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考えるより、動いて学んで変えていく。川の急流をゴムボートで下るラフティングの元日本代表・柴田大吾さんが、自然の近くで地域に根ざした活動を始めたワケ

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特集「マイプロSHOWCASE 東京・西多摩編」は「西多摩の未来を考える!」をテーマに、西多摩を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介し、西多摩での新たなイノベーションのヒントを探る羽村市・青梅市との共同企画です。

自然の近くで暮らしたり、働きたいと思ったことはありますか?

山や海に囲まれて、自分らしく生きる姿を想像したらとってもワクワクする反面、実行してみようと思っても、何から始めたらいいか見当がつかない人は多そうです。

川の急流をゴムボートで下るラフティングというスポーツで、国内ただ一人のラフティングプランナーとして活躍する柴田大吾さんは、実際に自然の近くで活動を始めた一人です。

2010年3月に、神奈川県から東京都青梅市の御岳渓谷に移住して、自ら仕事をつくり始めました。ちなみに、ラフティングプランナーという肩書きは、柴田さん自身が考えたものです。

その仕事内容は、

・御岳渓谷の多摩川で開催するパドリングスポーツの競技会「御岳カップ」などの大会企画
・地域に根ざした「みたけレースラフティングクラブ」の運営
・レースラフティングの選手に技術指導をする講習会や初心者向け体験会の開催

など多岐に渡ります。

また、柴田さんは御嶽駅から徒歩約1分の素泊まり宿「駅前山小屋A-yard」も経営。御岳カップや体験会の参加者をはじめ、国内外から御岳渓谷を訪れる観光客、出張のサラリーマンなどに利用されています。

ラフティングという競技を盛り上げたくてラフティングに最適な環境のここに移住しましたが、地域のことは詳しくなくて、そこは結構ノープランだったんですよ。

でも住んでみたら、クライミングや登山など、他のアウトドアスポーツも盛んで、地域の人も新しく訪れる人に寛容な場所でした。

だから今はアウトドアスポーツ全体で青梅市を盛り上げる取り組みを目指しています。まだまだ全然ですけどね。

移住当初はラフティングにしか目を向けていない柴田さんでしたが、御岳エリアに住んでから少しずつ考えが変わり、アウトドアスポーツ全体、そして地域にも目を向けた活動にシフトしていったのだとか。どんな体験から学んで、今の仕事のスタイルが生まれたのでしょう。
 
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柴田大吾(しばた・だいご)
みたけレースラフティングクラブ代表/ラフティングプランナー。大学時代にラフティングと出会い、以後この道へ。2004年、プロ契約。2008年、ラフティング世界選手権総合3位。2009年、ラフティング世界選手権総合準優勝。2009年6月に引退後、ラフティングプランナーとしての活動を開始。パドリングスポーツの競技会「御岳カップ」などの大会運営を全国で展開するなど、ラフティングの競技レベルを高めるため精力的な活動を続けている

移住以前の経験が新しい仕事づくりにつながった

そもそも柴田さんがラフティングと出会ったのは大学生の頃。サッカー部だった高校時代を経て、大学でアウトドアクラブに入り、ラフティングを体験しました。

急流を下る面白さにハマり、国内外の川をたくさん巡った柴田さん。その過程でラフティングが仕事にできることを知り、大学を卒業後、国内ラフティングのメッカのひとつである群馬県みなかみ町でインストラクターの職に就きました。

みなかみ町は雪解けの季節に激流が流れることで有名です。ところが、シーズンオフは水量が少なく、冬は雪でラフティングができませんでした。一年を通してラフティングがしたかった柴田さんは、その冬にオーストラリアへと旅立ちます。

4年もの間、オーストラリアでインストラクターをしてすごした柴田さんの元に、神奈川県平塚市にあるラフティングチームから声がかかったのは2004年。プロ契約を結び、2009年まで選手として活躍。かつては日本代表にも選ばれたほどのトッププレイヤーです。
 
