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岩手の山奥で、被災したお父さんたちが太陽光発電所を建てちゃった! 自然エネルギーについて考えるきっかけをつくる「だらすこ市民共同発電所」

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ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

2011年の原発事故を受けて、多くの人がエネルギー問題について考えたことと思います。果たしてこのまま、原発に頼った暮らしをしていていいのだろうか…。考えるだけではなく、「まずは自分たちにできることをしよう」と、市民発電所を設立した人たちがいます。

…というと、「意識の高い、若い人たちかな?」と思いませんか?いいえ、今回ご紹介する物語の主人公は、60〜80代のお父さんたち。しかも、震災で家が流された被災者でもあります。

お父さんたちは、一体なぜ、どうやって市民発電所を建てたのでしょうか?お話を伺いに、岩手県九戸郡の野田村を訪れました。

仮設住宅は狭いし、集会所はかかあ天下。
退屈したお父さんたちは、山奥の工房へ

野田村は、太平洋に面する、人口4000人強の小さな村です。村内には北上山地の支稜が南北に走っていて、起伏の多い地形。木々が生い茂る山道をくねくねと車で登っていくと、急に視界が開け、大きな太陽光パネルが現れました。
 
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看板には、「野田村だらすこ市民共同発電所」の文字。ここが、この物語の舞台です。でも、お父さんたちがいません。どこにいるのでしょう?
 
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少し道を進むと、今度は左手に山小屋が見えてきました。ごめんくださーい!
 
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「おー、遠いところおつかれさま」と笑って出迎えてくれたのは、管理人の大澤継彌さん。「ちょっと待ってて、もうすぐみんな帰ってきますから」との言葉通り、5分もしないうちに丸太を載せた軽トラが敷地内へ。軽トラから下りてきたのは、メンバーの畑村さん、石花さんです。
 
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左から畑村さん、石花さん、大澤さん。メンバーは全員で5人ですが、この日ほかの2人はお休みでした。

さっそくお話を伺っていきましょう。ここはどんな場所なんでしょうか?

大澤さん 元々は私の叔父夫婦が暮らしていた場所です。趣味のものづくりを楽しむために、古い廃材とか陶土とかサッシとか貰ってきて、20数年かけてこつこつ整備しました。60歳で定年退職した後は、ひとりでここに籠って、黙々と木工をしていたんです。

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工房の名前は「だらすこ工房」。「だらすこ」とはふくろうのことです。

家族にも邪魔されない、自分だけの気ままな空間。男の隠れ家、というやつですね。それが変わったのは、やはり震災がきっかけだったそう。野田村の被害は大きく、500棟近い建物が全・半壊状態になりました。

大澤さん 私の家も流されて家族は仮設住宅に入ったけど、まぁそれは自然災害だからどうしようもない。ぱっと切り替えて山でひとり暮らしをしていたんですよ。

でも、ある日つくっているものを人に見せたら、「仮設にいるお父さんたち集めてみんなで製作して、販売してみたら?」って言われたんですよ。

その頃、仮設住宅に入った大澤さんと同じ年代のお父さんたちは、途方に暮れていたといいます。集会所はかかあ天下で、何か集まりがあるといっても、お料理やお裁縫など、女性的なものばかり。

仮設住宅で自治会長を務めていた畑村さんは、「じいさんがたが集まれる場所があるといい」と考えていたそう。大澤さんから声をかけられ、さっそくメンバーを集めて山小屋に通うようになりました。
 
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一番若い畑村さんは元大工。木工仕事はお手のもの!

大澤さん 最初から弁当持参でね。「おぉ、なんだなんだやる気だな」って。我々の年代はものがなかったから、みんな小刀で何かつくって遊んでたんですよ。だからみなさんそれはもう器用なんです。

「どんな製品をつくっているんですか?」と聞くと、お父さんたちは「ほら、これ」「こんなのもつくってますよ」と次々見せてくれました。
 
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工房名にもなったふくろうを象った「たつのだ ふくろう」。ここからキーホルダーやストラップに加工されます。

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ニスを塗って包装するとこんな感じ。こちらは「たつのだ ほたて」。ほたては野田の海の特産品です。

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工房の人気商品、「額縁プランター」!

