ISSUE☆グリーンズ企画 学びの場の現在地

3 months ago - 2016.08.31

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シャッター通りに、17軒の店舗が続々開業! その陰の立役者、空間プロデュースのビルススタジオ塩田大成さんは「つくっておわり」にしない建築家だった!

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写真に映るのは栃木県宇都宮市のとある道。JR「宇都宮」駅から徒歩30分、東武鉄道「東武宇都宮」駅なら徒歩5分ほどの外れにあり、名前は「もみじ通り」といいます。

2007年に商店会が解散すると、空き店舗や空き住居が増えました。それが解散から約10年目を迎える今、新たに17軒の店舗や事務所が開業し、飲食店やギャラリー、子ども服店、美容室、ギターショップなどがそろい、落ち着いて暮らすには丁度いい通りに生まれ変わりました。
 
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2010年の「もみじ通り」。黒い部分が空き物件

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2013年の「もみじ通り」。店舗と住居が増えた

契機となったのは2010年。その年、約100店舗が加盟する、栃木県最大級の商店会がある「ユニオン通り」から、表題のビルススタジオが移転してきました。代表の塩田大成さんは移転理由を、

まあ安さですね。あとはそれまでの生活フィールドからの近さ。

と教えてくれました。

塩田さんは40歳。不惑。確かに迷いはなさそう。ひょうひょうとした語り口からは、ぼくが「まちづくり」に関わる人たちからどことなく感じる、「みんなのまち」ということへのがっつき感もありません。

とにかくみんなでワッショイは嫌いなんです、疲れちゃうから。ふふふ。このへんに店舗を出してくれるような状況ができたのも、一人一人とのつながりや付き合いがあったからなんです。

会話に差しはさむ笑い声がこちらの肩の力をゆるめます。人の緊張をほぐすような話し方をする人。まったく底が見えません。いや、何も隠していないだけなのかもしれません。

そんな塩田さんは、どうやって地域や人との関係性をつくってきたのでしょう?
 
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塩田大成(しおだ・たいせい)
1976年生まれ、宇都宮出身。1998年、東京都立大学工学研究科建築学専攻修了。都内の建築設計事務所勤務後、1999年から宇都宮市内の建築設計事務所所属。2004年、ロンドンのCentral Saint Martins College of Art and Designに留学、美術修士号取得。帰国後にビルススタジオ設立。2007年から、栃木のひとクセある物件案内サイト「MET不動産部」を開始。クライアントと長く付き合う「場所づくり」を続けて11年目を迎えた。

深く突っ込む塩田式ヒアリング

ビルススタジオは2006年に開業。10年前から「空間プロデュース」を掲げ、不動産仲介も行う一級建築士事務所として営業してきました。しかし、その業務範囲は建築家のそれを大きく踏み越えています。図を見ましょう。
 
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これはビルススタジオの業務内容です。ヒアリングから始まった関係は物件の引渡し後も続いていくことがわかります。

素人目には、引き渡して代金をもらっておしまいにしてしまったほうが不動産仲介業の旨みを多く得られると思うのですが、塩田さんはそうしてきませんでした。

例として、とあるクライアントとのヒアリングの様子を教えてくれました。

4月ぐらいに、昔ちっちゃい店舗をお手伝いしたお客さんがきました。その人は店舗を増やしていっていて、ちょっと大きくなってきたんですけど「豚を飼いたい」って相談にきたんですよ。ふふふ。

とんこつラーメン屋さんをやっているんですね。例えば寝る前にぼんやり考えても「あれにもつながりそうだしこれにもつながりそうだし、だから豚を飼おう」って寝るじゃないですか。でも起きたら「豚を飼おう」だけ頭に残っている。

そういう、考えがとっ散らかった感じで来たんです。

話を整理しながら聞いていくうちに、クライアントは食材がどこでどう育ったかを伝えたいと思っていること、障害者雇用にも興味を抱いていることなどがわかってきました。そこで塩田さんが行ったのは、事業全体のマップを作成すること。その中でまずすべきこととして提案したのは、加工場をつくることでした。

加工場ならハムやチャーシューをつくれるし、そうしたら他店にも卸せるし、飲食店を併設して、お客さんも呼べますよね。周りに豚がいて、畑も持つ。宇都宮市大谷町に耕作放棄地があるので、食材となる野菜や小麦を育てられる。

