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島に寄り添うメディアから、島のパートナーへ。「続いたことが奇跡」と振り返る『離島経済新聞』鯨本あつこさんに聞く、島に教わった大切なこと

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(撮影:服部希代野)

ソーシャルデザインの担い手を紹介する「マイプロSHOWCASE」スタートから約3年。greenz people(グリーンズ寄付会員)のみなさまの会費をもとに展開する新連載「マイプロものがたり」は、多くの共感を集めたマイプロジェクトの「今」を伝える、インタビュー企画です。

日本はいわば国そのものが島の集まりです。

本土5島を除く「離島」と呼ばれる島は6847島あり、そのうち有人島が418島。(国土交通省の資料による)そうした離島には、文化や自然などの魅力が残る一方で、医療や教育機会の不足、人口流出、高齢化といった多くの課題を抱えています。

そんな小さな島々に光を当てようと、島の情報を取り上げてきたのが『離島経済新聞』(通称、リトケイ)です。

ウェブサイトでの情報発信に始まり、タブロイド誌『季刊ritokei』を発行。今では島の人たちと共に事業やプロジェクトを実行するクリエイティブチームへと進化しています。

リトケイがこれまでに歩んだ道のりとこれからの展望を、鯨本さんとリトケイのスタッフに伺いました。
 
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鯨本あつこ(いさもと・あつこ)
NPO法人離島経済新聞社 代表理事兼編集長。株式会社リトルコミュニティラボ代表取締役。1982年生まれ、大分県日田市出身。地方誌編集者、広告ディレクター、イラストレーター等を経て、2010年10月に離島経済新聞社を設立。

島の情報ってわかりづらい、から始まった情報サイト

小さな島ひとつひとつの情報は規模が小さく、マスメディアに取り上げられる機会があまりありません。そんな小さな島々の文化や産業、暮らしを記事にしていこうと始まったのがリトケイでした。

もともとは鯨本さん自身が島の情報を探しにくいと感じたのがきっかけ。

鯨本さん 友人が移住した離島を訪ねようと調べたとき、ネット上の情報がとてもわかりづらかったんです。

でも実際に島を訪れてみると、とっても面白い場所。その面白さが外の人に伝わらないのは勿体ないと思ったんですね。それで仲間4人でウェブサイト『離島経済新聞』をつくりました。

媒体名に「経済」と付けたのは、島の経済活性に寄与できるような内容にしていきたかったから。全国の島をすべて自分たちの足で取材するのは難しいため、メディアやSNSを活用して、まずは島とのつながりをつくることを目指しました。

イベントを重ねて培ったネットワークから、これまでに島内外の50人ほどが情報発信に協力してくれています。2011年秋には、タブロイド誌『季刊ritokei』を創刊。平均約1万部を発行し、島の港や民宿など340カ所以上に配布されています。

そうした成果が評価され、代表の鯨本あつこさんは2013年のTEDxTOKYOにも登壇しました。
 
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2013年「島酒ふるまい会」の様子。

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2011年秋の創刊準備号から始まった『季刊ritokei(リトケイ)』。現在、最新号2015年春発行のvol.12「島に渡るのりもの」を発売中。(撮影:服部希代野)

「島の役に立つメディア」を目指して

はじめは島のことを「もっとわかりやすく」と始まったリトケイですが、取材を重ねるうちに、鯨本さんたちは島の置かれる状況をより深く知るようになります。

島の産品は運送費がかかるためコスト高にならざるを得ないこと、お祭りなど文化が色濃く残る一方で継承者が減っていること、病院や学校がない問題…など、島にはさまざまな課題があります。

そうした声を聞くなかで、鯨本さんたちが目指すようになったのは「島の役に立つメディア」でした。

鯨本さん ベースの考え方は最初から変わっていませんが、島の暮らしに役立つような記事をという意識は、より強くなってきました。

島で知っておくといいニュースや、ほかの島でも参考になる政策の事例、島の資源を見つめ直すことができるような記事を掲載するようにしています。

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「例えばこれまでに取り上げたテーマは、仕事、言葉、学校、育児…と、島での暮らしを意識したものが多いです」と鯨本さん。

