専門家にならなくていい。「問い」が投げられれば。ヨリス・ライエンダイクと佐々木俊尚が考える、これからのジャーナリストに必要なこと

テロや紛争、金融危機や原発事故…ある日突然報じられる事件が世を揺るがす。そこから先は情報の渦、報道の波。

ジャーナリストや専門家は専門用語を並べた解説記事を書き、まるですべてを知っているかのように見える。そして私たちはメディアの報道を通してただひたすらにそれを受け取る。

だけど、それらの記事をいくら読み込んでみでも、「どうしてそれが起こったのか」、渦中の人々は「何を考え、どう行動していたのか」、そのリアルな実像はなかなか見えてこない…

そんなメディアのあり方に疑問を持ち、「『知らない』ところからはじめる」ジャーナリズムに挑戦したのが、オランダのジャーナリスト、ヨリス・ライエンダイク(Joris Luyendijk)さん

金融についてまったくの門外漢だったヨリスさんは、ロンドンの金融街で働く200人超の人々にインタビューし、金融業界について「ゼロから学んでいくプロセス」を公開するブログ「Banking Blog」をイギリスの有力紙「ガーディアン」のオンライン版で連載しました。

読者からも意見を募り、読者から次の取材相手を見つけるなど双方向のアプローチを実践し、「Banking Blog」は最大数千件のコメントがつく超人気コラムに成長しています。

今回の記事では、そんなヨリスさんのプロジェクトの集大成として出版された書籍『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?(原題: Swimming with Sharks)』の発売を記念し、2017年3月1日に東京の「SHIBAURA HOUSE」で行われたヨリス・ライエンダイクさんと佐々木俊尚さんの対談の様子をお届けします。

(photo: Merlijn Doomernik)

ヨリス・ライエンダイク
ジャーナリスト。アムステルダム大学およびカイロ大学でアラビア語と政治学を学んだ後、オランダの有力紙2社の中東特派員として1998~2003年の5年間をエジプト・レバノン・パレスチナに滞在。中東滞在期間に目の当たりにした国際メディアの構造的問題、独裁政権下での報道の困難さを著した『こうして世界は誤解する』(英治出版)はオランダで25万部のベストセラーとなり、2006年にはオランダで「最も影響力のある国際ジャーナリスト40人」のひとりに選出される。
2011年から2013年にかけて、英ガーディアン紙のオンライン版で「Banking Blog」を連載。ロンドンの金融街で働く人々の知られざる素顔に迫り、最大数千件のコメントが寄せられる人気コラムになった。その経験をもとに執筆した本書もオランダで30万部以上のベストセラーを記録。オランダの市民が投票する「NS Public Book of the Year 2015」を受賞し、英イブニング・スタンダード紙の「Best Books of 2015」に選ばれた。

佐々木俊尚
作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。毎日新聞社などを経て2003年に独立し、テクノロジから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆している。最新刊は「そして、暮らしは共同体になる。」。「21世紀の自由論〜『優しいリアリズム』の時代へ」「キュレーションの時代」など著書多数。
総務省情報通信白書アドバイザリーボード。議論コミュニティ「LIFE MAKERS」主宰。TABI LABO創業メンバー。TOKYO FM「タイムライン」MC。フジテレビネット放送・ホウドウキョク「あしたのコンパス」アンカー。テレビ東京「未来世紀ジパング」レギュラーコメンテーター。

専門家の記事からは”人間”が見えてこない。だから金融街に飛び込んだ

佐々木さん まずはじめに、今回の本のユニークな取材手法について伺いたいと思います。ヨリスさんの新著『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』は、ガーディアンのオンライン版のブログ連載「Banking Blog」から生まれました。ヨリスさんが金融の知識ゼロの状態から、金融業界で働く約200人にインタビューを重ねることで取材を進められました。

リーマンショックを引き起こした金融業界はいったいどのような構造になっているのかという、非常に複雑なテーマを、自分を含めて何もわかっていない人たちに対してどう伝えていくかという挑戦だったわけですが、このような取材手法をとった理由はなんだったのでしょう?