豚の糞は肥料になりますし、小麦は豚の餌になるので循環できます。大谷町は眺めのいい地域なので、バーベキューも提供できるかもしれない。そういう全体像をつくって、伝えました。

ただ、動き出すには紹介した場所が調整区域だったから役所と協議していかなきゃいけないし、地主さんに許可をいただく必要もある。それはぼくでもできるんだけど、ぼくが担当するとなると今年度はこれだけの費用がうちに必要ですよと。

そこでまずは資金調達から動きはじめました。建物をつくるのは来年以降からですね。

想像を超える深入りでした。ここまで提案するのには理由があります。

そこで事業が起こるんだったらちゃんと稼げてなくちゃいけないし、継続しなくちゃいけないし、そこの働いている人とか来る人がハッピーじゃなきゃ成り立たない。

まあ事業が成立するっていうようなのを含んでいるのが「空間」っていうか、「場所づくり」だと思っているんです。

ビルススタジオの名刺の裏には「場所づくり。」と書かれています。「場所づくり」を大事にするスタンスは、建築業界に潜り込んだ大学時代に抱いた違和感から生まれたものだといいます。
 
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ビルススタジオが関わった人気のドーナツ店「dough-doughnuts」

あてがわれた条件から脱け出したかった

塩田さんの父は同じ建築家です。

建築学科に入ったのは、親の薦めでした。まあ入ったらおもしろかったんで、1年生の時から積極的に動いたんです。都内の設計事務所にいっぱい潜り込みました。

でも動くのが早すぎて、飽きちゃうのも早かった。大学3年生ぐらいには建築設計業が嫌になっていたんです。

とはいえ、せっかく足を踏み入れた建築業界。現場で通用する技術を身につけようという考えもあって、塩田さんは20代後半まで働きました。そこで働く日々を通じて、塩田さんはある違和感を抱きます。

まあお客さんは家を建てたいんですよ。「ここにある200坪の土地でお願いします。予算は4,000万です。50坪ぐらいで建てたいんです」。そんな始まり方。それがすごい嫌でした。

なぜかというと、打ち合わせをしていたら、お客さんの要望がわかってくるからです。

仕事に疲れて夜帰ってきたら、木々を眺めて、星を眺めて、お酒でも飲みたい。そんな生活の理想像を持っているけど、土地が4〜5階建ての密集地にあったりするんです。

クライアントの望みと、持ちかけられた要件の間で、塩田さんの気持ちは揺れることが多かったそう。

もちろん、そんなあてがわれた条件を満たして、満足以上のものを生み出すのが仕事なのかもしれない。

けど、初めからいいロケーションを選べていたかもしれないじゃないですか。お客さんは予算が4,000万っていうけど、土地に6,000万掛けちゃったかもしれないし。

もうちょっと郊外にいけば土地を3,000万に抑えられたかもしれないし、だったら建物に7,000万掛けられたかもしれない。お金を節約できたら、星を見る寝椅子を用意することもできたかもしれない。

そんなことを考えると、なんであてがわれた条件を解決しなきゃいけないんだろうって嫌になっていって、空間というか、ものづくりやそれを成り立たせる原点の部分に興味がどんどん移っていきました。

要は建築設計をやっていられなくなったんです。

当時の塩田さんは、そんな違和感を抱くも動き出すことはできませんでした。ものづくりの原点を考えた末、2004年にロンドンへ留学します。この1年間の留学が、塩田さんにとって違和感に向かって突き進む転機になりました。
 
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ロンドン留学中の一枚。ショーウィンドウの中にいるのが塩田さん

自分もこれでいいのかな

ロンドンでは芸術系大学に入りました。

ロンドン自体、イギリス人があんまりいないぐらい、とにかく人種がぐっちゃぐっちゃの街でした。クラスメイトも40人いて出身地が30カ国、というくらいバラバラ。

おかげでその人たちといろいろしゃべって、価値観の共有ができました。建築設計の考え方が他分野の人に面白がってもらえたり、スキームに汎用性を感じたりもすることができたんです。

