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熊本地震は、まだ終わっていない。大事なのは、これからだ。地震で大きな被害を受けた益城町に足を運び、まちと被災者の現在地を取材してきました!

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こちらの記事は、greenz peopleのみなさんからいただいた寄付を原資に作成しました。なお、寄稿にご興味のある方は、こちらをご覧ください。

2016年4月14日に発生した熊本地震。発生直後は連日TVで中継されていましたが、今はほとんど報道されなくなり、人びとの間で話題になることも少なくなっている印象。果たして、熊本地震は”終わった”のでしょうか。いや、そんなことは無いはず。

私は5月中旬から約40日間、日本財団の熊本支援事業の本部スタッフとして、特に被害の大きかった益城町の支援活動に携わりました。地元の方を除けば、東北や神戸での復興支援活動経験者ばかりの中で、被災地を初めて訪れた私が支援活動を通じて見たもの、感じたことを率直にお伝えしたいと思います。

ニュースでは見えない避難生活の実態

益城町は人口約33,000人。熊本市の東側に隣接し、市中心部までは約15kmほど。阿蘇くまもと空港も益城町にあります。

ベッドタウンとして新興住宅が建ち並ぶ中心部と、山間部や農村部など昔ながらの集落からなる益城町。熊本地震の震源となった布田川断層帯が町の北東~南西を横切り、中心部を通っていたため、被害は町全体に及び、5,000棟を超える建物が倒壊しています。
 
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益城町中心部の寺迫交差点付近。電柱は傾き、地面は隆起している。8月7日撮影

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益城町中心部、県道28号沿い木山付近。8月7日撮影

特に被害が大きかった東無田(ひがしむた)地区は南西部に位置し、約120世帯・200名が在住、農家の方々が多く住む集落です。

私が東無田地区を初めて訪れたのは、震災から1か月後の5月下旬。歩いてまわれるほど小さな集落で、ほとんどの家にブルーシートがかけられ、1階部分は2階の下敷きになり、瓦屋根は崩れ落ちている様子。

驚くことに全半壊以上の家が6割を超えるにもかかわらず、半数以上の住人が避難所に行かず、電気や水道が復旧しないまま、庭先のテントや倉庫、車中で避難生活を続けていました。その理由は、「田畑を離れられない」「重機や家財の盗難防止」「大勢の人が集まる避難所ではゆっくり寝られない」などさまざま。
 
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ほとんどの家屋が倒壊しており、壊れていない家は数えるほどの東無田地区。8月7日撮影。

ガチ、キャンプでしたよ。家が壊れたら、もうキャンプしかないです。

地元の方は冗談交じりにそう話してくれましたが、私が東無田地区で目にしたのは、キャンプとはまるでちがう光景でした。

コンパネの土台の上に張られたテントはしっかりしたものでしたが、倒壊した家屋のガレキや壊れた家財のすぐそばで、電気も水道もない生活は衛生状態も悪く、およそ日本とは思えない状況。しかもそうした生活を続けている方のほとんどが、高齢の方たちなのです。車中泊を続けていたある男性は、疲労のあまり判断力を失っているかのように朦朧としていました。
 
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被災した家屋と避難生活を続ける庭先のテント。電気や水道も復旧していない。8月6日時点。

「このままでは、彼らは本当に死んでしまうかもしれない」。地震後の避難生活でここまでストレスを強いられている方々を目にして、私は率直にそう感じました。

東日本大震災では約3400人にのぼったといわれる「震災関連死」。(復興庁HPより/平成27年3月31日時点)これは、災害後の避難生活での体調悪化や過労などによる死者数ですが、対策次第で防ぐことのできる二次災害です。日本財団では6月、東無田を含む益城町内4ヵ所に在宅避難者の支援拠点(約20畳のユニットハウス)を設置し、熱中症や台風や大雨による水害等、二次災害対策にも取り組んでいます。

益城町では現在、仮設住宅への入居が始まっていますが、二次募集後に230戸ほど仮設住宅が不足していることがわかり、追加工事が進められています。地震から4か月が経った今もなお、こうした厳しい避難生活を続けている方がいるのです。

支援の手が届かない集落で、住人を支えた消防団

震災直後、役場が避難所運営に奔走するなか、在宅避難者が多い東無田地区には当初、支援の手が届いていませんでした。そのなかで、東無田の消防団は迅速に住民の救援活動・安否確認、安全な避難場所の確保、約1か月間の炊き出しなどに取り組んだといいます。

そのひとりが三村一誠さんです。益城町出身でご両親が東無田在住。熊本市内の商社に勤務していますが、震災後は約40日間会社から特別休暇をもらい、支援活動に取り組みました。

三村さん 自分たち、若い人たちが助けないと、どうにもならないだろうなと思いました。

前震のあった朝早くにもう友だちが現地に入っていたので、まずテントを70張りました。食事は避難所に行けば面倒みてくれるけど、たぶん東無田は残る人が多いだろうなということはその時点で判断できた。

