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死を考えることが生きることを強くする。画家・中嶋洋子さんに聞く「絵を通して命の大切さを教えるということ」


防災・造形絵画展覧会の様子。震災15周年記念展では、兵庫県立美術館での展覧会も実現し、臼井真先生の指揮により「しあわせは運べるように」を、祈りを込めて描いたヒマワリの絵の中で歌いました

特集「震災20年 神戸からのメッセージ」は、2015年1月17日に阪神・淡路大震災から20年を経過し、震災を体験した市民、そして体験していない市民へのインタビューを通して、「震災を経験した神戸だからこそできること」を広く発信していく、神戸市、issue+design、デザインクリエイティブセンター神戸(KIITO)との共同企画です。

絵画を通していのちの大切さを教える「命の授業」を展開する画家・中嶋洋子さんは、震災の記憶を風化させないために、絵画を通じた防災活動に取り組んできました。東日本大震災の発生以降は、半年ごとに東北の被災地へ赴き、子どもたちの心のケアにも努めています。

私は、芸術の力を、可能性を信じているんです。自分の中で思いをはせて、はせて、想像をして。「もしもあのとき、あの場面に自分がいたら」という思いで描くことによって、ものすごい絵ができあがります。

本当に死ぬことってどういうことか。生きることってどういうことか。震災は、子どもたちにとって、命について深く考えてもらう貴重な機会なんです。

でも、中嶋さんがこんなふうに思えるようになるまでには、10年という時間が必要でした。震災の直後は、あまりにも大きな悲しみの中にいて、すぐには動き出すことができなかったのです。
 
中嶋洋子さん

中嶋洋子(なかじま・ようこ)
画家。1952年大阪府岸和田市生まれ、神戸市東灘区在住。震災は東灘区渦森台の自宅で経験した。日本南画院・準同人、現代南画協会・評議員。日本南画院展・会長賞。現代南画協会展・大阪市長賞。日英芸術交流祭・英国国立レディング大学学長賞受賞など、賞多数。大阪芸術大学芸術学部美術学科卒業後、高校の美術講師を5年間勤めたのち、造形絵画教室を主宰。神戸市東灘区を中心に13教室、350人以上の子どもたちを教える。2005年より、「子どもぼうさい甲子園」に毎年参加。震災を語り継ぎ命の大切さを子どもたちに伝える「命の授業」などが評価され、2014年兵庫県功労賞「震災復興功労賞」を受賞。

悲しすぎて何もできなかった10年間

阪神・淡路大震災で、中嶋さんの自宅マンションは一部損壊、アトリエは半壊、画材や作品を置いていたアパートは全壊しました。子どもたちを教えていた教室は全て使えず、仕事ができない状況に陥ってしまいました。

でも、何よりもつらかったのは、愛する教え子2人とその家族の死。ショックはあまりにも大きく、中嶋さんはただただ泣き暮らす日々を送りました。教室を再開してからも、毎年1月17日の前になると、亡くなった教え子の話をして、子どもたちと一緒に6,434名の魂に手を合わせ続けていたそうです。

ところが、震災から10年目に転機が訪れます。きっかけは、教室宛に届いた内閣府主催の「第20回防災ポスターコンクール」のお知らせ。そこに掲載されていた「あ、地震」というポスターを見たとき、「あ、これだ!」と中嶋さんはハッとしました。

ずっと、情けないと思っていたんですよね、自分が何もできないことに。でも、このときやっと「絵を描くことで、震災を伝えることができるんだ!」と気付かされたんです。

震災当時のこと、地震が来たときにするべきことも絵で伝えられる。「防災袋を準備しよう」「地震の後は津波が来るぞ」とポスターにすれば、絵の力で少しでも震災を減災につないでいくことができる、という絵の挑戦ですよね。

