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軽トラの荷台に“家”をつくり、大工仕事を学び始めた手塚純子さんは、人生のテーマの根底にあるのは「自由」だと言います。昭和の家から考える“地域の未来”とは?

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手塚純子さんの「ジプシー号」は、丸いトタン屋根が独創的

どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。本当に必要なものは何か。「暮らしのものさし」は、株式会社SuMiKaと共同で、自分らしい住まいや好きな暮らし方を見つけるためのヒントを提供するインタビュー企画です。

こんにちは。新井由己です。軽バンを改造した「オフグリッド移動オフィス」で全国を訪ねている、フリーランスのルポライターです。

2014年の秋に、軽トラモバイルハウスに乗っている人が伊豆でワークショップを開くというので、少し見学させてもらいました。

新しく軽トラモバイルハウスをつくろうとしていたのは、静岡県田方郡函南町で暮らす手塚純子さん。作業場の敷地には小さな畑があり、アースバックハウスを建築中で、純子さんがどんな人なのか、興味が沸いてきました。
 
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軽トラの荷台に合わせて、積み下ろしできるキャンパーシェルを組み立てる。

僕が参加したワークショップは短期間でしたが、その後も作業は続いていました。ほどなく、純子さんは山中湖で開催されたタイニーハウスのワークショップにも通い始めます。

数か月後、素敵な軽トラモバイルハウス「ジプシー号」が完成。そして、2015年8月に高知で開催された「いえづくり教習所」に参加したときに、スタッフとして来ていた純子さんと再会しました。

そんな純子さんは今、築50年ほどの「昭和の家」を手に入れて、自分でこつこつとリフォームを始めたそうです。アースバックハウス、軽トラモバイルハウス、タイニーハウス、いえづくり等、手塚純子さんが目指している暮らし方について、話を聞きました。

純子さんの軽トラモバイルハウス「ジプシー号」の内部。セクシー! – Spherical Image – RICOH THETA

そこにあるものを活かす「アースバックハウス」

きれいに整備された公園に寄りそうように、純子さんのアースバックハウスが建っています。

「アースバッグ」とは、土を袋に詰めた「土のう」のこと。石灰などを混ぜた土を袋に詰めて、叩いて固めながらドーム型に積み上げていく建築方法です。柱や梁などを使わないため、曲線などデザインを自由にできるメリットが注目されています。
 
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山沿いの畑の一角に、アースバックハウスを建築中。

元々、そこにあるもので何かをつくるのが好きでした。アースバックハウスを知ったときに、その土地の土でつくることに魅力を感じて、やってみたいと思ったんです。それで、経験者を探していくうちに、アースバックハウス・ビルダーの吉田鉄平さんと知りあいました。

鉄平さんは「日本アースバッグ協会」が主催するワークショップでアースバック建築の基礎を学び、全国各地にアースバックハウスを建てる武者修行(日本最多の制作数!)のあと、現在は北海道を拠点に「アースバッグの学校」を開いて技術を伝えています。

GWに10日間のワークショップをやったんですが、そのときは下から4〜5段しかできませんでした。

そのあとは、鉄平さん夫婦と各地のビルダー仲間が協力してくれて、1か月くらいで全体の形ができ、外側に漆喰を塗って、中の土間が完成しました。そのあとは、自分ひとりで内側の漆喰塗りをしています。

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チューブ式のアースバックを積み上げた、独特な空間が広がる。

鉄平さんは、アースバックハウスをつくる旅のときに、軽トラの後ろに小さな家(箱)をつくって暮らしていたそうです。それを見た純子さんは「これが欲しい!」とひとめぼれ。千葉県匝瑳市でアースバックハウスを建てた仲間の形川健一さんも手伝いに来ていて、自作の軽トラモバイルハウスに乗っていることがわかりました。

彼がブログで「軽トラモバイルハウスをつくりたい人はいませんか?」と呼びかけていたので、さっそく連絡してワークショップ形式でつくることになりました。そのすぐあとで、山中湖で日本初のタイニーハウスワークショップがあることを知りました。

私はトンカチを握ったこともなかったので、自分もつくれるようになりたいと、山中湖にも通い始めました。

タイニーハウスワークショップを主催したのは、ツリーハウスビルダーとして活躍している竹内友一さん。今では木の上だけではなく、車やトレーラーの上に小さな家(タイニーハウス)を建てています。
 
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山中湖で行なわれた「タイニーハウスワークショップ」には、全国から参加者が通った。

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金槌を握ったことがなかったという純子さんも、立派なDIY女子に成長。

軽トラモバイルハウス「ジプシー号」

進み具合が遅く、形川さんが海外に長期間出かけてしまうので困っていたら、竹内さんが軽トラモバイルハウスづくりを手伝ってくれることになりました。漠然とこんなイメージにしたいというのを形にできたのは、竹内さんの知識と経験のおかげですね。

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丸い屋根の先頭には、アクリルドームが取り付けられている。

