\新着求人/地域の生業、伝統、文化を未来につなぎたいひと、この指とまれ!@ココホレジャパン

greenz people ロゴ

ほどほどがちょうどいい! 富山県氷見市の漁師・濱谷忠さんが世界に伝える、これからも海とともに生きていくための知恵

2

この記事はグリーンズで発信したい思いがあるライター、ブロガー、研究者の方々からのご寄稿を、そのままの内容で掲載しています。寄稿にご興味のある方はこちらをご覧ください。また、この記事はgreenz.jpライター磯木淳寛さんによる「ライター・イン・レジデンス」の一環で制作された記事です。詳しくは記事の最後をご覧ください。

みなさんは、ふだん食べている魚のこと、その魚を獲る漁のことをどのくらい知っていますか。特に都市部で生活していると、漁業について知る機会は多くはないかもしれません。

濱谷忠さんは、定置網漁という伝統的な漁法を続けてきた富山県氷見市の漁師です。

定置網漁とは網を張って魚を待ち受ける漁のこと。この方法では魚を獲り過ぎることがないため、環境への負荷も少なく、世界からも注目されています。

ほどほどにすることで、長く続けていくことができる。

今回は、そんな漁師の知恵についてお話を伺いました。
 
1
漁師の濱谷忠さん

海とともに生きていくための知恵

富山県氷見市の宇波浦は、古くから漁業の盛んな土地。濱谷忠さんは、ここ宇波浦で37年間漁業を続けてきました。71歳の今も現役の漁師として仲間とともに海に出ています。

濱谷さんが続けてきたのは、定置網漁という、氷見では400年以上の歴史を持つ伝統的な漁の方法。魚の乱獲を防ぐことが評価されて海外にも広がりつつありますが、それは一体どんな方法なのでしょうか。

定置網は、沖に網を仕掛けておいて、そこに集まってきた魚を待ち受ける方法。魚は自然と入ってくるけれど入り口は開いているので出ていくのも自由。実際、一旦網の中に魚が入っても7〜8割の魚はそのまま網から出ていきます

5
定置網の模型(ひみ漁業交流館魚々座)

一見すると、効率が悪いようにも思える方法ですが、そこには魚の獲りすぎを防ぎ、海とともに生きていくための漁師の知恵が詰まっています。

確かに漁師としては、たくさん魚を獲りたいという気持ちがあります。そう思って、昔、定置網に魚がたくさん入ったときに、入り口をふさいでみたこともありました。でも、その方法では長続きしなかった。

このあたりの昔の人は、そんなことをすると魚が獲りすぎてしまい、いなくなるということをわかっていたんですね。

地元でずっと続けてきたことを世界に伝える

濱谷さんは、これまで漁師として培ってきた技術を海外の人たちにも伝えています。特に、2004年からの6年間はタイに漁業技術を伝える活動に取り組んできました。

当時タイでは、日本やアメリカなどに輸出するためのエビや、日本で消費される、かまぼこの原料となるイトヨリという魚の乱獲が問題となっていました。

これらよって深刻なダメージを受けていたタイの漁業。その中で、タイでも水産資源を保護しようと考えた人が定置網を導入したのですが、うまくいかなかったそう。そこで相談を持ちかけられた氷見市からタイに行くことになったのが濱谷さんでした。

実際に行ってみると、日本の定置網を真似てつくってはいるけれど、私たちのやり方と少しだけ違った。そこで、私たちが普段氷見でやっている方法を試してみようと思いました。

濱谷さんは、まだ十分に使える中古の漁具を氷見からタイに送り、定置網を現地で組み立てました。すると、この氷見方式の定置網漁はタイでも成功。
 
4
沖に仕掛けられた定置網。写真は氷見のもの。

やがて現地の漁師たちからの「この漁業に変えたい」という強い要望を受け、JICAのプログラムも利用し、タイの漁業技術指導に関わることになったのです。

濱谷さんが海外に伝えたのは、地元の海で自分自身が行っていた漁の方法。濱谷さんにとっては、暮らしの一部である技術が、世界の水産資源を守るために役立つものだったのです。

現地の人たちとともに

環境にやさしいことが注目され、定置網という漁法は海外にも広がりつつあります。しかし、言葉や慣習の違う土地で新しい方法に取り組むことは、やはり簡単ではなかったようです。

日本から新しい方法を導入すると、現状がもっと悪くなるのではと考えて反対する現地の人もいました。自分たちだけでは反対が多くてできないところでした。

タイの海が荒れた原因のひとつは、日本に輸出するための乱獲。その中で日本から漁の方法を伝えることには、タイの人も、濱谷さんも、複雑な思いがあったのかもしれません。

そんな中、当時の東京海洋大学の先生が、現地の人たちに説明する機会をたびたびつくってくれたそうです。

先生は、「定置網は今後資源を守っていくためのひとつの方法かもしれない、最初から拒否するのではなく、いろいろな方法を試してみたらどうか」と現地の人たちに提案。そのうちに、賛同してくれる人が増えていったといいます。