だから、うちの地区がこうだから避難せずにおるけんがと役場に言って、水や物資を取りに行ったけど、2日目からはそれもなくなりました。それで友だちや支援団体を通じて物資を集めたんです。

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東無田地区で消防団によって実施された炊き出し。4月下旬。

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東無田消防団の三村一誠さん。

三村さん 僕は今住んでいるところが熊本市内だから、益城町に帰ってくると、まず道がでこぼこしている。本当にショックですね。

役場や県道沿いの被害すごいね、とみんなが言うけど、県道沿いだけが崩れてると思ってる。友だちの家もあるし、中の道を知ってるからわかるけど、あれはこの先が全部崩れてるってことなんです。

益城町の中心部を走る県道28号は断層の真上にあたり、特に被害状況が目立ちます。その県道沿いの解体作業が始まり、最近はその先の住宅地まで倒壊していることが見え始めてきているのです。実はこんなにも広範囲に益城町が被害を受けていることは、熊本県内の人たちにさえあまり知られていません。

(※)益城町全体の被害状況は、日本財団により5月に実施された、上記地区を含む13地区における全戸訪問調査により明らかになっています。詳しくは日本財団のHPをご覧ください。
http://www.nippon-foundation.or.jp/news/pr/2016/73.html

「気球に乗って、子どもたちに益城町が復活していくのを見てほしい」

今後は町を元気にするような企画をやっていきたい、と三村さんが、現在取り組んでいるのが「益城町に気球を飛ばそう!!バルーンでスマイルプロジェクト」です。

「誰でもできる楽しいことをやりたい!」と阿蘇ネイチャーランドの協力を得て、今年6月にプロジェクトを開始。益城町内の小学校でこれまで2回、子どもたちとその家族のために気球をあげました。

阿蘇ネイチャーランドもまた、直接的被害がほとんどないにもかかわらず、震災の影響を受け、来場者数が例年の1割程度に。地元企業を応援したいという三村さんの思いも込められています。
 
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8月6日に実施した広安西小学校でのイベント。朝6時から約300名の子どもたちとその家族が集合した。

三村さん 今はブルーシートだらけの町並みが子どもたちにあまり見えないように、高度を15mほどにしていますが、3年後は空き地が増えているだろうし、5年後には新しい家がたくさん建って、新しい益城町になっていると思います。

気球に乗って、自分の目で町をみる体験は本当に大事。子どもたちには自分の町がどう復活していくのか見てほしいです。

震災を機に益城町が活気のある町になっていくことを願い、三村さんたちはこれから年間10回を目標に1年中気球を飛ばします。益城町に笑顔を届けるプロジェクトを応援したい! という方はぜひ募金にご協力ください。
 
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虹色の気球に乗って喜ぶ子どもたちとその家族。8月6日撮影。

「今からなのに、もう忘れられている」

8月初旬、私は約1か月振りに益城町を訪れました。

町の中心部ではようやく倒壊家屋の解体作業が始まっていましたが、町全体の風景はまだあまり変わっていませんでした。すべての撤去には2年以上かかるといわれています。

「家を片付けなければと思いながらも、正直どこから手をつけていいかわからない」
「(益城町の復興は)今からなのにもう忘れられている」
と途方に暮れている住民の方の声も。被災地ではまだ、多くのボランティアが必要とされています。

三村さんのご両親は最近、町内にある仮設住宅に引越しをしました。東無田とは少し離れましたが、仮設住宅の運営メンバーになり懇親会を企画するなど、これからは自分たちでできることは自分たちでやっていきたいと頑張っているそうです。
 
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益城町赤井地区の仮設住宅で開かれた懇親会。BBQ道具の貸出や食材は有志や地元企業による協賛を受けて実施された。7月下旬。

一方、今後心配なのはこうした交流の場に参加しない人だといいます。

三村さん いちばん怖いのは一人暮らしの人です。どうしてるのか様子はわかるけど、実際の気持ちは見えてきません。実は最近、ひとつ上の先輩が亡くなったんです。家は住める状態だったけれど、なんも話してくれず誰も悩んでいることがわからなかった。

仮設住宅で生活が落ち着き始める一方で、避難生活が長期化し、多くの被災者に疲労が蓄積しています。未だに先が見通せず、不自由な暮らしを続けながら、そんな中でも明るく楽しく過ごそうと、温かく接してくれる東無田地区の人々。私も先日お会いした東無田のおじいさんが、別れ際に見せた表情が初めて不安げに見えたような気がして、今も気にかかっています。

熊本地震はまだ終わっていません。

九州の方は熊本まで新幹線や車で数時間なので、ぜひ一度足を運んでみてください。

遠方の方は会社にはたらきかけて、社員のみなさんでボランティア活動に参加することもできるかもしれません。現地に行けば、被災地の方たちが今どんな支援を必要としているのか、ニュースではわからない本当のニーズが見えてきます。

被災地が一日も早く日常を取り戻すために、私たちにどんな支援ができるのか。まずは被災地の今を知ることから始めてみてはいかがでしょうか。

(Text: 杉本有紀)