ここには、情報以上に、感動があると思った。表現できるメディアgreenz.jpだから伝わること・伝えられること。

これまでに経験したアルバイトは30職種以上、藤野に移住してからだけでも4回は引越ししているし、パートナーができても3年の壁が超えられない。マクロビオティックがきっちり実践できたのは1年半で、畑も2年で挫折しました。

だいたいいろいろなブームが、半年から1年刻みでやってきては、急速に興味を失います。
「特技は?」と聞かれると、まじで何も浮かばないし、落ち込んだらすぐに引きこもりになって迷惑かけるし、最近では仲良しの地元のおじさんに「お前は辛抱が足りねえんだ!」と飲み会のたびに怒られ、ぐうの音も出ない始末です。

そんなダメ人間の鏡のような私にも、ただひとつ、長く続けられていることがあります。それが「書くこと」。唯一と言っていい、特技です。本当に、文章が書けてよかった。そうでなかったら、今ごろあまりにも自分が空っぽで、部屋の片隅でぽかーんとして、埃でも被っていたに違いないのです。

幼少の頃から本ばかり読む子どもで、作文や日記を書くことが好きでした。小学校高学年の頃には、すでに何かしらの書く仕事がしたいと思い始めており、やがて、あるエッセイ本との出会いがあって、エッセイストを目指すようになります。

ところが高校生活も後半になると、ロックバンドの追っかけが始まり、自然と興味は音楽ライターへ。専門学校在学中に、輪転機で刷ったド手づくりのフリーペーパーを創刊すると、なぜかそれを気に入った、小さな音楽関係の会社に拾われます。会社は長く続かず潰れてしまったのですが、つくっていた雑誌はその後も自主制作で発行を続けました。

20代前半までは、週に6日はライブハウスに足を運び、そのうちの半分は朝まで呑んだくれ、朦朧としながらアルバイトへ。締切が迫ると徹夜で原稿を書き上げるという生活でした。

ちなみに年に1〜2冊とはいえ、100ページ近い本の、20近いインタビューをこなし、ライティングも編集も撮影もデザインも販売も、全部ひとりでやっていました。しかも、お金は持ち出しで。アホか。よくあんなハードなこと、してたなぁ。

その後、プライベートな事情と体調不良により音楽の世界から遠のいた私は、雑誌をつくらないのならばもう東京で生活する意味はないと結論づけました。そこで移住したのが、今暮らしている神奈川県の藤野という山の中のまちです。

移住した前後2年ほど、私は書く仕事を一切やめていました。それが藤野にきて、たくさんの愉快な仲間たちと出会い「書けばいいじゃん」とさらっと言われ「できなかったら助けてもらえばいいじゃん」とさらっと言われ、悩んでいたことがバカらしくなって、また書き始めたのです。書くことの楽しさを、藤野に移住したからこそ、思い出すことができました。

そうしてテーマは、音楽から田舎暮らしやまちづくりといった方向にシフトしていきました。大好きな藤野のことを紹介したいと、リトルプレス「フジノぼん」を創刊して4号まで発行したのも、もうずいぶん前のことです。

かつて発行していた本たち

徐々にアルバイトの比重が減り、書くことで生活ができるようになりました。ありがたいことです。でも一方で、そもそも書くことは、何も長続きしない私がどうしても手放せない“業(ごう)”のようなところがあります。朝起きて無意識に手が動いて淹れるコーヒーのようなもの。ですから、仕事かそうでないかは(大きな意味において)私にはあまり関係がありません。

19歳のとき、なぜフリーペーパーをつくり始めたのかというと、大好きなインディーズバンドに話が聞きたかったのと、いつやってくるともしれないプロになれる日までそれが待てなかったのと、ある人の死をきっかけに、やりたいと思ったことはすぐにやろうと決めたからでした。

以前ブログを書いていたのも同じ理由です。フジノぼんを始めたのも同じでした。端的に言えば、私は「書きたいと思ったことを、すぐに、自由に書きたい」のでした。そのために、自分でメディアを立ち上げる“クセ”があったのです。

そんな私が、最近、自分のメディアを持っていません。ブログも書いていませんし、SNSでの発信も思うところあって昔ほどしなくなりました。なぜでしょうか。この間気づいたんです。手前味噌だけど、言っていいですか。ホントなので。

greenz.jpがあるから」なんですね。ははははは。

知っている人は知っていると思いますが、greenz.jpって、昔は原稿料がほとんどありませんでした。そのかわり、わりと自由で、書きたいと思ったことを書いて良かったんです。

すでにウェブマガジンとして知られている存在だったので、greenz.jpで紹介したいと言うとみんな喜んでくれました。記事がきっかけになって、取材先が飛躍することもありました。それが嬉しかったし、やりがいもあった。お金ではない対価を、ずっと、もらっていたのだと思います。そして今でも、この原点はしっかり残ってライターから企画提案して記事を書くことができます(寄付会員制度「greenz people」のおかげです)。

ここでは、ただただ純粋な思いで記事を発信することができ、それが自分メディアとは比べものにならないほど多くの人に読まれ、広がっていく。さらには、そんな強い思い入れをもって書かれた記事が、殊更にヒットする様も目の当たりにしてきました。それで、改めて確信できたのです。

思いは伝わる。思いがある文章は、やっぱり人の胸を打つのだ、と。

寄稿した藤野電力の記事がきっかけでgreenz.jpライターに。誘ってもらったときは、本当に嬉しかったなぁ

私にとってgreenz.jpライターという仕事は、表現の領域に近いもの。しかも個人的な表現に加えて、編集部や事業部、ライター仲間、カメラマン、パートナー、取材先、peopleや読者とつながることで生まれる、ひとりではなしえない表現もあります。“業”として書いている私が、自分の概念のみにとらわれすぎないための、大切な居場所なんですね。

つまり、情報メディアでありながら、表現の場でもある。それが、ほかのメディアと大きく違うところなのかもしれません。

多感な時期に本を貪り読み、人生が変わってしまうほど音楽に突き動かされてきた私は、すばらしい「表現」がどれほど人の心に響き、どれほど胸を打つのかをよく知っています。だから表現を許容してくれるgreenz.jpは面白い! そう思うのです。

でも、関わる人の数だけ、greenz.jpの形はあるのではないかなぁ。書く理由も、関わる理由も、読む意味だって、みんな違う。大切なのはgreenz.jpという器が、それをどれだけ受け止められるか、ということ。

いちメンバーでもある自分への戒めと、これまでへの感謝と、これからへの期待を込めて。大きな器を、たくさんの人とじっくり丁寧につくり続けていきたいし、自分もその器に、これからも、受け止めてもらおうと思っています。

(top photo by 袴田和彦)