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「人間そんなに立派じゃないんだ」糸井重里と被災者が、ゆる〜くホンネで語りあった『東北復興緊急ギャザリング “白熱教室”』[イベントレポート]

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「東北復興を通じて新しいコミュニティ “未来の子どもたちの尊厳を守れるまち”を実現する」をコンセプトに行われた『東北復興緊急ギャザリング ~ソーシャルビジネスの力で日本(東北)から未来は変わる~』。午前のスペシャルセッションに引き続き、午後の部は、東北で復興に向けて動く方々をゲストに迎え、東北の未来について語り合う「白熱教室」が開催されました。

ファシリテーターは「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎日、震災に関する情報を発信し続け、昨年11月には気仙沼に初の支社「気仙沼のほぼ日」を立ち上げた、ご存知、糸井重里さん。糸井さんの巧みな話術で、普段見せないゲストのみなさんの素顔が明らかに……!? たくさんの笑顔が飛び交った会場の様子をレポートでお届けします。

東北の復興を誓う10名が参加

この日、会場の六本木ヒルズアカデミーに集結したのは、気仙沼や陸前高田で、街や商店の復興に向けてまい進する10名のみなさん。お名前だけで恐縮ですが、下記にご紹介させていただきます。

【「白熱教室」参加者のみなさん】
小野寺靖忠さん(株式会社オノデラコーポレーション(コーヒーショップ「アンカーコーヒー」) 専務取締役)

久保田崇さん(陸前高田市 副市長)

河野通洋さん(株式会社八木澤商店代表取締役社長)+従業員2名

斉藤和枝さん(株式会社斉吉商店 専務取締役)

田村満さん(株式会社高田自動車学校代表取締役社長)

長谷川順一さん(株式会社長谷川建設代表取締役社長)
松田宰さん(チーム・クレッシェンド 代表)

八木健一郎さん(有限会社三陸とれたて市場 代表取締役)

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メディアでそのお名前やお顔をご存知の方もいるかもしれません。津波によって自らの事業にとって壊滅的な被害を受けながら、それでも再建に向けて歩みを進めているみなさん、さらには、出身地の復興に向けたプロジェクトを展開する方や行政の方も、勢揃いしました。

一方の糸井さんは、「ほぼ日刊イトイ新聞」にて震災直後から毎日情報発信すると共に、度々被災地を訪れ、取材と復興支援活動に取り組んできました。被災地に足繁く通い、「できること」を探す中で生まれた数々の出会いと気付きから、昨年11月には「気仙沼のほぼ日」を設立。この場所を「ほぼ日」のハブとして、新たな取り組みをスタートさせています。

ゲストのみなさんと糸井さんは、既に取材などでよく知った仲。和やかな雰囲気の中、「白熱教室」は始まりました。

ふざけている部分も含めて、被災地です。

お正月、何してましたか?

トークの最初に、糸井さんから投げかけられたのは、意外にもこんな質問。この話題から始めることには、糸井さんのこんな意図がありました。少し長いですが、このイベントの趣旨として大事なコメントなので、会場で語られた、できるだけそのままの言葉で、お届けしたいと思います。

こういった問題に関しては、私は、はっきり言って素人です。でも、河野さん(株式会社八木澤商店代表取締役社長)からこのギャザリングのお話をいただいたときに、やってみたいと思った理由がありまして……。

こういう問題に関心を寄せてくださる方は、散々経験したり勉強していますから、いい人なんですよ。いい人で、ファイトもあるし、頭も回る人が集まっちゃうので、たぶん、周りがしょうがなく見えると思うんですよ。「どうしてわかってくれないんだろう」「どうして自分のやっていることが伝わらないんだろう」とか、そういうことになるに決まっているんです。

でも、「おれは違うぞ」という会をやりたかったんです。「被災地で果敢に復興に向けて立ち上がる河野社長です」というのが、僕らが普段メディアを通して触れる河野さんです。でも、多分しょうもない部分もありますよ(笑)。ふざけているバカみたいなところも含め、河野さんなんですよ。

さらに糸井さんは、「続ける」ということに視点をおいて、こう語りました。

ぼくらが「気仙沼に事務所をつくらなければいけないな」と直感的に考えたのも、そういう仲間でやっていかないと、続かないと思ったからなんです。地球がどうあるべきかとか、人類のターニングポイントとか、学者さんがやりとりするにはすごく大事なテーマだと思うんですけど、今日明日を具体的に生きている人間が、そういうことばかり考えて生きているはずがないんです。

大文字で書かれた物語の他に、様々なしょうもない台詞があったり、小文字で書かれたくだらないことも含めて「被災地」なんだということを、現地に通われている方々はよくご存知だと思います。でもそちらを知らない方々からの、「あの人たちが寒い中がんばっていると思うと、自分が受験なんかでへこたれていてはダメだ」なんていう純粋なお便りなんかを読むと、「大丈夫だよ、あいつらだって遊ぶ時は遊んでるよ!」と思うんです。

