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国分寺市の住宅街で営まれて半世紀。つくし文具店に見つけた「くらし」と「しごと」のより良いありかた

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どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。本当に必要なものは何か。「暮らしのものさし」は、株式会社SuMiKaと共同で、自分らしい住まいや好きな暮らし方を見つけるためのヒントを提供するインタビュー企画です。

JR中央線国立駅から徒歩20分。とても静かな住宅街の中に佇む文具店があるのをご存じですか?その名は「つくし文具店」。店先にかかっている空色の旗が目印です。扉をあけると正面の棚に置かれたオリジナルのノートやえんぴつなどの文具が目に入り、そして黒板まで設置された約3坪の空間はまるで小さな教室のようです。

窓の外に目をやると、絡み合ったモッコウバラの蔓葉の合間から春の温かな光が差し込んできます。店内にいると文具店であることを忘れてしまうほど居心地の良い空気を感じるのがわかります。
 
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実はここ、デザインディレクターであり、「スミレアオイハウス」の家主でもある萩原修さんが、生まれ住んだ築52年の実家の一部をリノベーションしてつくられた文房具店なのです。もともとこの場所は萩原さんのお母様が1965年から約25年間、文具店を営んでいました。それを二代目店主として萩原さんが2005年にリニューアルオープンさせたのです。

店名の「つくし」に込められた思いは「つながる くらしと しごと」。萩原さんの思いがたっぷり詰まった「つくし文具店」におじゃまして、その暮らしぶりをお聞きしてきました。

萩原 修(はぎわら・しゅう)さん
1961年生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学卒業後大日本印刷株式会社で仕事をしたのち、1993年からリビングデザインセンターOZONEの立ち上げに参加し、在籍していた約10年間に300以上のデザインに関連した展覧会を担当。 2004年に独立してからは、日用品、住宅、店舗、展覧会、コンペ、書籍、雑誌、WEBサイトなどの 企画・プロデュースをてがける。また 「中央線デザインネットワーク」「国立本店」「西荻紙店」「てぬコレ」「コド・モノ・コト」「かみの工作所」 「テラダモケイ」「かみみの」「3120」「モノプリ」「ペプ」「旭川木工コミュニティキャンプ」「東京にしがわ大学」「クラフトセンタージャパン」などの活動にも参加。

住まいに影響を受けて会社を辞めることを決意

2004年まで萩原さんは、会社員として住まいの展覧会を企画する仕事をされていました。「日本人の住まい」というシリーズのひとつとして展示されたのが、建築家の増沢洵が1952年に自邸として建てた「最小限住居」でした。

小さいながらも丹精なプロポーションのその家に惚れ込んでしまった萩原さんは、軸組だけの展示品を利用して自分の住まいとして完成させよう決めてしまったのです。その家は萩原さんの二人のお嬢さんの名前から「スミレアオイハウス」と名付けられました。

「スミレアオイハウス」は「小さな家でも快適に過ごしたい」というニーズを持つ人たちから関心を集め、多くの人が訪れるようになります。自宅でありながら見学会や食事会などが定期的に開催され、自分たちだけの家というよりみんなの家という感覚だったと萩原さんは振り返ります。
 
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スミレアオイハウスでの暮らしに興味を持った方は、萩原さんが書かれた「9坪の家 つくって住んだ、こんなに快適! 」を読んでみては。

まるで年中展覧会をやっているような家でした。

でも住まいというのは家族だけで閉じているより、いろんな人が出入りするぐらいがいいなと思っていたので大変だと思ったことはありませんでした。それどころかその家で暮らし始めてみると、いままで自分の持っていた暮らしに対する価値観が日々変わっていくのを感じました。

暮らしている家では、こんなにも自分らしくいられるのに、なんで毎日スーツを着て満員電車に乗って会社に行かなきゃいけないんだろう?と、どんどん違和感がでてしまったんです(笑)。

そして萩原さんは5年ぐらい経った頃に会社を辞めることを決意します。暮らしている家から影響を受けて、家のために会社を辞めるなんて驚きです。しかしそれほどまでに“スミレアオイハウス”が萩原さんの暮らし方にもたらした影響は大きいものだったのです。

初代つくし文具店が残したご近所づきあい

同じ頃、萩原さんの中に少しずつひとつの暮らしのイメージが膨らんでいきます。それは働く場所と暮らすところが近い“職住接近”という暮らしのスタイル。会社を辞めたあと、国分寺にある実家に「つくし文具店」をリニューアルオープンさせたことは、自然な選択だったのかもしれません。
 