中嶋さんは、教室の子どもたちと一緒に「防災ポスターコンクール」や「子どもぼうさい甲子園」「防災教育チャレンジプラン」への出展を始めました。

「亡くなった方々は、本当に本当に生きたかったのよ」

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中嶋さんの教室で毎年行われている「震災の絵」の授業の様子

教え子を亡くして悲しむ中嶋さんに、ご遺族はこんな言葉をかけてくれたそうです。

お葬式の後に、おばあさまから「先生、泣かないで下さい」と言われたんです。

発見されたとき、お父さんがお母さんを守り、お母さんは子どもたちと赤ちゃんに覆い被さっていたそうです。だから、両親の腕の中で子どもたちの遺体は天使のようにきれいな顔をしていたんですよ、って。

阪神・淡路大震災でも、東日本大震災でも、子どもたちを抱きしめて亡くなっている親のご遺体はとても多いといわれています。

中嶋さんは、まるで目の前で教え子の家族に地震が襲いかかる瞬間を見ているかのように、声を詰まらせ涙を流して言葉を続けました。

「ほんとにあの人たちは生きたかったのよー」って子どもたちに伝えたかったんです。親は自分の命を捨てても子どもを守ったんだよ、って。今ある命は普通じゃないんだよ、生きているって当たり前じゃないんだよ。だから、みんな、今を一生懸命に生きてねって。

このメッセージを子どもたちに伝えるために、毎年「震災・命の授業」を実施。幼稚園から高校生まで、震災をテーマにした絵の制作に取り組みます。とはいえ、子どもたちは震災を経験していない世代。どうやって、震災の絵を描くのでしょうか?

阪神・淡路大震災当時の映像を見てもらって、私があの当時のことを感情を込めて一生懸命に話すんですよ。

中嶋さんは、ものすごくお話が上手な人。凄まじい揺れ、長田区を襲った火災。倒壊した家の下敷きになったお母さんが、火の手の迫るなか「私はもういいから!」と子どもに向かって叫ぶ声……。中嶋さんが震災当時の様子を語り始めると、その光景が目に浮かんでくるようです。

「みんな、目を閉じて想像してごらん」しーんと静まり返る教室の中、子どもたちはぐーっと深く自分の体の中にイメージを取り込んでいき、経験していない震災を捉えて絵に描き始めるのです。

大人はもっと本気で命を語らなければいけない

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「震災の絵」の授業の様子。震災の映像や先生のお話を聴いて想像力を働かせ、絵を描いていきます

「小さな子どもたちに震災の映像を見せてもいいのか?」と首を傾げる人もいるかもしれません。中嶋さんは「見せるべきだ」と言います。

ただ、怖がらせて終わるのではなく、その“怖さ”をどう活かすのか?自然災害とは何か?生き抜くためにはどうしたらいいのか?そこまでを教えるのが「命の授業」。中嶋さんは腹をくくり、信念を持って子どもたちに向き合ってきました。

この授業を支えているのは、絵画教室の日常で培われてきた先生と生徒の深い信頼関係です。

子どもたちにとって、中嶋さんはいつも優しく明るい、大好きな先生。「先生が、こんなに泣きながら話してくれるのはどうしてだろう?」と思うからこそ、子どもたちも一生懸命に話を聴いて、想像力をもって震災を“体験”しようとするのです。

描くことで繰り返し反すうして、震災や命の大切さについて考えることになります。6歳は6歳なりに。12歳は12歳なりに、悩み、真剣に考えながら描くことが大切なんです。

あの一瞬で生死を分けた大震災のときに自分がいたら?と考えることで、人間力が違ってくると思うんですね。地震のときにも、逃げ方、準備の仕方、人の助け方も違ってくると思うんです。

「命の授業」のことは、生徒の父兄にもきちんと伝えてサポートを依頼。生徒たちは、両親に「震災のときどうだったの?」と質問もするそうです。震災を経験した人たちには、やはり“あの日のドラマ”があります。