いつも熱血社長であるはずがなくて、それがひとまとめになって本当の力が出るんです。冗談まじりでできる時はそれでいいじゃないですか。歯を食いしばるときは、食いしばればいいじゃないですか。「遊ぶ時は遊ぶ」「力を入れる時は入れる」ということを本人たちがものすごく上手にやっているんですよ。そうじゃなかったら、こんなに長い時間続くはずがないんですよね。

その本当の部分みたいなのが、今日はもう正直にできる場所です。「意を決して」とか「歯を食いしばって」じゃない話し合いで、今、個人の想いとしてどう生きようとしているのか、どんなところが問題だと思っているのか、というところを、たっぷりと、好き勝手に、個人の想いとしてしゃべっていきましょう。

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”被災者“と聞くと、私たちはどうしても構えてしまうところがあると思います。「何もできない」という無力感と罪悪感に襲われてしまうこともあるでしょう。そうじゃない一面を知って、被災地のみなさんと息の長い付き合いをしていきたい、糸井さんは、そんな想いで今日、この場に立っているのです。

私たちのお正月、そして“あのとき”感じた本音

さて、冒頭の質問に戻りましょう。マイクをまわされたゲストのみなさんは、実に楽しそうに、お正月のできごとを語っていきます。

元旦に起きたら寝違えちゃって、さらにぎっくり腰になっちゃって、一年の厄を年始に落としました。仕事はコーヒーショップのみなさんに「よろしくね」って言って。被災地だって寝違えるぞ、ということですね(笑)。(小野寺さん:アンカーコーヒー)

今、仮設やアパートで、以前より家がとても狭くなったのですが、「入れただけでもいい、3年後でいい」とみんなのんきに喜んで暮らしていたんです。でも、お正月になって、各種行事をこなすとなるとやっぱり狭くて、「早く家を建てなければ」と、急に変身したんです(笑)。聞くところによると、正月を経て、随分そういう家があったようです。やっぱり田舎の人達は行事をとても大事にしてきたんですね。これはなかなかいい衝撃だったのではないかな、と思っています。(斉藤さん:斉吉商店)

こんな世間話からトークは始まり、次第に震災当時から抱いていた本音を語る方も現れました。

24時間公務を求められてきたところがあって、遊びのツイートがしにくいんです。私は身分を明かしているので、漫画を読んでいるとか、テレビを見ているとか言えないわけです(笑)。私の方には市に対する要望が次々に寄せられてくるので……。それに義援金を持ってきてくださる方もいるので、市役所の中でも土日は休みづらいところがあって、うまくやっていかなきゃダメだな、と思います。(久保田さん:陸前高田市副市長)

社長(河野さん)が「全員雇用したまま続ける」と言った時、「何言ってるんだろう、テレビ向けのパフォーマンスかな」って思ったんです(笑)。目の前で会社が流されている場面を見ていたので、仕事をする場も無いですし、パソコンもデータもあらゆるものがなくなったのに、「何するの?」と思ったんですよね。場所を借りても、内陸に移転しても、これから先の見えない不安が続いていたんです。でもその後も「新しい会社の専務をやる」など大事なことも社員には事後報告で、まあ、震災前からそうなのですが、そういう人なんです(笑)。(阿部さん:八木澤商店勤務)

「遊びのツイートができない」と語る陸前高田市副市長の久保田さん

「遊びのツイートができない」と語る陸前高田市副市長の久保田さん

“被災者”と呼ばれる方々から語られるまさしく“本音”のトークに、糸井さんは、

まさに今日語りたかったのはそういう話なんですよね。後で語るときは「これを見つけた」という話になりますが、「ゼロになった」という実感は誰も味わっていないと思うので、そこから今に至るまでの話を聞きたかった。みなさんが強靭になっちゃったところというのは、なんだか別物な感じがします。でも、今語っているような部分も含め両方本当なんだろうな、というのが実感できました。

と結び、トークは後半へと続いていきます。

「何かがある」と思わなければ生きていけなかった人達の想い

後半のトークは、被災した中で見つけた希望についての話から始まりました。

前半のお話の中に、大事なヒントがいくつかあったと思います。特に重要な部分だと思うのは、何も無くなっちゃったとき、「何かがある」と思わなければ生きていけなかった人達だということです。

そういう人達が、「ちょっとでもある何か」をどうやって探したか、というお話が、おそらく今日の「東北はこうなりたい!」というテーマに重なりますし、東北をこれから語る上でのビジョンにもつながると思います。「何が芽だと感じたか」ということを、思いつくままに話していただきたいと思います。

と語る糸井さんにマイクを渡されたのは、前半でも何かと話題になった八木澤商店の社長・河野さんです。河野さんは、200年に渡り醸造業を営む八木澤商店を全員解雇することなく、再建に取り組んでいます。

