ISSUE☆おすすめの連載! わたしたちエネルギー

1 year ago - 2015.02.02

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“想い”に応え、輪を広げていく。エネルギーを市民の手に取り戻すきっかけをつくった藤野電力・小田嶋哲也さんが「専業から兼業になった理由」

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(photo:袴田和彦)

ソーシャルデザインの担い手を紹介する「マイプロSHOWCASE」スタートから約3年。greenz people(グリーンズ寄付会員)のみなさまの会費をもとに展開する新連載「マイプロものがたり」は、多くの共感を集めたマイプロジェクトの「今」を伝える、インタビュー企画です。

数年前に比べると、自然エネルギーを取り巻く環境、ずいぶん変わったと思いませんか?

太陽光発電は、お金がかかる遠いものだという感覚は薄れ、オフグリッドシステムを暮らしに取り入れる人も、あまり珍しくなくなりました。風力や地熱、バイオマス、水素など、新たな自然エネルギーの開発や活用も進んでいます。

当たり前ではなかったものが少しずつ当たり前になっていくプロセスを、私たちは今、まのあたりにしています。なかでも、エネルギーが巨大で手が届かないものだという従来の認識をひっくり返したプロセスには、「藤野電力」の存在は大きかったのではないでしょうか。

今回は「藤野電力」の立ち上げからコアメンバーとして関わっている小田嶋哲也さんにお話を聞きました。活動開始から3年以上が経過し、エネルギーを市民の手に取り戻すきっかけとしての役割は終えた今、藤野電力はどこに向かうのでしょうか。
 
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(photo:袴田和彦)

小田嶋哲也(おだじま・てつや)
藤野電力・エネルギー戦略企画室室長。1972年生まれ。神奈川県相模原市緑区(旧藤野町)在住。プログラマーとして働いていたが、東日本大震災をきっかけに退社を決意。藤野電力唯一の専業メンバーとして活動の中心を担う。現在は、電気工事の技術を学ぶため、県内の電気工事店でも修業中。また、地元の廃校アートフェス「ひかり祭り」では実行委員長を務めている。

身の丈で始まった、小さなまちの市民運動

藤野電力は、2011年の東日本大震災を契機に、神奈川県相模原市の旧藤野町地域で、自立分散型の自然エネルギーに地域で取り組もうと始まった市民運動です。

「まずは身の丈で、できることからやっていこう」と取り組んだのが、地元の廃校アートフェス「ひかり祭り」での電源供給と、電気を自分の手でつくってみる、独立型ミニ太陽光発電システムの組立ワークショップでした。

するとこれが、予想以上に多くの人々の共感を集めました。ソーラーでの電源供給で全国各地のイベントに招かれ、ワークショップの開催依頼も殺到するようになりました。そしてあとを追うように、あちこちで独自の取り組みを行なうご当地電力が誕生していったのです。
 
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ミニ太陽光発電システムの組立ワークショップのようす。女性や子どもでも、簡単につくることができます。(photo:袴田和彦)

greenz.jpでも、2012年2月に組立ワークショップのレポートを掲載しましたが、イベントレポートとしては当時、異例のシェア数を記録しました。

また、グリーンズが手がけるプロジェクト「わたしたち電力」は、藤野電力の全面協力のもと、展開されています。社会のエネルギーに対する関心は、日増しに高まっていくばかりです。

今も変わらない4つの具体的な取り組み

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(photo:袴田和彦)

以前のレポート記事の中で、小田嶋さんは、藤野電力の4つの具体的な取り組みを挙げていました。

1. イベント自体を自然エネルギーでやろうという試み(電源供給)
2. 独立型ミニ太陽光発電システムの組立ワークショップ
3. 個人宅に、直接、発電キットを施工すること
4. “市民発電所をつくりたい”という、取り組みというより夢

今も、やっていることは当時と変わっていません。ただ、全体的な流れでいうと、その比率が変わってきています。電源供給の案件数はもうずいぶん落ち着いているし、ワークショップの開催数もなだらかに減ってきています。

