ISSUE☆おすすめの連載! STORY OF MY DOTS

2 years ago - 2014.05.16

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建築をあきらめたくなかったから、建築家をあきらめた。林厚見さんが「東京R不動産」と出会うまで [STORY OF MY DOTS]

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特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために種まきをしている時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。今回は、「東京R不動産」のディレクターである林厚見さんのインタビューをお届けします。

東京R不動産は、「レトロな味わい」「改装OK」など独特な切り口で物件を紹介する不動産情報サイト。ありそうでなかった不動産物件のセレクトショップとして定着し、住むこと・暮らすことに新しい価値観を提示し続けています。林さんがどんな思いで東京R不動産に関わっているのか、お話を伺いました。
 
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林 厚見(はやし・あつみ)
1971年東京都生まれ。株式会社スピーク共同代表。不動産セレクトショップサイト「東京R不動産」のディレクターの1人として主に事業面のマネジメントを担う。大学では建築デザインを学ぶが、24歳で建築家になることを“あきらめ”、ビジネスの世界へ。28歳で米国に留学、コロンビア大学で不動産開発を学ぶ。その後日本の不動産ディベロッパーを経て2004年に起業。現在は「東京R不動産」や「R不動産toolbox」のマネジメントの他、不動産の開発・再生プロデュースや、新島のカフェ+宿 saroの経営などを行う。

建築家の才能がないことを自覚した学生時代

林さんは高校時代を振り返って、「どこにでもいる中途半端なマジメ君だった」と言います。東京大学の理科一類に進んだのも、文系より理系がちょっと得意だったからという程度で、将来のビジョンがあったわけではありませんでした。

僕はそのとき最初の挫折をしてるんです。物理や化学とか理系の研究は自分にまったく向いてないことがわかってしまって。その頃は転部しようかなとさえ考えていました。

最終的には建築の道に進むのですが、そのきっかけは従兄弟が東京藝術大学で建築をやり始めて、「建築って面白そうだな」って思ったことですね。それに少しだけアーティスティックなことに興味があったというのも。とにかく深い想いがあって建築家を目指そうと思っていたわけではなかったんです(笑)

漠然ではあるけれど、自分のやりたいことに向かって歩みだした林さん。その後の数年間、建築家になろうと建築の勉強にのめり込みましたが、ある頃から少しずつギャップを感じ始めます。

自分の周りに、絶対に敵わないと思える学生たちがいたんですね。製図室に一緒にいると、人種が違うのだと思わされる。そして「自分がイメージできる空間は、どこか見たものを編集しているだけで、本当の独創性がない」と冷静に捉えるようになっていきました。

アーティストに憧れる自分がいるんだけど、同時に自分の才能の凡庸さを自覚してしまったんです。ここで二度目の挫折をしたわけです。

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イベント出演中の林さん

新たに芽生え始めた自分の軸

二度目の挫折の後、林さんは「自分が好きなことは、自分が設計して作品を作ることなの?」という本質的な問いが芽生え、それまでとは違う視点と思考で”建築”と向き合い始めます。

ちょうどその頃、「なんで東京にはこんなにつまらないマンションや、味気ないビルばかり増えていくんだろう」と思い始めていました。そして建物や街を構成する環境・空間を決めている人は誰なのか、という関心が生まれてきたんです。

それはデザイナーではなく、例えば不動産会社であったり、さらに経済の構造そのものだということを徐々に理解しました。そこで“デザイン”と“経済”をうまくつなぐような仕事ができないかと思ったわけです。

だけどそれを実現するための職業や魅力的な就職先はなかった。自分がやるべきテーマはあっても、具体的に何をすればいいかわからず、就職のタイミングでは気持ち的に行き詰まっていました。

自分がやるべきことが見つかったのに、明確な答えが見つからないまま塞ぎ込む…自分の部屋に閉じこもって悶々とする日々が続く中で、最終的に行き着いたのはまったく新しい選択でした。それはマッキンゼーというビジネスコンサルティング会社への就職です。