結婚式の翌日に震災を経験、ヒールのままで泣きながら逃げまどったお母さん。震災当時の医療現場で出会い結婚した両親。子どもたちは、家族の経験も絵に表現していきます。

あるお母さんは「いつか震災の話を子どもにしなければと思っていたので、良いきっかけをいただきました」と電話をくださったんですよ。

中嶋さんは「大人がもっと本気で命を語らなければいけない」と言います。親はどれだけの思いを持って子どもを育てているか、どれほどまでに子どもを愛しているか、もっと言葉に出して伝えてほしい、と。

自分の命を託して描く「命のヒマワリを咲かせよう」プロジェクト

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兵庫県立佐用高校で行われた「命のヒマワリを咲かせよう」プロジェクトの様子

絵を通して震災を語り継ぎ、命の大切さを教える、中嶋さんの活動は教室の外にも広がっています。2008年には「1.17 を忘れない。6,434本の命のヒマワリを咲かせよう」プロジェクトをスタートしました。

ヒマワリは神戸の復興のシンボル。太陽に向かって咲く姿、そして毎年何千という種を残す未来の花として人々を励ましてきました。同プロジェクトでは、阪神・淡路大震災で亡くなった命と同じ数のヒマワリの絵を、未来を担う子どもたちに、亡くなった方々のことを思いながら、描いてもらっています。

私が阪神・淡路大震災の話をした後、胸に、心臓の上に手を当ててもらうんです。「静かに目をつぶってごらん」。すると、手のぬくもり、胸のぬくもり、そして心臓の音を感じるんですよ。

「あなたの心臓の音は、世界に二つあるかな?」そしたらみんな一瞬考えるけど、首を横に振って、「いえ、世界に一つです」と言うんです。

子どもたちはまず、世界に一つだけの尊い命を感じたときの思いを和紙にバン!と手のひらで埋め込み、そこに自分の“命”を描きます。そして、自分の命の種から、ぐいぐいと天に伸びゆくヒマワリの花と、命を受け継ぐ種を抱いた花芯を丁寧に描き込んでいきます。

3年をかけて21の幼稚園、小学校、中学校、高校で、3,420本のヒマワリの絵が仕上がりました。しかし、現在、このプロジェクトはやむなくストップしています。

2011年3月11日、東日本大震災が発生したからです。

2011年3月12日を教師はどう生きるのか?

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東北の被災地を描いた中嶋洋子さんの作品「忘れないで」。子どもたちに絵を教える日々の中でも、画家として自らの作品制作も続けています

東日本大震災のニュースを知って、中嶋さんは再び大きなショックを受けました。被災地を思って涙を流しながら一晩中考え続けたそうです。

私は、東日本大震災の発生翌日、3月12日を教師がどう生きるのかが、一番大事だと思ったんです。

2011年3月12日は土曜日。中嶋さんの絵画教室に子どもたちが一番たくさん来る日です。朝8時にスタッフを集め、買ってきた新聞全紙から被災地を伝える凄まじい写真を教室の壁一面に貼って子どもたちを迎えました。

「東北であんなにたくさんの人が、子どもたちが亡くなっているのに、皆さんは普通の授業ができますか?」中嶋さんに問われると、生徒たちはみんな首を横に振りました。

「できない!」「東北があんなことになっているのに、僕らはいつも通りに楽しく絵なんて描けない」「そんなことしたら人間やない」。さまざまな意見が飛び交う話し合いが続いたそうです。

絵を描く僕たち、私たちに何ができるか話し合いましょう。

「東北で寒い思いをしている人たちに元気になってもらえる花を描きたい」という子どもたちの前で、中嶋さんはもう一度、阪神・淡路大震災の記憶を語りました。避難所の学校では、明るい色が何もなかったこと。みんなが茶、紺、グレーなど暗い色の服を着ていたこと。それを見て寂しい気持ちになったこと……。

東北の被災地では、追い打ちをかけるように雪やみぞれが降っていました。子どもたちと話し合った結果、「せめて少しでも心が温かくなるように」「希望の春が来るように」と桜の木を描くことに決まりました。
 