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3年近く編集担当としてリトケイに関わってきた宮本なみこさんは、ある記事について、こんな話をしてくれました。

宮本さん 佐渡島のお祭り、鬼太鼓(おんでこ)の記事を掲載した時には大きな反響がありました。

島から人が減っていくなか、祭りの果たす役割や、どうそれを継承していこうとしているのか、その葛藤を佐渡島出身のライターさんが書いてくれました。

継承問題が解決する、という話ではありませんが、うちの島も同じ、参考になったと多くの声が届きました。ああ私たちのメディアの役割って、こういうことかもしれないってその時に思ったんです。

05_MG_13592013年1月より正式に常勤スタッフになった編集・校正担当の宮本さん。(撮影:服部希代野)

悩んだ末にたどりついた、NPO法人化という選択

ところが、リトケイの立ち上げ以来、鯨本さんたちがもっとも苦労してきたのは、制作資金の問題でした。

「これまで続いたことが奇跡」と言うほど、続けることに精一杯。鯨本さんは編集やデザインなど別の仕事を請負って、リトケイの制作費に充てていた時期もありました。

というのもメディアの場合、最も一般的な収益源は広告収入ですが、リトケイには絶えず「それは島の人のためになるか?」という葛藤があったのです。

現在NPO法人の事務局長を務める大久保昌宏さんが、こんな話をしてくれました。

大久保さん 営業するとしたら、本土の会社の方がビジネス規模も大きくて営業しやすいんです。でも本土のビジネスを島に向けて宣伝することが、果たして島のためになるのか。

だからと言って、島に押しかけて広告費をとろうとするのも何か違う。島のことを考えると、広告で稼ごうとするのはそぐわなかったんです。

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大久保さんはリトケイ発起人のひとりで、付かず離れずの関係でリトケイをサポートしてきた方でもあります。2014年から常勤スタッフに。(撮影:服部希代野)

それでも、島の人たちの「こんな情報が欲しかった」という声や、島を守ろうと人生をかけて奮闘する若い人たちの姿を見ていた鯨本さん。「彼らのことを思うと、やめるわけにいかないなと…思いますよね」。

そこでリトケイが取った選択は、NPO法人化でした。それまで株式会社として運営していた組織を、2014年に正式にNPOにして現在会員は300名ほど。リトケイの思いに賛同する会員に支えられ、現在ではコアスタッフも5名に増えています。

メディアから島のパートナーへ。石垣島のクリエイターとともに

こうして島のことを考えてきた結果、リトケイには新たな役割が生まれ始めます。商品開発の相談をしにオフィスを訪れる島の人がいたり、他の島の動向を聞きに訪れる行政マンも。
 
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世田谷区三軒茶屋にあるリトケイのオフィス。(撮影:服部希代野)

そうした相談の中から生まれたプロジェクトの一つが、2013年に始まった「石垣島クリエイティブフラッグ」です。

これは石垣島にゆかりのあるクリエイターやデザイナーを集め、“クリエイティブの力で島を盛り上げる”ことを目的に石垣市の若手職員らが発案した事業。リトケイは、クリエイターのPRや育成を図る企画やファシリテーションなど、彼らを後押しする役割を果たしました。
 
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「石垣島クリエイティブラボ」の開催風景 。東京での展示イベントも行った。

島のもつ課題として、ラボの参加者から挙げられたのは、以下のようなことがら。

「島の高校生は職業観が乏しい…将来の夢を聞くと、美容師、看護師、公務員と名前の付いた職業がほとんど。」

「もっといろんな選択肢があることを、もう少し早い段階から教えられたら」

「島では圧倒的に交流が足りない…都会では毎週末どっかで展覧会やってたり…島では作らないと起こらない」
(「石垣島クリエイティブラボ実施レポートより」)