単純に言うとまず、「醤油工場を建てるお金はないな」というのがありました。何か使えるものは無いか、と探したときに、津波に飲み込まれた工場の中にステンレスの釜が残っていたんです。それは洗えば使えるな、醤油はダメだけどタレならいけるな、と。

あと、再建できる可能性を感じたのは、会計のデータなんです。税理士事務所の先生が、流されたデータをガレキの中から見つけてくれて、2月末までの月次の決算がわかったんです。この記憶の部分がなくなると、どうしようもなかった。お金はなかったのですが、借金の返済を止めて、給料に回せばなんとかなるかな、と。

それから震災後1ヶ月くらいのときに、斉吉商店の斉藤さんに「いつタレつくりますか?」と言われました。斉藤さんはすごいです、立派な工場も全て流されたのに、「ラッキーでした」って(笑)。

「ステンレスの釜に希望を見つけた」と語る八木澤商店の河野さん

「ステンレスの釜に希望を見つけた」と語る八木澤商店の河野さん

こう語る河野さんに対し、回船問屋を営む斉吉商店の斉藤さんは、“ラッキー発言”の裏側にあった思いを、こんな風に話してくれました。

社員もみんな生きていた、という段階で、「ご飯食べなきゃね」「水を汲まなきゃね」みたいな単純な考えになるので、頭が真っ白になるような時間は短かったですね。社員のみんなが「早くまたみんなで仕事したい」って言ってきてくれましたし、選択肢がないので、すごくシンプルに物事を考えていたと思います。

もうひとつは、震災前から、経営もきつくて困っていたんです。「こうなりたい」というイメージがあって、でも長い間思うように進められなくて、ジレンマを抱えているときに震災が来ました。ですので、「じゃあ、何も無いから一歩ずつ積み上げていけばいいんじゃない?」という思考になれたのは、ラッキーだったな、と思います。

「ラッキーでした」と語る斉吉商店の斉藤さん

「ラッキーでした」と語る斉吉商店の斉藤さん

しかし、ビジネスを考える立場上、避難所ではこんな不都合もあったようです。

避難所にいながら再建の話をしていると、「お金儲けの話をしている」とあまり良く思われないので、早く出ないとな、と思いました。

糸井さんはこれに対し、

斉吉商店さんは、伊勢丹の催事でもものすごい売上をあげているわけで、元々のコンテンツに魅力があります。そこに注目というかけ算が今ある訳で、ビジネスのチャンスでもある訳です。

「こちらに目が向いているうちにがんばろうぜ、忘れられちゃうのが一番困る」とみなさんおっしゃるんですが、その状況をこのような場でもう一山作って、自分たちで鍛え上げていっているというのは、今までの地方の方々ができなかったことです。でもここにいるみなさんは、自分が生きる糧を稼ぎ出すのと同時にそれをやっていらっしゃるから、僕はここが勉強の場だと思っています。

と、震災をチャンスと見なしてたくましく立ち上がった皆さんを讃えました。

「想い」ではなく「アイデア」で被災地と長い付き合いを

トークの最後には会場からの質問タイムが設けられましたが、その中には復興プロジェクトに携わっている愛媛の学生さんから「忘れてほしくないというお話がありますが、何かしら動いている学生がいるということを覚えておいてください」という熱いメッセージも。

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糸井さんは最後に、この発言を受けるように、これから私たちが「忘れない」ための方法論を語ってくれました。

「忘れる」「忘れない」の問題というのは、記憶には残っていても、「もういいんじゃない?」という気持ちが絶対にあると思うんですよね。人間って、そんなに立派じゃないんですよ。でも同時に、「見くびったもんじゃない」って思う立派さもある訳で、その両方を持った人間が長く付き合っていくアイデアを、本気で考えることが必要なステージに入ったんだと思います。

忘れちゃうのが人間なんです。「心が大事だ」とか言いすぎるのはやめて、クリエイティブを足すことで、その「心」の部分を何か「できること」に変えて付き合っていくのが大事なんじゃないかと思います。今年はそっちに向かう年だと思うんですね。

人間は立派なものだと思い過ぎないで付き合っていくことで、5年10年の復興ができると思うし、そこから学ぶこともあると思います。もう去年の形の「想い」ではなく、「いいこと考えた!」と言い合うことで日本中が忘れない方向に持って行きたいな、と思います。

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力を入れて「がんばろう!」と声を揃えるステージは終了したのかもしれません。でもそれは、決して被災地のことを忘れてしまったということではなく、新たな付き合い方へ移行する段階に入ったということ。その移行に苦しむ人々に「人間はそんなに立派じゃない」と、手を差し伸べるような被災者の方々と糸井さんの発言は、会場の人々に「私にもできる」という力強い勇気を与えてくれました。

これからの、息の長い復興活動を語るキーワードは「アイデア」。クリエイティブマインドの高いgreenz.jp読者のみなさんの出番かもしれませんね!

USTREAM映像:白熱教室 前半

USTREAM映像:白熱教室 後半

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