ISSUE☆グリーンズ企画 学びの場の現在地

1 year ago - 2015.02.05

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人生を丸ごとかけずとも、できることはある! 文系エンジニアの吉永隆之さんがサラリーマンを辞めて、浪江町の復興にたずさわるまで

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福島県川内村で行われたお祭り「ふたばワールド」にて

何となく会社に入ってみたら、もしくは入りたくて入った会社ではあるけれど、実際に与えられた仕事にはいまひとつ手応えを感じられずにいる、そんな人はいませんか。

現在、福島県の浪江町町役場で震災復興にたずさわる吉永隆之さんも、数年前までは、“とりあえず”入ったIT企業で、自分自身や仕事内容に疑問を抱きながら働くサラリーマンでした。でも、いまは自分の能力を社会に役立て、充実した日々を送っています。

吉永さんはどうやって、人生を良い方向へ変化させたのでしょうか? これまでの歩みと、現在吉永さんが携わる「Code for Japan」の活動についてお話を訊きました。
 
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吉永隆之(よしなが・たかゆき)
1980年生まれ。神奈川県出身。浪江町役場勤務、Code for Japan フェロー。2004年NTTコムウェア入社、その後アクセンチュアを経て、10年間、企業の業務システム構築に携わる。2012年たまたま参加した「子ども原っぱ大学」をきっかけに、会社員として働く傍ら、NPOの活動サポートや、自由大学の講義アシスタントを行う。2014年4月、自由大学の講義をきっかけに浪江町のプロジェクトを知り、参加を決意。同年7月、結婚したばかりの妻を東京に残し、福島へ単身移住し浪江町役場にてタブレット配布事業のプロジェクトリーダーを務める。

サラリーマンが将来を考えるとき

現在は社会課題に取り組む吉永さんですが、学生時代はバンド活動に明け暮れ、勉強もせず、留年も経験しました。

「バンドやめて就職しようかなって、特に何も考えず就活に突入して、行きたい会社に入る努力もせず、ひとつの会社しか受からなかったからそこに行ったみたいな」形で、最初の就職先であるIT企業に就職し、システムエンジニアとして働き始めます。

とはいえ、吉永さんはプログラミングができるわけではありません。システムエンジニアにもいろいろあり、文系出身のエンジニアの場合は、紙の上で設計書のようなものを書いて、それをプログラミングできる人が行うといった仕事のやり方をするのだそう。

ウェブ制作でいうディレクターのような、マネージメント的役割。その将来像を描いたときに見えるのは、自分のマネージメントの規模を膨らましていくことだけでした。

そこで彼は、自分なりの文系エンジニアの将来像を探っていくことにします。
 
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IT企業でシステムエンジニアとして働いている頃、出張先のパリにて

たとえば、社会のために何かしたい気持ちとか、ちょっと自分なりの色を持たなければ、同じマネージメントをするのでもダメだなって思ったんです。

その結果、吉永さんは海外と日本、特に地方をつなげることを志すようになりました。

地方を海外に売り込めるように、しかもプロジェクトを回せるスキルを身につけるために、外資やマネージメントに強い会社に行こうと考え、アクセンチュアに転職します。いまから2年ほど前のことでした。

ここまでは、将来を見据えて転職する、よくあるストーリーかもしれません。けれども、吉永さんは転職する前にできた時間を使って、いろいろな経験を積もうとしました。それが彼に影響を与えたり、後に仕事へのきっかけを生んだりすることになります。
 
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自由大学では学生とした学んだ後、キュレーターも務めました

吉永さんが通ったのが、ソーシャルデザインについて学べる「グリーンズの学校」や、「大きく学び、自由に生きる」をテーマに、IT、出版、旅、ライフスタイル、これからの働き方などを学べる「自由大学」など。より自分らしい生き方や働き方を考えたり、既存の価値観にとらわれない人たちが多く集まる場所です。

そこで吉永さんは、いろいろな生き方をしている人がいること、その人たちが楽しそうなことに衝撃を受けます。そして、講師をしていたgreenz.jp副編集長の小野さんを通して、NPOには現場で働いてくれるマンパワーが不足している問題を知りました。