鯨本さんはこう話します。

鯨本さん 島は海に隔てられている分、島外の人との交流がもちにくく、刺激が少ないという課題があります。

自分たちのような立場の人間が手伝うことで、同じ悩みを抱えている人や、ヒントをくれる人を集めて話し合う場をつくったり、島を越えた交流の機会をつくることができる。メディアでの情報発信以外に、そんな活動をしてきました。

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琉球大学主催の「島々の若手の集いin沖縄」ではリトケイがその一部をお手伝い。参加者は3日間かけて島の行政、教育などについて話し合い、島同士共通の課題があることを再確認した。(撮影:服部希代野)

さらにリトケイは、島と島を結ぶ役割も。東京で行われたイベント「シマナイト」では伊豆大島や屋久島など4島の人々が集い、島の魅力をプレゼンし、交流を深めました。

他にも島で活躍する島人をゲストに招き、島の課題やその解決策について学ぶ講座「リトルコミュニティの経済学」を開催。受講者のなかにはこれをきっかけに、島へ移住した人もおり、メンバー同士SNS上でグループをつくり今も対話を続けています。

普段島で暮らしていてもなかなか知り合えない島人と島内外のつながりを、リトケイが介することで生み出してきたのです。
 
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Yahoo! JAPANの社員食堂「BASE6」を借りて行われた「日本の離島は宝島」をテーマにした「シマナイト」には数多くの人が参加。

子どもたちの未来へ

そうしたプログラムの実績が認められ、事業として任されるようになると、徐々に経営も安定してきました。そんなリトケイがこれから、もっと力を入れていきたいと考えているのが、人材育成や教育のプロジェクトです。

2014年に日本財団との共同事業として始まったのが、『うみやまかわ新聞』プロジェクト。

全国の離島や中山間地域に暮らす小学生を対象に、「うみ・やま・かわ」をテーマに地元のことを取材して地域新聞をつくるという学習プログラムで、初年度は利尻島から与那国島まで全国5地域の小学生が参加。

完成した新聞は渋谷ヒカリエで展示され、参加者みんなが東京に集合して完成発表会が行われました。
 
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与那国島の『うみやまかわ新聞』講座の様子。

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池尻ものづくり学校で行われた『うみやまかわ新聞』の完成発表会。

鯨本さん このプロジェクトには二つの大きな意味があります。ひとつは自分の地域のことを知ること、もう一つはよその地域を知ることで自分の地域を客観視できるようになること。

島や小さな村で生まれ育つと、なかなか外の人たちと交流しにくい環境にありますが、ほかの地域を知って比べて、自分の地域の特徴がわかると思うんです。

こうして、島の情報を発信するだけでなく、島の人たちと共に活動を続けるリトケイ。この事業は益々大きな飛躍につながっていきそうです。
 
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全国5地域の小学生とリトケイの制作チームによってつくられた『うみやまかわ新聞』。

「メディアとしてはまだまだ。ようやく体制が整ってきたので、これからもっと力を入れていきたい」と鯨本さん。

私生活では最近出産をして女の子を授かり、この春から旦那さんの実家である沖縄に生活拠点を移す予定です。そんな彼女が昨年TEDxTokyoの舞台で話した言葉が印象的だったので、最後にご紹介しましょう。

鯨本さん 私は、島の人たちに気づかされたことがあります。

人生で本当に大切なのは新しいものとか沢山あるものだけじゃなくて、どんなに小さくても遠くても、自分の愛する場所とか仲間とか、家族とか、そうしたものを大事にすること。それが大切なんだと学びました。

派手なことや展開の大きさで勝負するのではなく、大切な人たちに寄り添って小さくても誠実に届けていくこと。これは、苦しいときも着実にリトケイを発行し続けてきた鯨本さんやチームの姿に通じるものかもしれません。

あなたにとって、本当に大切なものは何ですか。島が、すべての人に教えてくれています。
 
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