その理由は大きくふたつ考えられます。ひとつは、同じような活動をしている仲間が増えて、わざわざ藤野電力を遠くから呼ぶ必要がなくなったこと。そして、世間全体が日常に戻りつつあるということです。

東日本大震災の衝撃はとても大きかったし、それに伴って何かしなきゃという熱が社会全体に巻き起こりました。でも時間が経って、その熱は落ち着いてきたという印象があります。これはいい悪いではなく、人間は、いつまでも緊張状態でいられる生き物ではないので、当然の流れだと思います。

それでも、確実に311以前の日常ではないとも思います。舞い上がったちりがもう1度降り積もって、ちょっと姿を変えた。うっすらと積もった小さな変化だけれど、311以前とは違う日常が現れ始めています。

活動の比重はワークショップから発電キットの施工へ

そして、電源供給やワークショップの減少と反比例するように増えてきたのが、個人宅への発電キットの施工と市民発電所づくりでした。

電気は自分たちの手でつくることができるとわかったあと、今度はそれを実際の暮らしに活かしたいと考える人が増えてきたのです。
 
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個人宅の施工風景。このお宅では、施主さんも一緒に作業しました。

個人宅への施工が始まったのは、2012年末頃。藤野電力メンバーでもある建築設計士、池辺潤一さんの「電球1個、コンセント1個でもいいから、オフグリッドで施工できたら面白くない?」というアイデアからプロジェクトが立ち上がりました。

地元の建設会社の協力も得て、施主さんへ提案。その方の暮らしに合わせた形で、パネルが1枚か2枚程度の小さなオフグリッドシステムを新築住宅に組み込みます。

電気代が特別安くなるというわけではありませんが、一部でもソーラーで賄うことで電気のありがたみが感じられること、停電時には最低限の電力を賄うセーフティネットとして機能することから、施工数は徐々に増えていきました。

2014年12月現在で、藤野地域を中心に、20件近い施工を手がけています。

何かあったときに、みんなが安心して寄り合える場所づくり

そしてもうひとつ、大きく動きがあったのが市民発電所の設置です。

市民発電所といわれて、みなさんはどんなものを思い浮かべるでしょうか?

市民が出資して設備を整え、地域への電力供給を行ない、余剰電力は売電をして出資者へ還元する。そういった制度設計を想像する方が多いのではないかと思います。

しかし、藤野電力は違います。藤野電力のいう市民発電所とは、小さなオフグリッドソーラーシステムをまちのあちこちに設置することでした。
 
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市民発電所・6号機(篠原の里)の入口に設置された電源タップは、電動バイクや電動自転車の充電用として使われています。

藤野電力の原点は、東日本大震災で停電したときに不自由さを感じたことでした。電気がゼロの状態を経験して、あかりがせめて1灯でもあれば、携帯電話だけでも充電できれば、パソコンさえ使えれば、と思ったところからワークショップが始まったんです。

市民発電所の規模にしても同様です。藤野は、巨大な地震に限らず、土砂災害や台風被害なども起こりうる地域。何かあったときにみんなが安心して寄り合えるところ、そういう意味合いでの市民発電所っていうのが最初のコンセプトでした。

だから、いわゆる大きな市民発電所の制度設計というのは…やっぱり違うんです。

何かあったときに不自由にならないようにするための、藤野電力流「市民発電所」。

でも「それだけではもったいない」と、電動の乗り物の充電ステーションとして活用したり、施設の一部の照明やコンセントをソーラーで供給して利用したりと、工夫を凝らした形で設置を進めてきました。

ゆっくりと、でも着実に進化している市民発電所

現在、市民発電所は0号機から6号機までつくられていますが、その形や規模はさまざまです。すべてが成功しているというわけでもありません。

たとえば、藤野電力の事務所がある牧郷ラボの「100%自家発電プロジェクト」は0号機に当たりますが、発電量が実際の使用量に追いつかず、2014年2月の大雪の被害を受けたこともあって、計画は中断しています(2015年春から計画を変更して再開予定)。
 