ヨリスさん  もともとの問題意識として、人びとは新聞を読むときにほとんど何も理解していないのではないか、ということがありました。

民主主義社会を機能させる上では、専門家でない普通の人たちが、選挙で適切な判断をするために、専門的な内容をいかに理解できるかが大切だと思います。しかし、多くの記事が、専門家によって、専門家のために、専門家の言葉で書かれているのです。

そして、ガーディアンオンラインでの人びとの記事閲覧履歴を分析してみると、大半の人びとはほとんどスポーツ・ファッション・料理といったジャンルの記事しか見ていないことがわかりました。

そういったライトな記事しか読まない人びとに、金融の話題への興味を持ってもらうためには、特殊な金融商品の解説ではなく、その金融業界で働くバンカーたちはどんな人たちなのかという、”人間”に着目した物語である必要があるのではないかと考えたんです。

佐々木さん これまで繰り返されてきた金融工学や金融商品の解説ではなく、それを扱う”人間”はどんな人たちなのか、というところからスタートしたのが、この企画のユニークなところですね。

そこには正義の味方も、世紀の大悪人もいなかった

佐々木さん リーマンショック以後、僕を含め世間の人びとの多くは、まるで投資銀行の人たちが悪人の集団かのようなイメージを抱きがちでしたが、実際に取材してみると、決してそういう人たちばかりではなかったのが印象的でした。

中には「自分たちが世界全体を支配しているんだ」と思い上がっている人もたしかにいたけど、ほとんどの人はそうではなかった。真面目に良心に従って働いていたり、いつクビになるか分からないなかで、自分の持ち場を必死に維持するために目の前の仕事に懸命に打ち込んでいたり…本の中にはそういった”普通の人たち”がたくさん出てきますね。

佐々木さん  僕は、この本を読んだときにハンナ・アーレントの著書『イェルサレムのアイヒマン』を思い出しました。第二次世界大戦でユダヤ人の強制連行・大量虐殺を主導したアドルフ・アイヒマンの裁判傍聴記を書籍にしたものです。裁判で目の当たりにした強制連行の主導者の姿は、決して極悪人ではなく、ただただ命令に従う平凡な”お役人”だった。アーレントはそれを「悪の凡庸さ」と表現しました。

金融業界も同じように、リーマンショックを引き起こした極悪人がいるのではなくて、平凡な人びとがただ自分の立場をまもるために必死になって働いていただけ。それなのに、結果としては世界全体を不公平に陥れてしまうという、アイヒマン裁判に重なる、人間社会の根源を見るような印象で、面白かったです。

ヨリスさん  おっしゃる通り、そこが重要なポイントですね。リーマンショックは、世界の金融システムがあわや崩壊するのではないかという危険な状況だったわけですが、そうした大惨事が起こると我々はつい、そこに”悪者”がいるはずだと考えがちです。そして、悪者がいたらヒーローが現れてそれをやっつけてくれると期待する。まるでジェームズ・ボンドが登場する「007映画」の世界ですね。

世界を危機に陥れようとする悪者ドクター・ノオがいて、依頼を受けたボンドが彼をやっつけて世界を救う、わかりやすい勧善懲悪のストーリーです。ですが、金融業界を取材してわかったことは、そこにドクター・ノオはいないのだということ。彼らはただ生き残るために真面目に仕事をしていて、私が訪ねていけば「お茶でも飲みなよ」と出迎えてくれる。そこには映画のような大きなシナリオ(筋書き)はありません。でもそれが現実なんです。

佐々木さん: ジェームズ・ボンドのたとえはおっしゃる通りですね。でも、世のジャーナリストの多くは自分が正義の味方のジェームズ・ボンドであると信じたがっているように思います。これはどうしてなんでしょう。