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現役時代の柴田さん。前のボートの前から3番目で漕いでいる(写真提供:柴田大吾さん)

ただし、野球やサッカーとは異なり、ラフティングはまだまだ日本ではマイナースポーツ。柴田さんをはじめ、代表選手でさえ国内の大会運営を兼務しながらプレイヤー人生を歩んでいるという現実がありました。

日本でプロとして活動でき、日本代表にも選ばれて、世界大会にも出て、ぼくは恵まれた競技者生活を歩みました。その恩返しをしたいんです。

2009年5月、世界選手権で準優勝を果たした柴田さんは翌月末に引退し、7月からラフティングプランナーとしてのセカンドキャリアを歩み始めます。

その直後の8月に子どもが生まれました。かみさんも子どももいるのに無給だったんですよ。

行動に移してみて初めてわかったこと

養う家族がいること、そしてラフティングに貢献したいことなどが相まって、シーズンが限定される競技にも関わらず1年目の柴田さんは年間17レースもの大会運営に携わるほど奮闘しました。
 
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柴田さんが企画した大会の様子(写真提供:柴田大吾さん)

当時の柴田さんは、今週は岐阜、来週は四国、再来週は群馬というような過密スケジュールを過ごしていたといいます。それは一つの目標があったからです。

例えばサッカーなら、子どもから大人までとか、初級者から日本代表までとか、各カテゴリーでプレイヤーが楽しく競技に打ち込める環境が整っていて、それが競技全体のレベルを高めることにもつながるピラミッド構造ができています。柴田さんの目標は、そのようなピラミッドをラフティングにもつくることでした。

だからこそ、がむしゃらに柴田さんは頑張りました。全国に車で向かい、大会運営中は車中泊、終わるとそのまま解散。

そして、とにかく行動に集中し切ったからこそ、今まで気づかなかった心境に至りました。

同じようなメンバーが川を変えて競っているだけだということに気付いたんです。それは違うと思って、地元に根付いた活動をしないと何も残らない、何も変わらないと思うようになりました。

こうして柴田さんは移住した青梅市での活動に力を注ぎ始めます。

活動拠点を決めたから気付けた地域の魅力

柴田さんは、移住したその年には競技会「御岳カップ」と大会関係者が泊まるための素泊まり宿「A-yard」を、翌年にはチーム「みたけレースラフティングクラブ」を立ち上げました。

でも、そもそもどうして御岳エリアを活動拠点にしたのでしょう?

選手の頃から、御岳渓谷を流れる多摩川の魅力は知っていました。

カヌーの聖地と言われるくらいの川で、オリンピック選手もたくさん練習しています。今でこそ全国にいろんなコースがありますけど、ここは30年以上の歴史のある川なんです。

多摩川は水量が安定していて一年中漕ぐことができます。駅からも近く、遊歩道も整備され川へのアクセスがしやすい。それが東京にある。

本当に奇跡的なことだと思ったんです。

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御岳渓谷を流れる多摩川。奥の岩場でボルダリングをしている人も

御岳エリアで活動するようになってから、新たな魅力にも気づきました。

パドリングスポーツだけでなく、釣りやボルダリングをしている人も多かったんです。近くに御岳山があることも知らなくて、そこでもアウトドアスポーツを楽しむ人がいました。

ここは自然を楽しむ人がたくさん集まる地域なんです。

気づいたのは魅力だけではありません。御岳カップや体験会を開催する中で、他地域にはない特徴も知りました。

生活圏にある川なので、住民の方からご意見をもらうこともありました。

体験会に参加する方の「キャーー!」という歓声がうるさくて迷惑をかけてしまったこともあります。他地域の大会は住む人のいない場所で行われるので、初めての経験だったんです。

また、青梅市は子どもが川で遊ぶことを禁止している地域だということも知りました。子どもの頃から遊んでいないからか、30代、40代の大人も川で遊ぶことが少ないんです。