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牧郷ラボ100%自家発電プロジェクトでは、藤野電力のメンバーだけでなく、主旨に賛同する仲間が地域内外から集まって作業を行ないました。(photo:袴田和彦)

新しい発電所をつくるたびに、どのくらい活用されているのかということへの配慮と改善は少しずつしてきています。1号機は「野山の食堂」に設置しましたが、駐車場に電源タップがあるだけで建物内で使うことができず、日常的に使いづらい状態でした。

それを受けて2号機を設置したアートビレッジ「サンヒルズ」では、日頃、施設で使う電力の一部を担えるように、階下へ降りる通路の照明として活用しています。

3号機はモバイル充電ステーションです。車輪をつけた可動式の小さなもので、イベント時など、必要なときに移動して使うことができます。

4号機を設置したNPO法人たんぽぽの「カフェてくてく」では、室内にコンセントを引っ張って、いつでも使える状態をつくりました。
 
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藤野電力で購入した電動自転車。モニターとして地域住民への貸し出しも行なっています。市民発電所が各所に誕生したことで、充電の残量を気にすることなく、山奥の集落を訪ねることができるようになりました。(photo:袴田和彦)

5号機はリヤカー発電機。電動自転車に取り付けて引っ張れるようになっていて、充電しながら移動できるというものです。

まぁ5号機は…面白いよねっていうノリでつくっちゃったかな(笑)実用性はあまりないです。

たまに遊び心が顔を覗かせるのも、藤野電力ならでは、です。
 
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6号機の設置作業中の鈴木俊太郎さん。もはや本職の工事屋さんにしか見えません。

そして6号機は「篠原の里」なんだけど、これは俊さん(藤野電力メンバーの鈴木俊太郎さん)の力作で、食堂の照明の半数と、施設内の保育園を利用するお母さんたちから要望が多かった外階段の外灯、そして入口のところにコンセントも取り付けました。

篠原の里はストーブもペレットストーブだし、調理設備もあります。いざというときは、完全な防災拠点になりますよ。不自由はまったくしないと思います。

スピードが求められる社会から、持続可能な社会へ。その姿勢をそのまま体現するかのように、1歩1歩、ゆっくりと進化しているのが、藤野電力のつくる市民発電所なのです。

小田嶋さんの選択。専業から兼業へ

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(photo:袴田和彦)

じつは小田嶋さん個人としての大きな変化もありました。これまで専業で藤野電力の活動に取り組んでいた小田嶋さんですが、2014年10月から、県内の電気工事店で働いているのです。

この電気工事店主催で以前にワークショップを開催したことと、初期のワークショップに参加したことをきっかけに電気工事士になった人が働いているという素敵なご縁から、働かせてもらうことになったそうです。

働こうと思ったのは、電源供給やワークショップの件数が減り、経済的に厳しくなってきたこともありますが、将来に向けて「もっと本格的な技術を身につけたい」と考えたことが大きかったのだそうです。

僕は、藤野電力をやる前はコンピューターのキーボードしか触っていない人間でした。DIYだって得意なほうじゃありません。

オフグリッドシステムに関してはある程度は習熟したけれど、それを家の中に施工します、となったときに、まだまだわからないことだらけなんですよ。それで、プロの人はどうやっているのかをきちんと勉強したいと思いました。

「技術をもっと向上させたい」。その言葉は、インタビュー中、何度も小田嶋さんの口から聞かれました。技術が必要となる場面がこれから増えていくと、ひしひしと感じているようです。

ちょうど活動が落ち着きを見せ始めたことで、技術習得に向き合う時間も生まれています。

想いで判断することで広がりをつくる

正直に言うと、社会だけじゃなくて藤野電力の中も、一時期のこんなこともできる、あんなこともできるっていう“ぶわっと感”は今はありません。

2012年から2013年にかけての状況っていうのは、やっぱり、いろいろな意味で特別だったんだと思います。ただ、ぼちぼちみんな、これからの話はしたがってる感じがします。