ヨリスさん: 理由は2つあると思います。1つは、たとえばニクソン大統領の不正を追求した「ウォーター・ゲート事件」やそれを描いた映画などの影響です。

事件や映画を見たジャーナリスト志望者たちは、「これこそが自分たちの仕事だ!」と、権力者をジャーナリズムが追い詰めるドラマチックな仕事がしたいと考えるようになるわけです。

でも一方で、これは読み手の問題でもあると思います。つまり、情報を読み解く我々自身が派手なストーリーを好んでいるという現実なんです。

ジャーナリストの役割は、人の相互作用が生まれる「場の運営者」となること

佐々木さん 勧善懲悪を中心とした、ギリシャ神話やジェームズ・ボンドのような物語は、20世紀まではある程度有効でしたが、21世紀においては難しくなってきたように感じます。

これまでジャーナリストは、何か事件が起こると、過去の資料を丹念に遡り、事件の”因果関係”を明らかにしようとしてきました。でも実は世の中はそこまで単純ではなく、過去を遡っても原因がはっきりしないことがとても多い。リーマンショックもそうですが、そこには色んな人たちがいて、人と人の間で起こる、たくさんの相互作用のなかで様々な事件が起こっていくわけです。

最近注目されているAI(人工知能)というものは、実は因果関係を明らかにしてくれる存在ではなく、たくさんの物事の相関関係・相互作用しか見ていないのですが、それでも驚異的なパフォーマンスを発揮しています。

21世紀のジャーナリストに求められているのも、たったひとつの因果を追求することではなく、今この瞬間の相互作用の中で何が起きているか、その全体像を解き明かすことなのではないでしょうか。

ヨリスさん それは非常に興味深い視点ですね。ジャーナリズムがこれからどういう方向に向かうべきか、現時点で私が判断することは難しいです。ただ、人びとが情報を理解するためには、やはり物語の力は必要になってきます。ひとつ言えることは、物語も一方通行ではなくて、複数の方向から読み解くことが重要なのだということです。

私が「Banking Blog」に掲載したインタビューは、1記事約2500語ほどのボリュームでした。これを日々の新聞紙面にそのまま印刷して掲載するのはほとんど不可能ですが、ウェブに展開することで、人びとが時間をかけて読み解くことが可能になりました。そしてそこに、どんどん新しいつながりや視点が集まってきたのです。

佐々木さん ブログに記事を公開すると、1つ1つの記事に対して読者からの反響があり、新たな視点を得ることができる。また、「金融業界の別の立場からお話ししたい」と、取材協力者からの連絡が来ることもある。そんな風にして、現在進行系の相互作用の中で記事を積み重ねていって、勧善懲悪でない複雑な物語を読者にもリアルタイムで同時体験してもらうという手法は、とても21世紀的で面白いですね。

ヨリスさん もちろん取材協力者の匿名性は担保しましたが、金融業界の人たちは、自分の立場が危うくなるかもしれないリスクを犯してまで私に話をしてくれました。それだけでなく、ブログのコメント欄に寄せられた一般読者からの質問にも、バンカーたちが回答を寄せてくれるようにまでなりました。

私がやったことは、蜂の巣をつくるようなこと――ただ調査をするだけでなく、バンカーや読者という蜂が集える有機的なコミュニティを運営したのだという感覚です。

佐々木さん これまでのジャーナリズムは、社会の役に立ちたいという志のある個人の営みだと思われていましたし、私も新聞記者時代にはそう教わりました。ですが、インターネットがこれだけ普及した21世紀では、もはやジャーナリズムは個人の営みで完結しません。ジャーナリストや新聞社・テレビ局にも、ただコンテンツをつくるだけではなく、それに対する人びとの反応や行動をまとめて編み上げていくという、「場の運営者」としての役割が求められてくるのでしょうね。

ヨリスさん 伝統的なジャーナリズムでは、ジャーナリストは自分の伝えたいメッセージを明確に持っており、それを記事にして一方通行の形で出版・発信し、人びとに消費されるというサイクルの中で活動してきました。そこでは、発信者が情報のコントロール権を握っているのです。