あと、ロンドンに住んでいる人たちは、自分の好きなことをやって、それを突き詰めて、知ってもらって、認めてもらって商売を成り立たせているような人が多かったんですね。

そんなロンドンの文化に囲まれて、自分もこれでいいのかなと思えるようになりました。

違和感を受け止められた塩田さんは帰国後、ビルススタジオを設立。クライアントの望みを叶える「空間プロデュース」という、栃木では耳慣れない仕事を始めました。はじめは、説明するよりやってみせる日々が続きました。
 
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創業当時、塩田さんが開いたイベントの様子

塩田式信頼のつなぎかた

「全体に関われて“いれば”いい」。最初の頃そう考えていた塩田さんは、不動産仲介やプランニングなどを外注していました。

ただ、クライアントの気持ちが見えていなかったといいます。

外注すればいいと思っていたんです。不動産部分は不動産屋に、設計部分は設計事務所に、工事なら大工に、グラフィックならデザイナーに、みたいな感じで働けばいいかなと思っていました。

でも、お客さんはうちに仕事を頼んでくれているんです。お客さんとコミュニケーションを重ねる中で「うちで設計できますよ」とか、約束を結んでいく。それが信頼になっていっていたんですね。

けれど、お客さんがいざ場所をつくるときに、とても重要視している部分を他の人に外注していたら「どうして振るの?」という話になりそうな感じがだんだんしてきたんですよ。

「塩田さんができるんでしょう?」
「まあできますけど……」
「じゃあ、やってよー」

というような話です。いくら信頼している外注先でも、あとから入ってきたらテイストが変わってきますし、コミュニケーションも取り直しになる。だから、やっぱり兼ねちゃったほうがいいことに気づきました。

以来、できる仕事は全部請け負うようになります。不動産仲介も兼ねるため宅建も取りました。信頼に応えることが塩田さんの「空間プロデュース」の肝になったのです。
 
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ヒアリングによく使うビルススタジオの応接スペース

一度だけ言葉にすること

ビルススタジオは「MET不動産部」という不動産サイトを持っています。元々は塩田さんが自宅と事務所を探す中で、借りないけどおもしろかった物件をストックしていたブログ。それをポータルサイトにリニューアルして、9年も続けています。

サイトに「もみじ通り」の問い合わせがきた場合は、必ず塩田さんが事務所で応接するのだとか。

最初は物件を見せないこともあります。なんとなく毎日のように普通に付き合えるかがわかればいいんです。人となりというかね、本気度、尖り具合、言葉遣い。もう既に出店している人たちとも大丈夫かっていうことを見ています。

でも「もみじ通り」は、うちの伝手で入った人が全部じゃないんですよ。出店した人が自分なりに探して、大家さんと交渉したケースが半分以上ぐらいあります。

それでもある程度可能性を感じて「もみじ通り」が好きで入ってきた人たちなんで、イベントなんかも一緒にやっているみたいですよ。

塩田さんの口ぶりはどこか他人事のようにも聞こえました。「もみじ通り」全体を盛り上げるというような“熱い”意識は持っていなさそう。

結局は一人ひとりとのやりとり。このへんに店舗を出してくれるような人が増えたけれど、だからってみんなでどうこうしようっていう考えはぼくにはなくて、それぞれの人をぼくが好きなだけなんです。

その人たちがたまたま徒歩3分圏内にいる。だから「もみじ通り」として、もっと栃木を盛り上げるためにアピールしなくちゃ、とも思っていないし、ぼくがそれを思っちゃうと周りもガッカリしちゃう気がしています。

これは一度しかいわないようにしているけど、それよりも、カフェだったらカフェ、子ども服屋さんだったら子ども服屋さんが自分でがんばって、外に発信してほしい。ぼくもがんばるから。

だから、有名になったからってぼくを捨てないで、ともいうんですけどね。はっはっは。

そういう人たちが近くにいることが重要じゃない? というように思っています。

出店するということは、自分で仕事を生み、生計を立てていくということ。「自分でがんばって」といわれることは励みになる一方、プレッシャーにもなる場合があります。

だからこそ「一度しかいわない」ところに塩田さんの優しさが光っています。
 
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栃木のひとクセある物件案内サイト「MET不動産部」

これは自分の表現

今は、宇都宮市の大谷町で遊び場をつくっているという塩田さん。採掘場跡地が多く残る大谷町には、珍しい地下空間が広がっています。中には水が溜まっている地下空間もあり、クルージングや食事ができるようにすれば、人が集まるはずだと取り組んでいます。
 