現在は、桑の木や朴の木、桜などさまざまな木材を活用していますが、活動初期は津波によって倒れた黒松を使っていたそう。

昭和8年に大津波が野田村を襲った後、村民たちが数年かけて植えた防潮林の黒松です。「村を守って倒れた黒松だから、無駄にできないなと思ってね」とのこと。製品の売上の一部は、新たに防潮林を植える費用に充てる予定だそうです。
 
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黙々と作業に取り組む石花さん

やってみたら、できちゃった。みんなで建てた48kwの発電所

そんな風にものづくりを楽しんでいたお父さんたちのもとに、2012年中頃、「市民共同発電所をつくりませんか?」というお誘いが舞い込みました。

提案をしてきた「太陽光発電所ネットワーク(PVネット)」は太陽光発電の普及促進を行う団体で、被災地に太陽光発電所をつくる支援をしたいと考えていたそうです。

最初、土地を貸すだけだと思っていた大澤さんは「どうぞどうぞ、日当りもいいですよ」と快諾。しかし、よくよく話を聞いてみると「自分たちで建設してほしい」という話で、びっくりしてしまったとのこと。

大澤さん 「発電所を建てるなんて、そんな大それたこと…」と思ったんだけど、考えてみたら、大工さんはいるし、土木関係の仕事してた人もいるし、私もNTTに務めていたから配線のことはわかる。もしかしたらできるんじゃないかなって。

みなさんに相談したら「やってみようか」って話になって、引き受けたんですよ。

建設費用は約1800万円。PVネットが1口10万円の市民ファンドを組んで集めてくれました。最初は専門家の指導を受け、その後は自分たちでパネル用の架台を設置。みなさん要領が良く、専門家も「ほとんど直すところがない」と驚くほどだったそう。
 
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2013年春に48kwの発電所が完成し、6月から電力会社への売電を開始。1か月の発電量は、冬で3000kWh、夏で5000kwhほど。発電所の建設費用は14年かけて出資者に返済する計画でしたが、かなり前倒しできそうな勢いです。

「それまで生きてないけどな」「畑村さんは若いから生きてるかもしれないけど」とお父さんたちは笑い合います。

大澤さん あんな原発事故があって、我々年寄りもない頭でエネルギーのことや未来のことを考えたんですよ。

小さな発電所だから大した影響力はないけど、水力がいいのか、風力がいいのか、太陽光がいいのか、考えてもらうきっかけになればいいな、と。近くにこういう施設があると、関心を持つでしょう。

地元の小中学生、エネルギー問題に関心のある大学生、市民発電所の設立を考えている地域の方。発電所にはいろんな人が見学に来るようになりました。ついでに木工も楽しんで帰る人も多いとか。

お父さんたちは訪れた人に対して、津波の恐ろしさ、逃げる大切さも一緒に伝えています。「口下手だったのに、みんなすっかり話上手になっちゃいましたよ」と大澤さん。ひとりで籠っていた「男の隠れ家」は、いまや「みんなが集まる秘密基地」になりました。
 
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大澤さん ここに来る若い人たちはね、みんなちゃんと問題意識持っているんですよ。こいつらにだったら将来の日本任せられるなって頼もしく思います。

でも、高齢化で負担が増えて、震災の負債も背負って、こどもたちは可哀想ですよ。だから、頼ってばかりもいられない。

「年寄りだってやれることはあるんだよ、発電所だってつくれちゃうんだよ」って示したい。それで、子どもたちに「負けてらんないぞ」って思ってもらえたら嬉しいね。

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超高齢化社会を迎えようとしているいま、高齢者は「支援すべき対象」や「負担」として論じられがちです。でも、楽しそうに作業しながら未来の村について語るだらすこのお父さんたちの姿は、そうしたイメージとは対極にあると感じました。

これからの時代、高齢者が明るく幸せに生きていくために必要なのは、手厚い福祉サービスや制度ではなく、「楽しく気ままに活動できる場所」や「地域や社会の役に立つ機会」なのかもしれませんね。

工房や発電所に興味を持ったみなさん、ぜひ野田村に遊びに行ってください。お父さんたちは、きっとあたたかく迎えてくれると思います。