ですが、蜂の巣型の有機体の中では、読者が何に興味を持ってどこから読むのかを、発信者がコントロールすることはできません。もしかしたら本文には興味を持たなくて、コメント欄から読む人もいるかもしれません。

こうした構造の中ではジャーナリストの役割は今までよりもっと小さくなります。創作に対する父親のような立場で「これが私の言いたいことだ」と主張するのではなくて、「私が知りたいことはこういうトピックです。何か詳しいことを知っている人や、私と同じように疑問や質問がある人は、どうぞここに投稿してください」と、みんなに対して呼びかけ、問いかけることが重要になります。

政治が「メディア化」したトランプ現象、ジャーナリズムにできることは?

佐々木さん これまで、人びとの相互作用の中で起こる物事を明らかにしていくという、新たなジャーナリズムの方法論について語ってきました。では、こうした相互作用のなかで、何が善で何が悪なのか、何が公正で何が公正でないのかという価値判断は、いったいどのように行うのでしょう。

ヨリスさん 私の場合ですが、自分自身の価値基準をなるべく持ち込まないようにしています。

ジャーナリストの役割は起きていることをそのまま伝えること。善悪の判断をするのではなく、人びとがその判断をするための情報を見せることだと思っています。

たとえば、男の人が小さな子どもを殴りつけていたとして、「これはいけないことです」と主張するのではなくて、起こっていることをそのまま見せるのです。そうすれば人びとは判断できますから。

佐々木さん 確かにおっしゃる通りなのですが、価値基準を相対化することのジレンマもあると思います。

たとえばトランプ現象。欧米のリベラルメディアに対して、オルタナ右翼的な存在であるドナルド・トランプと彼の支持者たち。その対立のなかで、ジャーナリストが普遍的だと信じてきたリベラリズムが危機にさらされることも、ある種の相対的な出来事として受け入れるしかないのか。ヨリスさんはどう思われますか。

ヨリスさん それは非常に難しい問題ですね。リベラリズムが大事にしてきた価値の一つである「報道の自由」の枠組みのなかでうまく立ち回っているのがトランプです。彼はメディアを”敵”とすることで、メディアの中立的な立ち位置を揺るがしにかかったんです。

佐々木さん トランプ自身もTwitterで盛んに発信し、それへの反応に対してまた反応をするという、まさにヨリスさんが今回行ったような相互作用のなかで世論を動かしていきましたね。政治家である自分自身もメディア化することで、メディアの存在を相対化し、同じ土俵のゲームに持ち込むという。

ヨリスさん まさに、政治家とメディアの立ち位置が同一化していった現象だと思います。政治家がソーシャルメディアを通して、直接人びとにメッセージを投げかけることができるようになり、政治と人びとの間に本来立っていたジャーナリズムの存在が不要になってきています。

あらゆる意見が相対化されるなか、どのような方法で、どれだけの普遍性を持ち得るのかが、ジャーナリズムに問われているのだと思います。私がやったことを含めていろいろな方法論がありますが、大事なのはそこにどれだけの透明性をもたらすことができるかです。

相手がどういった人間で、どういった方法やプロセスで調査をしていったのか、ソースの信頼性はどう担保しているのかを丁寧に精査し伝えていくということ。それを行うか行わないかが、同じ発信力があるトランプのような存在と、ジャーナリストの違いをもたらすのだと思います。

佐々木さん 先ほどおっしゃっていたように、善悪やイデオロギーの是非を問うのではなく、実際になにが起きているのかを明らかにしていくのが重要だということですね。

すべてがテクノロジーに置き換わっていく時代、それでも残る人間の自由意思にこそ注目する

佐々木さん 少し視点を変えて、テクノロジーについてのご意見を伺いたいと思います。人と人との相互作用の中で取材をしていくという今回の手法は非常に効果的だったと思うのですが、人間の相互作用ではなく、人間がつくったシステムそのものが社会に与える影響についてはどうお考えでしょうか。