いつか自分もそういう人の手伝いがしたい。そこで彼が考えたのは、仕事で培ってきた文系エンジニアとしてのプロジェクトマネージメント力を軸に、活動してみようということ。

アクセンチュアで2年働き、マネージメントのノウハウを学んだ吉永さんには、「これを使ったら自分でも何かができる」という気持ちが生まれてきていました。こうして吉永さんの生きる道筋が、だんだん浪江町へと近づいて行きました。

浪江町とCode for Japan

吉永さんの浪江町での仕事の話をするには、Code for Japan抜きに語ることはできません。

Code for Japanは、アメリカにあるCode for Americaの日本版。テクノロジーを活用して地域の社会課題を解決する団体で、公共サービスの開発や運営を支援しています。

なぜそういった活動が必要とされるかと言えば、地方自治体にはITの専門家がいないため、業者の提案のいいなりになってコストの高いシステムを入れたり、本当に市民が求めているサービスではないものに多額の税金を使ったりする問題があるからです。

浪江町では、タブレットを活用した「きずな再生事業」を行うために、Code for Japanをパートナーとしていました。

この事業は、全国ちりぢりに避難している町民10,000世帯にタブレットを配ることで、行政情報を迅速に提供し、コミュニティを維持しようという試みです。
 
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タブレットを手にした吉永さん。生き生きとした表情が印象的です

吉永さんは自由大学が縁でCode for Japanと出会い、2014年7月より、復興庁の市町村応援職員として浪江町に派遣されることになりました。アクセンチュアで得たマネージメントのノウハウを実践したい、社会貢献もしたい、そういった希望を実現する場を、彼は浪江町にみつけたのです。

浪江町で働けば、自分がやりたかったことにたどりついて、次の景色が見えるような気がしたんですよね。

震災の復興に役立ちたい気持ちがある一方、今まで逃げてきた人生を変えるチャンスがこのタイミングでやってきたように吉永さんには感じられたようです。そこには、過去の仕事そのものに対する疑問もありました。

システム会社は、本来システムを提供することで課題を解決するのが仕事でありながら、「ときに無理矢理、課題らしきものを見つけて解決策を提案することに疑問を抱いたこともあった」といいます。

さらに、企業の規模を維持するために必要な売上を稼がなければなりませんが、企業の規模や雇用の流動性が低いというような矛盾を感じるようにもなりました。吉永さんは、「誰かのために仕事したい」と思うようになります。

「町おこし」ではなく、「町残し」

吉永さんは当初、タブレットを配るという「きずな再生事業」に対して、もっとほかのお金の使い方があるのではと、疑問を感じていたそう。

けれども、浪江町にある複雑な問題を考えるうちに、タブレットにある可能性や価値に気づくようになりました。

浪江町には、原発事故や津波によるさまざまな被害の人がいて、賠償金もらっている保障額にも差があります。そういったことから、どうしてもギスギスした、気持ちの上でもする減っている状況で、皆で一緒に何かをしようというのは難しい状況かもしれません。

だからこそ、避難している人びとの心やきずなをつなぐことに、大きな価値がある。そう吉永さんは考えているのです。

ちりぢりに避難していて、現実的に浪江町に関わることは難しいわけですよね。

タブレットで提供される浪江町の話題を、現実的なレイヤーとは違う別のレイヤーで、音楽を楽しむみたいな形でコンテンツのひとつとして楽しむことで、もう一回つながれるんじゃないかと思うんです。

計画では、これから3年後に除染が終わります。町も町民が町へ戻れるように整備を行っていますが、最新のアンケートでは、町民の6、7割の人が「戻らない」、「判断できない」と答えています。

除染が終わっても、浪江町は、町そのものを維持できなくなるかもしれないという課題に直面しているのです。

気持ちをつなげることに力を注ぎ、みんなの中にある町を残していこうと思っています。“町おこし”ではなく、“町残し”ですね。

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東京近郊に避難している人たちの交流会で行われたタブレット体験会の様子