自分のやりたいことはクリエイティブな不動産なのかもしれない。

悩んでいて答えが見つからないのなら、建築と近い場所で探すより、離れた場所に答えがあるんじゃないかって思ったんです。

とはいえ経営コンサルティングの仕事は建築とは全然違う分野だし、そもそも「自分の本能とは離れたエグいビジネスの世界を見てやろう」ぐらいのノリで潜り込んだ感じだったので、しばらくはついていくのに精一杯でした。でも、1年も経つと、事業をデザインしていくことの面白さに結構はまっていきました。

そこでつかんだのは、「こんなことがあったらいいなと思ったときに、それを現実の中でどう実現できるのかを描けるようになった」という感覚です。これは自信になりましたし、「迷ったら知らない世界にこそ飛び込むべき」ということを実感できました。

マッキンゼーでの仕事を通じて改めて思ったのは、新しいことをやろうとしている人たちはみんなやり方が違うということ。そして新しい職業は自分でつくっていくしかないということ。こうして3年半でマッキンゼーを退職し、ニューヨークでの留学生活をスタートさせます。
 
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留学時代に訪れたイタリアにて

コロンビア大学には“都市計画学科”とか“都市開発学科”とかそれらしいコースとは別に、“不動産開発学科”というのがあったんです。プログラムを見たら「面白い空間をビジネスとして作りあげ、成功させるノウハウを勉強する」みたいなことが書いてあって。それって、自分のやりたいことと一緒だったんですね。「自分がやりたことは“不動産”なのかも!」とその時はじめて思いました。

ニューヨークではさらに新しい発見もありました。

日本にはまだあまり存在していなかった“独立型デベロッパー”という人たちがいました。それはポテンシャルのある土地や建物をみつけて、コンセプトを考え「こんなホテルを作ろう」とか「古いレンガ倉庫を住宅にしてみよう」とプロジェクトを企画し、投資を集めて実現していく小さな会社、あるいは個人です。

「そうか、ここでは企画をいきなりぶち上げて、街を変えていくヤツがいるんだ」と。ずっと自分が思い描いていた理想のモデルを見たわけです。「これ、これ!ようやくわかったぜ!」と興奮しました(笑)

29歳の時に日本に戻ってからは、まずは業界を知り、人脈をつくらねばと思い、不動産開発会社に入社。そこでは同じ世代の“同志”たちとの出会いがあります。

その会社でもモノづくりにはあまり携われず、財務や経営企画として銀行や投資家との交渉などを担当しました。いわば“下積み“の時期が続いたわけですが、そこで業界のリアルに触れました。

夜や休みには会社や外の仲間たちと、古いビルや倉庫でイベントをやったりして遊びながら、これからやりたいことを語り合ったりして。そんな中で、当時の同僚だった吉里裕也(現・東京R不動産代表ディレクター)と一緒に起業する話につながっていったんです。

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デザイナーの原健哉さん、CCCの増田会長。そして東京R不動産の仲間たちと

ちょうどそのころ、建築家の馬場正尊さんらとの出会いもあって、「東京R不動産」のアイデアが生まれてきました。不動産や建築の企画をするのと同時に、たくさんの人が集まってくれるような場やメディアを作りたいという思いはなんとなく持っていたので、僕はそれを事業化する役割で仲間に加わりました。

最初は「面白いけど、商売になるかはわからないな」と思いながら突っ込んでいったんですが、やってみたら想像以上ににウケがよかった(笑)でも不動産仲介屋をやってるというのは、なんとなく親にはしばらく内緒にしてましたね。

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人気を得た「東京R不動産」は書籍化もされました

東京R不動産がやっていることを客観的に言うなら、オルタナティブな文脈を作ったことだと思います。音楽とか映画とかと違って、不動産はエンターテイメントでもアートでもなく、基本的には安全で資産価値のあるものを保守的に選ぶもの。今でもほとんどの人が文化的な視点で捉えていないと思います。でもそれだけではつまらないという僕たちの思いに共感する人たちはたくさんいて、サイトにどんどん集まってくれたんです。