たとえば、金融街で「クオンツ」と呼ばれる数学や金融工学の専門家がつくり出した複雑な金融商品については…

ヨリスさん 恐ろしいのは、クオンツが発明したモデルがどういう前提で動いているか、金融業界の他の人たちはほとんどわからないまま仕事をしていたということです。

システムが高度に複雑化すると、自分にはよくわからないものが出してくるアウトプットに依存して仕事をするようになります。分からないけれどなんとなく「大丈夫だ」と思って考えないままにしておいて、それが破綻したのがリーマンショックです。

佐々木さん そうですね。「分からない」という点で昨年印象的だったのは、Googleが開発したAIである「Alpha Go」(アルファ碁)が囲碁のトップ棋士に勝利したというニュースです。対局中も専門家が棋譜を見るのですが、人間同士の対局と違って、Alpha Goがなぜそこに石を置くのかどうにも分からない。でも、あとになって振り返ってみるとそれが勝利につながっていたというのです。

このAlpha Goの例のように、誰にも一見して意味が分からないのだけど、それが正解だったということが、AIが普及するにつれてどんどん起こってくると思います。そのような世界をジャーナリズムがどう捉えていくかというのは、実に大変な時代だなぁと僕は思います。

ヨリスさん AIが普及するにつれて、これから起こってくるだろうなと私が予想するのは、「AIがやっていることに問題はありません」というPR部門が出て来ることです。ジャーナリストに求められるのは、PR部門が「大丈夫」と言っているのはどういう文脈においてなのかを注意深く見ていくことです。

たとえば、AIが操縦する飛行機の墜落事故が起こったとしてその原因を追究しても、AIの技術的な詳細はほとんど誰も理解できません。でも、そのようなエラーがどうやって起こったのか、リスク管理部門やコンプライアンス部門といったものにメスを入れていくと見えてくることがあると思います。

佐々木さん 僕もこれまでテクノロジーをテーマに取材をしてきたので、人々がテクノロジーの中身についてはほとんど理解していないまま使っているのだ、という現実はよくわかります。

一方、日常にテクノロジーのカバーする領域が広がれば広がるほど、最終的には人間の自由意思や感情というものはクリアな形で残っていくだろうという感覚があります。その、人間のリアルな感情や意思の動きをジャーナリズムが明らかにしていくことで、テクノロジーだけに注目していては見えてこない物語が、より多くの人に伝わる可能性があるのだということは信じたいですね。

これまで目を背けてきた人とも臆せず対話を。
メディアと社会の関係性を編み直すのがジャーナリストの役割

佐々木さん 最後に、ヨリスさんの次の取材テーマについてお聞きしても良いですか?

ヨリスさん 次の企画は、トランプをはじめとするポピュリスト的な政治家に投票した人たちへのインタビューです。オランダで、アメリカのトランプやフランスのルペンに近しい思想や主張をしているヘルト・ウィルダースという政治家に投票した人たちは、どういう人たちで何を考えて投票したのかを聞いています。

佐々木さん アメリカの大統領選では、トランプがアメリカの貧しい白人労働者層を「忘れられた人びと」と呼び、彼らの声を代弁すると語って勝利を収めましていた。これまで民主党が「多様性」のもとに黒人やヒスパニック、アジア人支援を意識した政策をやってきたわけですが、その多様性の中に貧困層の白人は含まれておらず、彼らが怒れる層となってトランプを支持したのだという分析があります。ヨーロッパでも同様なことが起きているのでしょうか。

ヨリスさん そうした観点もあると思いますが、大学を卒業した高学歴の女性やヒスパニックなど、民主党支持に回りそうな層が実は相当程度トランプを支持していたという事実があります。同じようにオランダでも、ウィルダースに投票した人の中には、女性、黒人、富裕層、貧困層と、色々な人たちがいたんです。