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「1000本の命のサクラプロジェクト」子どもたち一人ひとりの被災地への思いが溢れています

根っこが大きくて、地震にも津波にも流されない、強い桜の木を描きましょうということになって。思わず「千本描こう!」って言ってしまったんです。

うちの生徒が400人。今まで「命の授業」をさせてもらった西宮市立甲陽園小学校、私立滝川中学校、兵庫県立佐用高校に声を掛け、一カ月もたたないうちに1,000本の桜の絵が完成しました。

2011年4月24日、中嶋さんは1,000本の桜の絵を持って東北の被災地へ向かいました。

避難所に行くと、やはり最初は心の壁を感じましたね。ところが「神戸から来ました!」と言うといっぺんに解けます。「3月11日も東北の映像を見て朝まで泣きました!もう、どれだけつらかったかー!」って言いましたから。

「よくぞ来てくれた」「遠くから来てくれた!」「阪神・淡路大震災を経験しているから、分かってくれるんだ」と、皆さんほんとにいい顔になって、その後に子どもたちの桜の絵を出したら拍手が沸いたんですよ。

生きるということは、希望があるということ

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気仙沼市立階上(はしがみ)小学校での「命の一本桜プロジェクト」。壁には神戸の子どもたちが描いた桜の絵

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気仙沼市立面瀬(おもせ)小学校での「命の一本桜プロジェクト」の様子

中嶋さんは、13教室350人の生徒を教えながら、半年ごとに合計7回東北の被災地を訪問。延べ53校の小学校などで出張絵画授業を行い、約3,360名の子どもたちの心のケアを行ってきました。

兵庫県内でも27校の小学校などで約3,270名の子どもたちと一緒に絵を通じた被災地支援を続けています。

今、東北と兵庫の子どもたちと一緒に取り組むのは「命の一本桜プロジェクト」。横8メートル、縦3.2メートルの大きなキャンバスに、力を合わせて大きな大きな桜の木を描いていくのです。

東北の子どもたちが描くのは、地震にも津波に流されない、生命力あふれる、力強くて立派な桜の木。そして、両手に桜色の絵の具をつけて、自分の手形で満開の花を咲かせていきます。

決して一人ではできない大きな作品を、みんなで力を合わせて描きます。そうすることで、助け合いの心。人を思いやる心が養われるんです。

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気仙沼市立面瀬小学校396名による「命の一本桜」。津波にも、地震にも負けない、強い桜の根っこが描かれました

ことばに言霊があるように、絵には絵霊(えだま)があると思うんです。桜の手形を押すときに、「津波になんか負けてたまるかー!」「僕たちが東北を復興させるぞ!」「一生懸命に生きるぞー!」と、思いっ切り声に出して、押し込めていくんですよ。

一方、神戸の子どもたちは「この絵で東北の人を励ますんだ」「ずっとずっと友達だよ」「ずっと応援しています」という気持ちを込めて描いています。中嶋さんには、「神戸の子どもたちには、阪神・淡路大震災で傷ついた神戸をよみがえらせ、もり立てていくという使命がある」という思いがあります。

そのためにも、命に思いをはせて絵を描くことによって「生きていく」強さ、そして「生かされている」ということへの感謝の気持ちを身につけてほしいと願っているのです。

死を考える。そうすると、生きることが強くなります。

阪神・淡路大震災では6,434名、そして東日本大震災では15,889名の命が失われました。その一人ひとりの命に思いをはせようとすると、本当に「今、私が生きていることは当たり前ではない」という思いが湧き上がってきます。

そうすると「今という一瞬を、一生懸命に生きていかなくてはならない」と気付かされます。

私たちは、これからも大きな震災を経験し続けるであろう国土で暮らしていくことになります。子どもたちに震災の経験を語り継ぐことは、この国の未来をつくるために取り組み続けなければならないことではないでしょうか。