「軽トラモバイルハウス」の定義ははっきりしていませんが、キャンパーのシェル部分を車体に固定せずに、簡単に積み下ろしできる構造が特徴です。

あくまでも「荷物」として積んでいるので、普通の軽トラックの登録のままで使えます。それにしても、さまざまなモバイルハウスやタイニーハウスがあるなかで、純子さんの「ジプシー号」は独創性にあふれていました。

ワークショップでつくり始めたときは、まだ具体的なイメージがなかったんですが、やっているうちに「ジプシー風」をコンセプトにして、サビたトタン屋根を使おうと思いました。屋根をかまぼこ型に丸くするのだけは、最初から考えていました。

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後部ドアのアクリル窓は、細かい模様が施されていて、レースのカーテンが乙女チック。

後部の出入口になる扉には丸いアクリル窓があり、その縁の模様も手が込んでいます。細部を見れば見るほど「ここまでするの?」と驚かされます。
 
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玄関になる入り口の段差にも、ジグソーによる切り抜きと模様が施されている。

生まれて初めて電動工具を手にしたんですが、ジグソーを使うのがすごく楽しくなったんです。それで、もっと使える場所がないかと考えているうちに、こんなに細かい作業になってしまいました。

誰かに見てもらって「いいね」と言われることを目指しました。実用的なことはもちろん、女子受けをすることを考えてます。

男の人なら見た目より機能にこだわるかもしれませんが、例えば、ソーラーパネルがそのまま見えていたら、私は嫌なんですよね。

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ソーラーパネルは、アクリルドーム内に入れて目立たないようにしている。

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ソーラー関係のコントローラーやシガーソケットも、箱に入れて扉で隠されている。

ジプシー号が完成したあと、純子さんは北海道や高知へ長期間の旅に出ました。道の駅に車を泊めて寝るときに、キャンピングカーに明かりが灯っているのを見て、うらやましく感じたそうです。ジプシー号との違いは、どこにあったのでしょうか?

私の車は、ほとんど寝るための場所だったことに気づきました。一人旅で話し相手がいないということもありますが、もっとくつろげる空間にしたいと思いました。森のなかの駐車場で休んでいたときに、横の扉をはねあげて、外を眺めながら寝ころんでいたら、すごく気持ちよかったんですよ。

今は、ベッドに座ると目線が屋根の位置なので、外を眺められないんです。屋根のカーブがちょっと強すぎたなと、反省しています。やっぱり大の字に寝たいので、次はベッドを広くして、座った状態で外の景色が見えるようにしたいです。

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ベッドの縁もジグソーで波形に。内張りは、イヴ・サンローランなどのハンカチを染めて、ツギハギに縫って貼ってある。

子どものころにユーミンの『ワゴンに乗ってでかけよう』という歌がはやって、気の向くままに出かけて、好きな場所で寝るのにも憧れたそうです。

でも、まだ子どもだったので、電車に乗って出かけることさえ、お母さんは許してくれませんでした。ジプシー号を手にした純子さんは、子どものころの夢のひとつを手に入れたのかもしれません。

自分の人生を振り返り、原点に戻る

ジプシー号をつくるまでの純子さんは、大工仕事の経験がまったくありませんでしたが、父親がものづくりが好きだったらしく、犬小屋、ニワトリ用マンションのほか、大工の友人と共同で民家を庭に移築した経験があるとか。そんな血筋をしっかり受け継いでいるのかもしれません。

純子さんは、高校を中退して16歳で独り暮らしを始めたそうです。美容師を目指して東京に出て、通信制の美容学校に通って資格を取り、実家に戻って近くの美容院に勤め、神奈川県藤沢市にある発毛専門サロンのフランチャイズ店を任されるようになります。

店長として2年働いたあと、同チェーンのオーナーとして、27歳のときに京都で独立しました。そのときに、50歳で引退しようと決めて、残りの人生は働かなくてもいいくらいの貯蓄を目指しました。結果的に、予定より2年早くリタイアできたんです。

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ジプシー号のほかに、愛車のアルファロメオでドライブを楽しんでいる。

48歳で引退したのが、人生の大きな転換期でした。でも、22年間、お金を稼ぐことを目標にして株式投資をしているうちに、1%の富める人たちと99%の貧しい人たちの構図と、戦争を商売にしている仕組みがあることを知りました。私がやってきたことが世界を悪くしてきたのかと、けっこうショックを受けたんですよ。

そんなときに純子さんは、「私は本当は何をしたかったんだろう?」と自問して、子どものころに見ていたテレビ番組『大草原の小さな家』を思い出します。19世紀末の西部開拓時代を舞台にしたアメリカ児童文学の古典で、大自然を舞台にした家族ドラマの不朽の名作としてアメリカでドラマ化され、日本ではNHKが1975年から放送しました。
 
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『大草原の小さな家』の全巻セットのほか、関心のあるドキュメンタリーDVDが並んでいる。