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大谷町にある採掘場跡地の地下空間。写真中央に水が見える。この遊び場づくりは「OHYA UNDERGROUNDプロジェクト」という

塩田さんは元々、物件好きの地下空間好きでした。大谷町でも、自分が好きな場所づくりをしています。

「もみじ通り」も同じ。近隣に家族と住んでいます。だから自分が好きなお店に「もみじ通り」の空き店舗を紹介して、入ってもらってきました。

塩田さんは、クライアントの事業が成り立つことを大事にしています。一方で、自分のしたい仕事を存分に謳歌しているようにも見えます。

感覚的な話ですが、ある意味でそれは塩田さん自身の表現になっているのではないですか?

表現ね。めっちゃしていますよ。

豚を飼いたい人へのヒアリングのように、具体的な例をいろいろ伝えて、これっていうのを探りあげて、まとめるんです。でもその時にそれなりにぼくがこうしたほうがいいんじゃないかって思うことをうまいこと混ぜ込んで、誘導している部分はあります。

極力、自分の考えに寄るに越したことない、っていうことが正直なところです。そのために表現はいとわないし、そのほうがよりいい場所になっていくっていう確信もあるので、表現することに罪悪感はありません。

自身の表現に寄せたほうがいいという感覚は、クライアントの期待に応えたいという責任感から生まれる強さなのかもしれません。そんな塩田さんは、これからどこに向かっていくのでしょう。

悔しいなって思うことがあるんですよね。場所づくりに関しては一番そうなんですけど、「このプロジェクトに自分からめなかったな」とか。そういうことを栃木県内ではなくしていきたいです。

あとは「もみじ通り」のこの状況を新たに好きになってくれて、住んでくれる人がもっと増えるといいかな。

 
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「もみじ通り」は塩田さんの散歩コースだった。きっと今日も歩いている

塩田さんの見据える未来は、いつも等身大の自分の手の届く距離に広がる今から広がっているように感じました。

自分が抱いた違和感や「もっと、こうしたらよくなる」という直感を信じて、自分に仕事を預けてくれる人との信頼をベースに仕事をつくっていく塩田さんのコミュニケーション。

それは塩田さんに限らず、わたしたち自身も実践できる、自分らしい仕事のつくりかたのヒントです。

あなたもまずは「本当はこうだったらいいのにな?」という違和感に向かって、素直に一歩踏み出してみませんか? すると、自分が納得できて、相手も笑顔になる仕事をはじめられるかもしれませんよ。

栃木のひとクセある物件案内
MET不動産部

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新井作文店

新井作文店

greenz シニアライター 日野三中〜日野高〜日本大学芸術学部(文芸学科)卒。東京都杉並区在住。9月生まれ。 now playing = めんどくさいのうた(関取花) now reading = 世界を<放置>する(菅木志雄) 近刊 = サッカーのスゴイ話 日本代表のスゴイ話 (ポプラポケット文庫)

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「ほしい暮らしも、ほしい仕事も、自分たちでつくろう」 グリーンズの学校は、 これからの暮らしを「つくる」 これからのしごとを「かんがえる」 グリーンズのノウハウを「まなぶ」 この3つのテーマを軸に、みんなの「こうしたい」「こうありたい」思いやアイデアをかたちにする場です。 ゲスト講師には、greenz.jpの取材先のみなさん。 くらし、エネルギー、働き方など多くのテーマを通じて、「ほしい未来をつくる」人や事例を紹介してきました。 ゲスト講師の実践と工夫の積み重ねを聞き、フィールドに伺いながら、それぞれの「つくりたい未来」を具体化していきます。 ファシリテーターは、クラスの案内人。 クラス全体の進行はもとより、様々な問いや体験から受講生の思いや具体的なアクションを引き出していきます。 そしてクラスメイトは、かけがえのない仲間となることでしょう。一人でぶつかってしまいがちな課題も、一緒に話し合うことで新たな視点やヒントを共有できます。 ぜひわたしたちと一緒に、あなたの「ほしい未来」をつくりませんか?

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