ひとりで専業という状態も限界はあからさまに見えています。でも、誰かを雇用したらきっと僕は経営にアップアップになってしまって、本当に自分のやりたいことができなくなる気がするんです。

今後の展開をお聞きすると、そんなふうに正直に現在の状況をお話してくださった小田嶋さん。今後のポイントとなるのは“想いで判断すること”だといいます。
 
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ワークショップで組み立ての説明をする小田嶋さん。その姿もすっかり板についてきました。(photo:袴田和彦)

藤野電力の今のポリシーって、すごく頑なだと思うんです。自分たちの身の丈で、手仕事で、オフグリッドで、オープンソース。でも、それにそぐわないものは一切やらないということだと、これ以上の広がりはないし、誰も巻き込めなくなってくるんですよね。

実際、とある施工の話で、それを象徴するようなできごとがあったそうです。電気の自給自足生活をしたいと思っているけれども、ちょっとした稼ぎになれば嬉しいから売電もしたいという施主さんがいました。

施主さんは藤野電力とまったく同じマインドをもっていたにも関わらず、売電のことが気にかかり、そのときは自分たちの活動の主旨について話し、お断りしたのだそうです。

そういうところをもっと柔軟に考えて、行動に至るまでの“想い”のほうに集中するっていうのかな。

誰かを雇うこともそうだし、どこかの企業から仕事の話があったときに、ちょっとぐらい引っかかることがあったとしても踏み出してみること。ともに取り組んで輪を広げていくっていう発想がこれからのポイントなのかなと思っています。

でも想いだけで仕事ができるかっていったらそうじゃないから、今は技術を磨いて、その想いに応えられるようにしていきたい。

そういう広がりの中から何が生まれてくるのか。共に働ける人間が増えていったときにどんな役割が出てくるのか。それが次のステージなんじゃないかと思います。

想いで判断していく、なんとも藤野電力らしい決断です。
 
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2014年11月に開催された「第11回ひかり祭り」では、初の試みとして、ホームページとSNSで「ボランティア電源部」の参加を呼びかけました。地域にこだわらず、幅広くボランティアを募集した結果、さまざまな技術をもった人が集まり、例年になく順調に電源システムを完成させることができました。柔軟な考えから生まれたすてきなプロジェクトです。(photo:袴田和彦)

活動を始めた頃の自分に何か言葉をかけるとしたら?

成功や発展は、本来的に多様な要素から育まれ、刻々と移ろい続けるものです。ものごとの価値はひとつではないし、結果はすぐに見えるものばかりでもありません。

連綿と続く強い思いを、いつまでも、いつまでも、柔らかく抱きかかえて、流れを見誤らないことで、やがて広い海が見えてきます。すべてはその流れの中にあると、どっしりと構え、目の前の課題にコツコツと取り組む小田嶋さんの姿は、頼もしさすら感じさせます。
 
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(photo:袴田和彦)

最後に「活動を始めた頃の自分に何か言葉をかけるとしたら?」と尋ねると小田嶋さんはこう答えました。

黙って、ニコニコしながら見守る感じかな。いつの頃からか、過去はもう、それでいいとしか思わなくなりました。本当にあれで良かったと思う。あえて言うなら「よっ! 小田嶋!」かな(笑)遠くから、見つからないようにね。

writer ライターリスト

平川 友紀

greenz シニアライター リアリティを残し、行間を拾う ストーリーライター 1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。体調を崩したことをきっかけにマクロビオティックを学び、持続可能なライフスタイルを模索し始める。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。その多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らし、コミュニティを主なテーマに執筆中。通称「まんぼう」。 facebook:https://www.facebook.com/captainmanbou twitter:@captainmanbou

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