彼らになぜウィルダースに投票したかと聞くと、「リベラルのエリート層のやり方がうまくいっていないからだ」と答えるんですね。今よりも良い政治状況をつくるために今回はポピュリストに投票した、と。リベラルのエリート層は、どこか「ポピュリストに投票する人間はクレイジーだ」と思っておきたい節があるように感じるのですが、現実は決してそのように単純ではないということを、これまでのジャーナリズムも描けてこなかったのだと思います。

佐々木さん リベラル層がこれまで見てこなかったけれど、社会に確かに存在する人たち、そういう人たちの声とジャーナリズムがどう向き合っていくかということが問われていますね。

ヨリスさん 難しい課題ではあるけれど、テクノロジーを活用してジャーナリストにできることはまだまだたくさんあると思います。自分が正しいと思う考えや主張を押し付けるばかりでなく、みんなが何を聞きたくて、何を知りたいのかを問いとして投げかけていくことです。

佐々木さん メディアは、イデオロギーの守護者の立場にしがみつくのではなく、テクノロジーを活用して人と人との相互作用の中で、社会の関係性を再定義していくことが求められていますね。

今日はどうもありがとうございました。本の内容にとどまらず、ジャーナリストの役割の変化や、ポピュリズムとの向き合い方、テクノロジーとジャーナリズムの関わり方など 射程を広げて話すことができて、非常に刺激的で勉強になりました。

ヨリスさん こちらこそありがとうございます。大陸を挟んで地球の反対側にあるここ日本で、情報がどのように読まれていくのかを、みなさんがこんなに真剣に考えられているということを知られて、とても嬉しかったです。

(対談ここまで)

専門知識まったくゼロの状態から、単身ロンドンの金融街へ。ブログでの連載を通して、多くの取材協力者や読者とつながりながら、金融業界に生きる人たちの多様な実態と日常の営みを描き出したヨリスさん。

専門知識に基いて「正解」を提示するような旧来のメディアのあり方から離れ、
「知らないこと」から始めたそのプロジェクトは、ヨリスさん一人の学習空間に留まらず、ブログに集まる人びとが相互作用の中で学び合う有機的なコミュニティへと成長していきました。

“情報の発信者”としてではなく、”場の運営者”としての役割も担う新しいジャーナリズムのあり方は、報道の分野だけでなく、自分たちの町や地域で、新たなプロジェクトを立ち上げるときにも有効な手段かもしれません。

「私はこれを知りたいんです。誰か詳しい人いませんか?」
勇気を出して、あなた自身の「素朴な疑問」を投げかけてみると、きっと誰かがその呼びかけに応えてくれるはず。

– INFORMATION –

なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?
Swimming with Sharks: My Journey into the World of Bankers


ヨリスさんの記事、いかがでしたか?

当初僕自身、「金融業界」という言葉が目に入り込んできた瞬間、「あ、これは僕が読む本じゃないな」と思ってしまったのは事実。しかし、今回の記事でも語られている通り、専門家だけでなく「今、世界で起きていることを読者が自分ごととして受け止めるにはどうしたら良いのか」という問いを課してつくられた一冊なので、ぜひ臆することなく手にとってほしいと思います。

ヨリスさんが繰り返したインタビューの内容はもちろん、彼がそれをどのように取材して引き出してきたのか、そして巻末の糸井重里さんとの対談は、ジャーナリストでなくても編集や対話を生業にしている方は必読です。

そして、ウェブでの連載を書籍にしていくというオープンなプロセスは、まさに僕らがこれから実験したいこと。

今回、ウェブと本、それぞれの良さを活かした意欲的なプロジェクトの実践をされているヨリスさんからは多くの刺激をもらいました。greenz.jp編集部一同オススメの一冊です!
(副編集長・スズキコウタ)

著者:ヨリス・ライエンダイク
訳者:関美和
本体1,800円+税 
2017年3月発行

http://www.eijipress.co.jp/book/book.php?epcode=2238