タイにいた6年の間、一言もしゃべらなかったひとりの漁師が、私が帰るときに、「私は貧乏で何もあげられないけれど、家族の幸せを祈るものだから、お世話になったあなたにあげる」とミサンガをくれたんです。そのミサンガが私の唯一のタイ土産です。

そう話す濱谷さんの声には、うれしさがにじみでていました。

濱谷さんが現地の漁師の話をしてくれるとき、そこには親しみが込もっています。漁をするという営みを通して、現地の人たちとまっすぐに向かい合ってきた濱谷さんの姿勢を感じることができました。

漁師を続けるということ

3
宇波の集落。このあたりの地域では、半農半漁の暮らしが営まれていたそうです。

世界でもその価値を認められるようになった定置網漁。しかし、日本では後継者不足などから、存続の危機に直面している地域も多くあります。濱谷さんが漁をする宇波浦も例外ではありません。

濱谷さんは、71歳の今でも定置網漁に出ています。それは、漁師の仕事が好きだからという理由だけではないようです。

宇波浦での小型定置網も漁師が減り、8人乗りの船なのに5人しか乗る人がいません。つまり、濱谷さんも船に乗り続けなければ、漁に出ることが難しい状況なのです。

「本当は漁師をそろそろ引退しようと思っていたけれど、窮地だから、もう少し頑張ろうかな」と濱谷さんは言います。

濱谷さんが地元に帰って父親の小型定置網漁を継いだのは35歳のとき。それまでは氷見を離れて水産会社に就職し、ハワイやアフリカなどを廻る船に乗っていました。当時の花形は大型船。濱谷さんも若いときは、地元に帰って小型の定置網漁をしようとは思わなかったそう。

ホームシックになるので長い航海が嫌いでした。だから港を出ると、まず寝ることにしていたんですよ。そして、日本が見えなくなった頃に起きる。陸地が見えてしまうと、まだ近いな、ここで飛び降りて泳いだら帰れるなと考えてしまうから(笑)

やがて、濱谷さんは一度航海に出ると長く戻ることができない遠洋漁業を離れ、地元の海で父親とふたりで小型定置網の漁に出るようになります。その漁をやっていくうちに、「だんだん愛着がわいてきた」と話してくれました。

定置網の魅力は、回遊してくる魚が変わるので四季折々のさまざまな種類の魚が獲れること。定置網漁は魚が来るのを待つ仕事。来ないとがっかりするし、しびれも切らすけど、また今年も季節が巡ってこの魚が来たねというのが楽しいんです。

私たちが何気なく食べている魚たち。それぞれの魚に旬があることを意識するだけで、季節の移ろいを感じることができます。その魚が獲れた海や漁師の仕事に思いを馳せると、スーパーマーケットに並ぶ魚たちも少し違って見えてくるかもしれません。
 
7
この日、氷見ではマイワシが大漁。定置網漁では、季節ごとに多様な魚が捕れます。

濱谷さんのお話からは、漁師としての日々の仕事への思いが伝わってきます。

漁はもちろん生活のためですが、いろいろな魚と会話したり、漁具を改良したりするのも面白いです。

伝統ある漁の方法にも日々改良を加えながら、仕事を続けてきた濱谷さん。20年前から、同じような小型定置網を経営する人が集まり、みんなでよりよい漁の方法を研究する場もつくってきました。

そこでは、小さな魚が網に入ったら体力を回復させてから海に放流したり、網の目を大きくして稚魚を獲るのを防いだり、この海で長く漁を続けていくための方法を研究してきたそうです。

濱谷さんが続けてきたのは、魚を獲りすぎないことで、海と長く付き合っていく漁のスタイル。

ほどほどにしておくことで、長く続けることができる」。それは、海とともに生きていくための漁師の知恵です。昔から続く暮らしの中には、未来に役立つ知恵が隠れているのかもしれません。

私たちがふだん食べている魚。どんな海で、どんな人が獲った魚なのかに思いをめぐらせてみると、「食べる」という行為にもっと興味が出てくるように思います。みなさんも、魚と漁業をとりまく「今」に、思いを馳せてみませんか。

(Text: 鈴木まり子、Photo: tonegawa haruka、笹倉奈津美、鈴木まり子)

– INFORMATION –

 
ローカルライト‐地域の物語を編む4日間
この記事は、greenz.jpライター磯木淳寛による、ライター・イン・レジデンス「ローカルライト-地域の物語を編む4日間」の講座の一環として制作されました。このプログラムは、【未来の書き手の感性を育み、「善いことば」を増やすことで、地域と社会に貢献する】ことを目的として、0円からのドネーションでおこなっています。詳細はこちらよりご覧下さい→http://isokiatsuhiro.com/WRITER_IN_RESIDENCE.html