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萩原さんがそのような思いを持つようになったきっかけはなんだったのでしょうか?それは初代「つくし文具店」のストーリーを語らないわけにはいけません。荻原さんの記憶に残るのは、店先にたくさんの人たちがいた光景です。

母が始めた文具店は、アイドルのブロマイドやプラモデルを売り始めたのがきっかけでした。それが珍しくて近所の子供たちが集まるようになり、だんだん近所の人が集まって世間話をする場所になっていったんです。

その後、近所に中学校ができたのでノートや鉛筆を売るようになって、やっと文具店らしくなっていったように思います。やがてポストの設置を頼まれたり、公衆電話も置かれたりと地域の情報拠点みたいになっていったんです。最後はクリーニングの取次までやっていました。

店の前を通りかかった近所の人たちは買い物をするわけでもなく立ち止まり、店の中にいる萩原家の人たちお喋りをして帰っていく。文具店と言いながらも、ただモノが消費される場所ではなく絶妙な距離感の中でコミュ二ケーションができる場所でもあったのです。

1965年から萩原さんのお母様が営まれた文具店は、地域のニーズに寄り添いながら何十年もかけて少しずつ性格を変えていきますが、それは近隣の人たちにも育まれた変化だったのかもしれません。またお店にやってくる人だけではなく、萩原家には一橋大学や津田塾大学の学生も下宿していたそうです。

萩原さんにとって日常生活の中に家族以外の人と関係性を持つという暮らしはごく普通のことだったのでしょう。

数えきれないほどの増減築で育まれた家

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そして「つくし文具店」同様に、萩原家の住まいも家族の変遷の中でカタチを変えながら現在に至っています。「つくし文具店」の隣にはデザイン性の高い住宅が建っているのですが、ここは萩原さんの弟さんの住まいなのだそうです。趣の違い過ぎる光景に最初は気が付かなかったのですが、よくよく見るとその住宅と母屋である「つくし文具店」はデッキで繋がっていました。

弟の家を繋ぐデッキの場所はもともと僕たちの子供部屋があったんですけど、それを取り壊して新たにつくりました。でもその子供部屋も最初からあったわけではなくて、あとから増築したものなんです。

萩原家にはまだまだ発見があります。道路に面した小さな庭は以前あった外壁を取り払ってつくられました。そこには萩原さんのお母様の手で育てられた睡蓮や月見草などの野草が春から秋にかけてたくさんの花を咲かせるそうです。いまでは萩原家のものというより、近隣に人たちの目を楽しませる開放された場所になっています。
 
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また弟さんの家を建てるのと同時に新しくつくられた自宅の玄関は、物置場所だったスペースを萩原さんの友人であるアーティストの方がつくられたそうです。萩原家自体も長い歴史の中で少しずつ変わっていったのです。
 
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いま両親が住んでいる1階の部屋には縁側もありました。そこに屋根を伸ばしてサンルームにして、そのあとしばらくして壁をつくって居室空間を広げました。この家は僕も含めた三人兄弟の成長にあわせて、必要なものを足したり必要のなくなったものを減らしたりしてきたんです。

僕でさえ数えきれないほどの増減築をしていまに至っているんです。「つくし文具店」ばかりが注目されるのですが、この家のあり方自体が実は変なんです(笑)。

萩原さんがおっしゃるように、ここまで手をかけて育まれた家というのは最近見る機会が減っています。新しく建て直すという選択をせず、五十年の歳月をかけて少しずつ姿を変えてきた萩原家。だからこそ街にさらりと溶け込み、この住宅街の中で風通しの良い場所としての空気を醸し出しているのかもしれません。

つくし文具店は地域に共有され開かれている場所

幼い頃から家族以外の人たちとの関わりが生活の中にあったこと。そして家族の成長にあわせて変わっていく家。この二つが萩原さんに影響を与え、いまの“つくし文具店”に繋がっているのではないでしょうか?