その影響で自給自足やコミュニティに興味を持っていました。3.11の震災のときにも感じましたが、いざとなったときに、水道が止まったら生きていけないし、実際、停電になって困りました。生きていくのに必要なものを、誰かに支配されていることに、あらためて気づいたんです。

年金もあてにしていないし、国の世話になりたくないと、ずっと思ってきました。子どものころから、人の世話にならないで生きていきたいと思っていて、16歳で家を出たのは、親の支配から逃れたいという気持ちからでした。

傍から見ると、やっていることはバラバラかもしれませんが、根底にあるのは「自由」なんです。自力で生きていくことが、私の人生のテーマなのかもしれません。

地域で暮らすということ

仕事を辞めてから、純子さんの“本来の人生”が始まったのかもしれません。「自力で生きていくこと」をテーマに、アースバックハウス、軽トラモバイルハウス、タイニーハウスワークショップ、いえづくり教習所と学び続け、次は自宅裏にあった空き家を入手して、自分でリフォームを始めました。
 
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昭和37年に建てられたという民家は、昭和の時代を感じさせる。

“昭和の家”と呼んでいるこの家は、10年くらい空き家になってました。おばちゃんが生きているころから「私が死んだらこの家を使ってね」と、なんとなく言われていたんです。

モノよりも、その思いに応えたいと思って、ときどき来ていた妹さんにお願いして譲ってもらいました。

仕事を辞めて京都から実家に戻ってきたときに近所の人たちを見渡すと、安いものを選んで買って、消費し続けている感じだったといいます。夫婦は共働きで、老人たちはデイケアに行き、子どもは別に暮らしているという、どこにでもある地域の暮らしに、純子さんは疑問を感じ始めます。

この地区は14軒ありますが、私と同じ世代はみんな嫁に出てしまって、おじいさんやおばあさんの家ばかりです。

近所の人たちは、私のことを小さいころから知っているので、みんな親戚みたいです。そんな身近な人たちに、食の安全や遺伝子組み換え、原発などの問題を知ってほしいと思ったんです。

“昭和の家”を使って、近い将来、お茶の間上映会をやるつもりです。まず、『モンサントの不自然な食べもの』の上映会をしたい。食はいちばん身近だし、家庭菜園をしている人も多いですからね。

花を育てるのが好きな人が「最近、ミツバチが来なくなった」と言ってます。除草剤のラウンドアップも、世界では禁止されているのに、日本ではホームセンターで安売りされていて、問題に気づきにくくなっていますよね。

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職人さんに習ってタイルを貼り、風呂桶の裏側にも断熱材を貼り付けた。

かつてフランチャイズ店のオーナーをしていたときに、純子さんは経営者としてたくさんの社員を雇用してきました。「売り上げを伸ばすために、情報収集と心理戦で人の心をうまくコントロールしてきた」と、当時を振り返ります。

ある日、退職する女性に「人を将棋の駒みたいに使って」と言われ、自分のやっていることに罪悪感を覚え、悲しくなったそうです。

自分自身がコントロールされたくないのに、人をコントロールするのは罪ですよね。

一人ひとりが自然体でいられ、そこから生まれてくる自由な空間をつくりたい。タイニーハウスのワークショップで竹内さんがつくる世界が、まさに理想なんです。そこに居合わせた人たちで考えたものと、竹内さんのアイデアがうまく融合して、毎回、違う形になってしまう。彼がつくるその場の空気が心地いいんです。

お茶の間上映会でさまざまな問題に気づいてもらったあとで、そのまま放り出すのではなく、自分たちは何ができるのか、そこにいる人たちで考えていけるような、自由な発想ができる場所をつくりたいですね。

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この家に人が集まって、身近な人たちと地域のあり方を考えることが、今の目標だという。

インターネットやSNSでつながっていても、いちばん知らせたい人、話し合って未来をつくっていきたい人は、隣近所の人たちと、純子さんは言います。

両親に愛されて育った記憶と、近所のおじいちゃんやおばあちゃんと共に過ごしてきた地域を大事にしたい…。純子さんの目に浮かんでいる未来は、14軒が立ち並ぶ直線距離200mのなかにあるようです。

身近な人たちとコミュニケーションをとり、問題を共有して日々の暮らし方を意識的に変えていこうとすることは、「トランジションタウン」という市民活動としても広まっています。みなさんも、まずは隣近所の人に話しかけてみませんか?

(Text: 新井由己)

新井由己(あらい・よしみ)
1965年、神奈川県生まれ。フォトグラファー&ライター。自分が知りたいことではなく、相手が話したいことを引き出す聞書人(キキガキスト)でもあり、同じものを広範囲に食べ歩き、 その違いから地域の文化を考察する比較食文化研究家でもある。1996年から日本の「おでん」を研究し、同じころから地域限定の「ハンバーガー」を食べ歩く。近著に『畑から宇宙が見える 川口由一と自然農の世界』(宝島社新書)、『THE BURGER MAP TOKYO 東京・神奈川・埼玉・千葉』(監修・執筆/松原好秀 撮影/新井由己 幹書房)などがある。
http://www.yu-min.jp