こうして新しい視点で不動産や賃貸物件を紹介していくというコンセプトでスタートした東京R不動産は、多くの人々の心を掴んでいきました。

建築をあきらめたくなかったから、建築家をあきらめた。

建築家を志してから約10年。数々の選択をした結果、林さんは新しい職能像を見つけることができたのかもしれません。

僕は無駄に頭でっかちなんですが、考えて結局は結論が出ず、最後はノリで逆バリし、できるだけ人から意外と思われる方へ行く、というパターンでやってきました。

振り返ってみると、自分の中心にある軸は変わっていないんです。それは「楽しい空間が増え、そこに人が集まるということ。そのための場や仕組みを事業として作りたい」という軸です。僕は建築を諦めたくなかったから、建築家をあきらめたのかもしれない。その時はわからなかったけれど、いま思えばすべてが自分の自然な軸に沿った旅だったなとつくづく思うし、今もその途上のどこかにいるんだと思っています。

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「東京R不動産」のメンバーがつくったカフェ+宿「saro」のある新島ではトライアスロンにも挑戦

僕は「あきらめも前進である」と思っています。あきらめるというのは夢をあきらめるということではありません。ひとつのことに固執し過ぎてしまうと、本当の目的を掘りさげていくチャンスを逃してしまうこともあるんじゃないかって思うんです。だとしたら一度その場所から堂々と離れてみてもいい。違う場所で何かをつかみ、それを元の世界に持ち帰れば強くなるのだから。

自分のいる場所を極端に振ってみないと、新しい発見は少ないと思うんです。例えばAとBの間で悩んでいる人は、思いっきりZぐらいまで飛んでみてしまうことで、本当の答えはEだった!ということを発見できる可能性がある。若い人には自分が想像できる場所から出てみることを僕は勧めたいです。

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スティーブ・ジョブズのスピーチに出てくる「Conecting The Dots」の話は本当に共感します。そして誰にとっても、自分で考えたことは、どう悩んで決めたとしても間違いじゃないんだと思います。

自分が選択してきたことも、他人からみたら逃げてるように思う人もいたかもしれない。でもそれは遠まわりではなくて、自分のビジョンや幸せに近づくための近道であった気がします。

そんな林さんご自身も最近課題になっていることがあるようです。

といいつつ、最近、自分の振り幅が足りてない気がしてるんです。これからの自分の人生のモードを意図的に変えてみないと、発想が小さくなったり充足感を得られなくなってしまうんじゃないかという危機感があって。だから数年後には、いまやっていることを全部辞めてやろうかなと。まだ宣言しませんが(笑)

まだまだアクティブに、自分の軸を考え続け、振り幅を大きくしようとしている林さん。みなさんもいつもの場所にいるだけでなく、どこか違う場所で自分を見つめ直す時間を持ってみてはいかがでしょうか。

自分の信じることをもう一度見つめ直すことで、少し時間はかかったとしても、新しい自分に出会えるヒントがきっとあるはずです。

新しい視点で不動産を発見
東京R不動産

writer ライターリスト

山本雅美

山本雅美

東京都在住。音楽レーベル、音楽マネジメント、音楽配信など音楽ビジネスの様々な領域での仕事をする傍らで、写真家やライターなどマルチに課外活動をおこなう。年間で観るLIVEやアート展は200本以上。そうした中から、音楽やアートが日常に寄り添い、豊かな生活を目指すアクションも実践中。

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大阪一丸

全国で61万7千人、大阪府には約4万3千人といわれているニート状態の若者。その中でも、働く意志を持ち行動を起こしている若者をレイブル(late bloomer=遅咲き)と提唱し、就労から自立までを応援する、大阪府のレイブル応援プロジェクトです。 ニートの問題は「働けない特定の若者の問題」ではなく、働く若者や企業の在り方そのものへとつながる、地続きの問題。 企業と行政とそして府民とが一緒に、まさに「大阪一丸」となって、全ての若者がイキイキと働き、また働き続けることができる社会環境づくりを。 笑いのまち・ここ大阪から日本中に笑顔を届けるため、様々なプロジェクトをすすめていきます。

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