地域に合わせて仕事が変化していった

広く御岳エリアの特徴を知った柴田さんは、地域とつながる取り組みにも力が入りました。自治会に入ったり、A-yardを営んだことをきっかけに地元観光協会にも関わったり。

特にA-yardには、パドリングスポーツを楽しむ人以外にも、ゼミ合宿をする大学生や遊びに来た家族、出張で仕事に来たサラリーマンなどが宿泊してくれます。すると、ラフティングとは異なる目的で御岳エリアにきた人から見た地域の魅力を教わることにもなりました。
 
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素泊まり宿舎「A-yard」

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A-yardの屋上ではバーベキューができる

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ウエットスーツなど、A-yardにはパドリングスポーツの道具が完備されている

そこで柴田さんは、御岳カップの参加者が地域の祭りを体験するというコラボレーションを3年間やりました。また、今年からは、青梅市の地域スポーツクラブで毎週火曜と木曜にラフティングクラスを受け持つことになりました。

御岳カップ自体も、多摩川に集まる人の特徴に合わせて、ラフティングだけでなくサップなどのパドリングスポーツを種目に加えています。

運営方法も多摩川の先輩であるカヌー競技関係者のアドバイスを聞いて改善するようになり、大会の食事は地域の飲食店に頼んで、御岳エリアにお金が回ることも意識するようになりました。

ラフティングへの貢献という一つの目標に突き進んでいた柴田さんの活動は、御岳エリアに移住することによって、少しずつ、少しずつ、地域に開いていったのです。

川のパドリングスポーツだけでなく、ボルダリングやランニングなど、いろんな人に楽しまれているのが御岳エリアです。そこには生活する人もいて、移住した時から本当によくしてもらってきました。

だから、ここがみんなの楽しめる場所になっていけばいいなと思うようになりました。

選手でも、地域の人でも、観光の人でも、喜んでくれるのはうれしいから。

そして、柴田さんには今、もう一つ目標が増えています。

週に1度は川で遊んだり、自然の中に入ったりする人が増える場所をつくっていきたいです。

自然だから、100%安全ということはないですけど、ヘルメットやライフジャケットをつけて、危険なことが何かを学んでいけば楽しめる場所だと思います。

その中から、イベントを見て地域の人がクラブに入ってくれたり、クラブに入っている地域の方が大会運営をサポートしてくれたりするようになると、もっといいですね。

ラフティングというマイナースポーツの発展だけでも大変な目標なのに、御岳エリアの人々に自然体験を伝えることにまで挑戦する。柴田さんのその頑張り強さはどこからくるのでしょう?

それはやっぱりレースラフティングを発展させていきたいからです。

川というフィールドのことを考えると、近くに住む人が一緒に楽しめるようにすることが一番。

アウトドアスポーツはよそから来て、楽しんで帰る場合が多いですが、せっかくなら川の近くに住んでいる人が気軽に楽しんでくれるようになってほしい。だから、頑張れるんです。

川の上で活動していると、本当に気持ちいいんですよ。

口で説明するより、体感してもらえればわかることだから、これからもそういう機会をつくっていきたいですね。

水、気持ちいいから。

移住して7年目。御岳エリアでの柴田さんの活動はまだまだこれからです。

最初の頃は早く受け入れられるようにと頑張っていましたけど、今は長いスパンで、20年、30年かけてちょっとずつ地域と馴染んでいければいいのかなと思っています。

地域には100年、200年前から先祖代々暮らす家系がある。それと比べて7年目の柴田さんは、スポーツで言えばまだまだ新人。焦らずに少しずつ地域と馴染んでいけばいいことにやっと気づきました。

自然のそばで暮らし、働く。始めるまでは夢のような話でも、動き出すことがそれを着実に現実の話へと変えていきます。

もしもあなたが自然の中で働く仕事を求めるのなら、まずは柴田さんのような一歩を踏み出すことから始めてみませんか。そのとき、青梅市のような東京の自然エリアは、あなたの一歩を後押ししてくれる最適な環境になるのかもしれません。

(撮影: 廣川慶明)