ISSUE 震災復興

2 years ago - 2014.08.05

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ネガティブなイメージから、ポジティブな物語をつくろう。被災地の今を知り、体験する「福島エクスカーション」

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東日本大震災から3年以上が経過しました。今の被災地の状況はどうなっているのでしょうか。福島では、被災地を実際に見てそこでくらす人や避難者の話を聞くツアー、「福島エクスカーション」が行われています。

主催するのは、福島学構築プロジェクト。これは、福島の現状と課題をあぶり出し、3.11と復興、あるいは福島という地域をさまざまな観点から考えるベース(福島モデル)をつくるプロジェクトです。プロジェクトのひとつである福島エクスカーションは、昨年から始まり、今年6月に第5回目が開催されました。

原発事故避難区域は今どうなっているのか

今回参加したのは、東京や福島市内などで働く会社員、公務員など12名。ボランティアで福島に滞在していたという人もいれば、被災地に来ることが初めてだという人もいました。

いわき駅に集合し、北上するバスの中では「福島学構築プロジェクト」の代表で、「福島大学うつくしまふくしま未来支援センター」特任研究員の開沼博さんから、福島の地理や歴史、原発と地域の関係性などの説明がありました。
 

開沼さん自身も福島県いわき市の出身

また、このツアーには震災のときに広野町と楢葉町に住んでいた福島大学の学生2名がガイドとして同行しました。

「避難所で、初めのころは一日の食事が味のないおにぎり一つだけ。胃が小さくなって、ようやく弁当が配られたときに、食べてもどしてしまった」、「祖父母と家にいたときに地震が起こり、津波の恐怖でいっぱいになったときに母が帰ってきて一緒に逃げた。今思い出しても怖さがよみがえってくる」など、生々しく語ってくれた震災直後の話に参加者は聞き入りました。

原発30km圏内の米農家

最初に訪れたのは、広野町で米を生産している「新妻有機農園」です。アヒルを水田に放して害虫を食べてもらうことで農薬の使用を大幅に減らす「アヒル農法」を震災前から行っており、現在も5.0ヘクタールの農地で米をつくっています。

広野町は、原発から30km圏内に位置し、避難指示は出ていません。しかし、震災前に約5,500人だった人口は約1,700人にまで減り、農家も1/3程度に減ってしまいました。広野町で米がつくれることに、参加者から驚きの声があがり、農園の代表である新妻良平さんがその理由を説明してくれました。
 

新妻さんの話に聞き入る参加者

新妻さん 農作物はカリウムが不足するとセシウムを吸ってしまいます。つまり、肥料をしっかり与えれば吸収するセシウムを減らすことができるのです。また、セシウムは米の糠の部分にたまるので、白米に精米するときに削り落とされます。

国の基準値を下回っているため販売を再開していますが、こうした情報が正しく伝わっていないので、買い叩かれる状況もあり、離農していく人も多いのです。

その一方で、ボランティアに来たり、震災後に新妻さんの米づくりを知ったりして、新たに新妻農園の米を買いはじめた人も多いそうです。

新妻さんのつくった米は、原発事故後初めて広野町で収穫されたコシヒカリとして、昨年11月に宮内庁に提供され、天皇陛下のご希望で皇宮・御所にも一部が届けられたことで話題になりました。

また、広野町の米は、サッカーワールドカップブラジル大会の日本代表に寄贈され、大会直前の米国の合宿での、代表選手の朝食や軽食に使われました。
 

農園も見学しながら、新妻さん(左)に説明していただいた

新妻さん 風評被害はもちろんあります。でも、熊本県の水俣も、水俣病のあとは農作物がまったく売れなかった。そのため、減農薬を徹底して、新しくブランド化していったのです。

自分たちも、ほかと差別化して付加価値をつけて、販路も自分たちで切りひらいていかないと厳しい。情報も正しく知ってほしいので、機会があればいろいろなところに行って、米のつくり方や安全性を伝えるようにしています。

また、新妻さんは広野町に新たな特産品をつくろうと、浪江町から山形に避難した酒造店と協力して、アヒル農法で栽培したコシヒカリで日本酒「鶩(あひる)」を試作。今秋には1000本(1本720ml)をつくり、米とセットで販売する計画だと話してくれました。

変わり果てたサッカーグラウンド

参加者はその後、同じ広野町のJヴィレッジ内の食堂で昼食をとりました。ここは元々、サッカーのナショナルトレーニングセンターでしたが、現在は原発の復旧作業の拠点として使われています。
 

Jヴィレッジの建物から元グラウンドを眺める

広野町出身で、現在は福島大学1年生の木村元哉さんは、「Jヴィレッジは小さなころから慣れ親しんできた地元の憩いの場」だといいます。

木村さん 家族でよく食事に来たり、温泉に入ったりしていて、僕の七五三のお祝いもここでやりました。広野町から避難して、一年後くらいにここに来たとき、グラウンドに廃棄物が山積みになっていて、とてもショックでした。

