサポートしているのです。

同じ経験をしているからこそできること

メインの事業は、「受験を通じて人生をやり直したい」と考えている若者たちに、大学受験のマンツーマン指導を行うこと。ドロップアウトした人にとって、受験に成功し大学に通うことは大きな自信につながります。

そのように彼らの人生を変える手助けをするのは、いわゆるカリスマ塾講師ではありません。キズキ共育塾の講師は全員不登校・中退経験者で、過去にドロップアウトして苦しんでいた人たちなのです。

講師ミーティングの様子
講師ミーティングの様子
 
同じ経験をしていたからこそ、勉強を教えるだけではなく生徒たちの気持ちに寄り添うことができます。成功体験を持つ講師の存在そのものが、彼らに希望を与えるです。他にも、「ゼロからの勉強」の指導を受けられたり、予習・復習も徹底的にサポートしてくれるところが他の塾とは異なります。

さらに無料学習相談会という形で、高校中退・不登校・ニート・フリーターなどを経験された人や勉強においてブランクがあり受験に対して不安を抱えている人、そうした状況にあるご本人の方はもちろん、こうした悩みを抱えられる保護者の方々が、日頃の悩みや不安を打ち明けられる機会も提供しています。

巣鴨にある教室は和室もありアットホームな雰囲気!気軽に訪れることができ、とてもくつろげる場所でした。このような事業を行うNPO法人「キズキ」はどんな思いから立ち上がったのでしょうか。その経緯を代表の安田祐輔さんに伺いました。

代表 安田祐輔さん

代表 安田祐輔さん

人生を180度変えた大学受験

この事業の誕生には、安田さん自身の原体験が大きく影響しています。

小学生の頃は勉強ができるタイプでした。しかし家庭が崩壊し、中学生になると二年おきくらいに寮や親戚の家など色々な場所を転々として、どこにも居場所がなかったんです。時には暴走族の下っ端みたいなことをやっていた頃もありました。

でもだんだんと18歳の時、「一生このままでいていいのかな?」という疑問を抱くようになりました。そして「立派な大人に生まれ変わりたい」と思い直し、社会との接点を持つために新聞を辞書片手に読んだり、ニュースに関心を持つようにしました。

そんなときに空爆で家が破壊され、家族が殺されてしまったアフガンの子供の特集をテレビで観ました。あまりにもひどい状況下にいる子供の存在を知り、どうしてこんな事になったのか知りたくなり、「間違った社会を変える仕事がしたい」と自覚したんです。「そのためにはまず大学に入って国際関係を勉強したい」、そして「生まれ変わりたい」と思うようになりました。

ここから安田さんの大学受験への挑戦がはじまります。

勉強を全くしていなかったので一から始めなくてはなりませんでした。一切の遊びを封じ、一日14時間勉強する生活を続けたんです。その結果、ニ浪して国際基督教大学に合格でき、少しだけ前に進めた気がしました。

「尊厳」を守る仕事がしたい

Some rights reserved by / Piers Brown
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大学に入学してからは、自分のやりたいこと、できることは何かと考えながら、とにかく様々な活動をしていきます。

立ち上がったばかりの、イスラエルとパレスチナのための学生NGOの代表として活動したり、その実績からルーマニアの研究機関で働いたりもしました。けれども、ルーマニアでは紛争地に行ったこともない人が偉そうなことを言っているのに違和感を抱き、自分は世界の一番の底辺とされる国の底辺にいる人と一緒に生活して、そこから世界を見て何ができるか考えたいと思うようになりました。

その思いから大学生活の終わりには、バングラデシュの娼婦街の女の子たちと一緒に生活して、彼女たちの映画を撮っていました。彼女たちの多くは騙されて貧しい農村から売られてきたのですが、働き始めると着飾ることができるほどのお金を手にすることができます。けれども、鬱状態でそこから抜け出せなくなってしまっている人がいました。

一方、貧しいとされている農村では、地域・友人の繋がりがあり、更に彼らはそれを誇りとしていました。彼らの貧困問題は、衛生・医療・教育など多々あるものの、決して餓死するという類の貧困ではありませんでした。貧しくても、幸せそうに生きている人々が沢山いました。

娼婦街の女の子たちと農村との対比の中で、人はどんなに貧しくても、お金や暮らし向きによってではなく、「尊厳」によって生きているのだ、それを守る仕事がしたいと肌身で感じるようになりました。

選択肢は起業しかなかった

途上国の現状を見た安田さんは、日本に戻ることを決心します。 

現地で自分に何ができるのか分からなくなり、帰国後に就職活動をして商社に就職しました。そこではアフリカの石油の投資に関わる仕事をしていましたが、自分が誰のために働くのかや、どう働きたいのかが見えなくなり、結局辞めてしまいました。

そして自分が働く上で大切な3つのことに気付き、それがある決断へと導きます。

一つ目は自由でいたいということ。服装のルールや時間に縛られたくありませんでした。海外で働くにつれて、日本で働くことの「不自由さ」に違和感を持つようになっていました。

二つ目は本当に自分が正しいと思うことをしたい。三つ目は自分の力を発揮できる仕事をしたいということです。そしたら、選択肢は起業しかなかったんです。

安田さん

バングラデシュから日本に帰国した後は、会社で働きながらホームレスの方々と勉強会をしたり、炊き出しに参加したりしました。その経験から、いったん社会から外れてしまうと戻るのには困難な日本社会の現状を知ったんです。

そこで、「どんな状態になってもやり直せるような、希望のある社会をつくりたい」と思ったんです。まずは、自分が大学受験で人生を変えた経験を生かして、塾事業を始めたいと考えました。

勉強きっかけで作れる居場所

実際に始めてみたことで、改めて「キズキ共育塾」の事業の必要性を実感していると安田さんは言います。

「キズキ共育塾」はただ勉強を教えるだけではありません。様々な悩みを抱えた生徒たちの悩みの相談を受けるので責任重大ですが、しっかりと関係性を築くことで生徒たちの”居場所”をつくれていると思います。そのため、勉強だけでなく交流会などコミュニティづくりのためのイベントも開催しています。何度でもやりなおせる社会の仕組みをつくるために、近い将来行政にも関わっていけるといいですね。

確かに日本は一度社会から外れたら戻れない風潮があるように思います。それを恐れて希望も持てないまま生きたり、外れてしまってそのまま人生を送らなくてはならないというのはとても悲しいこと。NPO法人「キズキ」のような活動が広がり、やり直したいとおもった時にやり直せることが当たり前になるといいですね。

NPO法人キズキのホームページをチェックしよう!

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