現在は、タブレットの中に入れるアプリを開発中。「きずな再生事業」がスタートすれば、タブレットで、『福島民報』のニュースが読めたり、福島テレビがYouTubeで見れるようになります。

全国に散らばっている人から、全国各地の避難先のニュースを届けてもらったり、小中学生が誰かに取材して発信するとか、若者が発信できる場をつくったりしたいですね。

どこどこの息子が出てたよとか、話題のきっかけづくりができたらいいなと思っています。

浪江町でのプロジェクトで得たいろいろなノウハウを、過疎化などが進む被災地以外のほかの地方都市でも役立たせていきたい。吉永さんの思いは、さらに広がっています。

吉永さんのこれから

仕事は1年ぐらいをめどに考えていますが、「まだどうなるかは未定」と吉永さん。期限は最大3年ですが、彼はパートナーを東京に残した二重生活中で、今年の7月以降は、フルタイムではなく、週に何回か行くなど、別の形態で働ければと考えているようです。

どうしても入りたくて入ったというわけではない企業で、サラリーマンとして働いていた頃から考えると、いまの吉永さんは自らの能力を活かし、誰かのために働くという希望をかなえて働いています。

これから吉永さんはどんな生き方をしていくのでしょうか。

おやじが海外赴任が多く、ほとんど家にいなかったので、僕は家にいて、子どもや妻と過ごす時間が多くとりたい。そうやって家族を優先する働き方ができたらいいと思いつつ、ほかの地方でプロジェクトマネージャーとして働く可能性があれば、やりたい気持ちもああります。

その矛盾を感じつつ、「いま、思ったけど、家族と一緒に地方に行ってもいいんですよね」と破顔しました。そう、まだまだ吉永さんの将来は可能性に満ちています。

たくさんの社会課題がある中で、その解決方法として吉永さんが思うのは、一部の人が人生を丸ごとかけたり、一生の仕事として取り組んだりする以外の方法も、あるかもしれないということ。

僕みたいに、例えば会社を辞めて、「町の支援に2、3年行ってきました」みたいな、長い人生でそういう選択をする人がいっぱい増えたら、面白いじゃないですか。

社会に貢献し、人の役に立ち、自分のやりたい仕事をしていく生き方は、人の数だけさまざまなはずです。

吉永さんの生き方を見ていると、自分が幸せな人生を歩みながら、社会のために働く、そんな人が増えることで、社会全体の幸せの総量が増えた明るい未来が見えるような気がしました。

ともに考え、ともにつくる
Code for Japan

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村山幸

村山幸

greenz シニアライター 1973年京都生まれ。ライター。雑誌やWEBでインタビューを数多く手がけています。 人権問題に特に関心があり、誰もが自由に自分らしく生きられる世界に少しでも近づくように、小さなアンテナを広げ中。

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「ほしい暮らしも、ほしい仕事も、自分たちでつくろう」 グリーンズの学校は、 これからの暮らしを「つくる」 これからのしごとを「かんがえる」 グリーンズのノウハウを「まなぶ」 この3つのテーマを軸に、みんなの「こうしたい」「こうありたい」思いやアイデアをかたちにする場です。 ゲスト講師には、greenz.jpの取材先のみなさん。 くらし、エネルギー、働き方など多くのテーマを通じて、「ほしい未来をつくる」人や事例を紹介してきました。 ゲスト講師の実践と工夫の積み重ねを聞き、フィールドに伺いながら、それぞれの「つくりたい未来」を具体化していきます。 ファシリテーターは、クラスの案内人。 クラス全体の進行はもとより、様々な問いや体験から受講生の思いや具体的なアクションを引き出していきます。 そしてクラスメイトは、かけがえのない仲間となることでしょう。一人でぶつかってしまいがちな課題も、一緒に話し合うことで新たな視点やヒントを共有できます。 ぜひわたしたちと一緒に、あなたの「ほしい未来」をつくりませんか?

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