その「つくし文具店」も開店してから約10年経ち、少しずつ店の在り様が変わってきているようです。
 
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萩原さんは3年前に、デザイン周辺の話をしながら新たな暮らしのスタイルを一緒に学ぶ「ちいさなデザイン教室」という新しい試みをスタートさせます。きっかけは人手不足だったお店の運営をどうしようかと考えていた頃、店内に設置されている黒板を眺めながら「そうだ!このお店が好きで集まる人に、店番として日直を頼むのはどうだろう?そうであれば生徒が必要だ」と思いついたのだそうです。

ただ、そこには萩原さんの別の想いもありました。

ここ集まる生徒たちは月1回程度の日直をすることで、店の運営のことや文具のことなどを実践的に学びます。そしてここは住宅街ですから地域との繋がりも考えなくてはなりません。遠くからやってくる人たちの多様な視点で、地元の人と一緒に新しい場所を創っていける場所にしていきたいと思いました。

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今日の店番はまとばんさん。小さいスペースながらお客さんとほどよい距離感を保てるスペース

萩原さんは住宅街も開かれている場所があった方が良いと考えています。それは住んでいる人しかいないコミュニティより、他の場所にいる人の違う視点があった方が地域の暮らしは成長すると考えるからです。そして最近、萩原さんはその想いを象徴するような言葉を発見したのだそうです。それは“共開”という聞きなれない言葉でした。

今まで「つくし文具店」をコミュニティスペースという言い方をしていたんですけど、実はずっと違和感があるなって思っていました。公共な場所や施設ってみんなに開かれている場所だから、誰にでも公平でなければいけないという制約がでてきます。

かといって同じ価値観を持つ人しか集まらない場所にしてしまうと、そこは秘密基地のように閉ざされた場所になってしまいます。“つくし文具店”はそのどちらでもないんです。

自分たちの場所がベースにあるけれど自分たちだけのサロンにするのではく、来ようと思えば誰でも来られる。そんな共有できる場所を求めていきたいと萩原さんはいいます。
 
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この日はちいさなデザイン教室の日。生徒のみなさんが続々集まってきます。

ほどよい距離感でコミュニティに開かれた場所をつくる事ができたら、地域や住宅街の暮らし方ももう少し豊かになるんじゃないかと思います。それが“共開”であり、「つくし文具店」は、その共開基地みたいなものにしていきたいなと思い始めました。でもこれは最初から思っていたわけではなく、この10年いろんなことをやりながらわかってきたことなんです。

暮らし方ってどんどん変化するもの

萩原さんはもうひとつ暮らしのヒントを教えてくれました。それは「スミレアオイハウス」も「つくし文具店」もそうであったように、暮らしを取り巻く環境が変化していく中で、状況に応じて暮らし方をほんの少し変えることだといいます。

暮らしって山登りのようなものかもしれません。山の中を歩いているうちはわからないけれど、立ち止まって見渡してみると風景はがらりと変わっています。

私たちの暮らしも日々の生活の中では気がつきにくいけれど、取り巻く風景は少しずつ変わっていきます。その変化に気がついて、住まいの在り方や地域との関係性を見直すことも必要なんだと思います。暮らしというのもトライ&エラーを繰りかえすことでより良いものにできるんじゃないかと思います。

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この日も自宅にお店を開こうと考えている若い夫婦のお二人が、「つくし文具店」を見学。また新しい暮らしのスタイルが生まれるかもしれません。

私も含めた多くの人が、萩原さんと同じように住宅街で暮らしています。そして仕事をする周辺ではたくさんの人や場所と関わりを持った生活をしているのに、自分たちが暮らす場所となると周囲との関係づくりに消極的になってしまいがちです。私たちも自分が暮らす家、そして暮らす場所との関わりを見直してみることで新しい発見があるのかもしれません。

最後に萩原さんは、「みんなが自分の家で、たまにお店をやればいいんじゃないかな」と笑って話してくれました。萩原さんの問いかけはハードルが高いことなのでしょうか?いまでは遠くからもお客さんが足を運び、寄り道ができる場所にもなってきた「つくし文具店」。
 
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シェアハウスやコーポラティブハウスなど、暮らしの在り方は少しずつ変わってきている中で、ひょっとしたら近い将来、「つくし文具店」がロールモデルとなって、暮らしと仕事が共存できる暮らしのスタイルがもっと増えていくのかもしれません。

つくし文具店のウェブサイトには、こんなメッセージが書かれています。

「くらし」は、「生活」であり「消費」、モノを「つかう」こと。
「しごと」は、「産業」であり「生産」、モノを「つくる」こと。
どっちも大事にしながら、バランス良く生きていけるような社会になったらいいですね。
※抜粋

私たちの暮らしの中で、ほんの僅かでもこの言葉を意識していれば、自分らしい暮らしを発見できるのかもしれません。