2020年までにサッカーのグラウンドにもどす計画だと聞いていますが、一刻も早く元に戻してほしい。こうやって来るたびに、なつかしさとつらさでやりきれない思いです。


グラウンドはコンクリートで固められ、原発作業員の駐車場になっている

参加者は、東京電力の復興本社の企画総務部長である村永慶司さんに話を聞きました。

村永さん とにかく情報をオープンにして、地道に復興をやっていくしかありません。また、一方で、東京電力の社員10万人を福島に派遣し、被災地の家の片付けや草刈などをする活動も行っています。

東電の社員として、起こした事故によって困っている人たちの姿を実際に見て、できることをお手伝いしています。

帰れない実家の前で

Jヴィレッジを後にした参加者は、楢葉町、富岡町、広野町をまわり、震災と津波の爪あとの残る駅や市街地を見てまわりました。楢葉町では、震災当時高校生だった福島大学2年生の森田祐貴さんが、実家の前で震災のときの話をしてくれました。
 

実家の前で。庭の柿の木も切られて持っていかれたという

森田さん 家にいたときに地震に遭い、すぐに帰れると思ってハムスターと犬だけ連れて避難したら2年以上帰れませんでした。石川県に避難していて、自分は生活にはすぐに慣れましたが、年をとっている祖父母には大変でした。

楢葉町の家は、窓ガラスが割られて、母のアクセサリーが盗まれたり、家に誰かが住んでいたりした痕跡もありました。トラクターも盗まれ、盗ったのは同じ楢葉町の人だったということもありました。

現在、森田さんの家族は郡山に住んでいますが、楢葉町は2015年春を目処に帰町をめざしています。

しかし、「帰っても生活インフラが整っておらず、仕事も少ない楢葉町に帰る意味があるのだろうか」という思いもある森田さんと、「自分の建てた家なので帰りたい」という父と、家族の中でもまだ意見はまとまっていないという現状があります。

想いを共有し、新しいアイデアを

参加者は夕方、再びいわき市に戻り、市内の復興飲食店街「夜明け市場」のコワーキングスペースにて、一日をふりかえり、ワークショップを行いました。夜明け市場は、震災や原発事故で店舗を失った飲食店や、いわきを盛り上げたいと全国から集まった起業家らにより、2011年11月にいわき駅前に誕生したものです。
 

夜明け市場は2店舗からはじまり、今では11店舗が連なる

東京の出版社に勤める田村隆宗さんは、初めて訪れた今回のツアーについてこう感想を述べました。

田村さん 被災地には正直ネガティブなイメージを持っていたが、自然がとても豊かで美しく、驚いた。今日聞いたことをまわりの人に伝えると同時に、仕事で外国人向けの観光と関わっているので、外国人にも被災地に来てもらうことを考えていきたい。

また、ワークショップでは、「アートフェスやアパレル産業で福島を盛り上げる」「ミスコンをやって、優勝者をアンバサダーにする」「新しい文学賞をつくる」などの様々なアイデアも。

開沼さん 大量の物をつくり続ければ社会がうまくまわるというような、今までのモデルはもう通用しない。物語をつくっていくことが求められている。福島は、ネガティブなイメージがあるからこそ、レバレッジが効く。

と開沼さんも語ります。
 

ツアーで感じたことを共有し、アイデアを出し合う

福島から問う、普遍的な課題と解決

開沼さん 震災から3年のうちに様々なかたちで復興は進んできましたが、まだ今も進んでいない復興があります。それは「理解の復興」と「生活の復興」です。

「理解の復興」とは、「何となく福島はこうなのではないか」という事実とずれた認識を改めていくことです。そして、「生活の復興」とは、そこで暮らす人の生活に根ざした問題を具体的に解決していくことです。

被災地でよく聞かれる少子高齢化や人材の流出、既成産業の衰退、医療福祉・コミュニティの崩壊。これらの「生活の課題」は、日本全体、あるいは他の先進国でも普遍的に生じている課題です。つまり、被災地の課題を解決することで、先進国の普遍的な課題を解決するモデルをつくることにつながるのです。

福島を「課題先進地」としてとらえ、日本や他の先進国・新興国が今後抱える課題に対応する知見を生み出す試みには、多くの可能性が感じられます。そのために、まず現場に実際に足を踏み入れる、福島エクスカーションに参加してみてはどうでしょうか。

福島エクスカーションに行ってみよう!
福島学構築プロジェクト

writer ライターリスト

Yoshimoto Noriko

編集者、ライターのキャリアを積みつつ、国際ボランティアでアジアやアフリカ、日本各地を巡る。伝えることの大切さを感じつつも、現場で人々の生活をよりよく変えられる活動がしたいと修行中。NPO法人NICE理事、土佐山アカデミー2期生。2014年末より、東ティモール在住。

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