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ガス会社の社員なのに、プロデューサー。カフェも、ラジオドラマもつくる山納洋さんに聞く「私的プロデュース論」

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会社員なのにいくつもの企画をプロデュースしている山納洋さん。その仕事の仕方についてうかがいました。

面白い取り組みには必ず名前がでてくる。でもその人の「職業」はさっぱりわからない(笑)!ときどきそんな不思議な人が現れたりしませんか?

あるときはカフェの運営、あるときは企業やクリエーターの支援、またあるときはラジオドラマの制作など様々な企画を手がけている山納洋さんも、そのような不思議な働き方をしている(ように見える)方です。そして実は、大阪ガス株式会社のれっきとした正社員なのです。

「僕はあくまで、大まじめに“仕事”をしているだけ」と語る山納さんに、その働き方の秘密を探るお話をうかがいました。

ガス会社が、街のドラマをつくるわけ

2010年に六甲山の全山縦走を始めた人物として知られる登山家・加藤文太郎を描いた朗読劇「山の声」が制作され、翌年MBSラジオで放送されました。「イストワール」シリーズと名付けられた、関西に実在した人物の物語のドラマは、山納さんが勤める大阪ガスの事業として制作されました。ガスの会社が一体どうしてラジオドラマをつくるのか?山納さんの働き方を知るためには、その前に大阪ガスのことを知る必要があります。

大阪ガスグループは以前、扇町ミュージアムスクエア(OMS)という劇場、映画館、カフェが一体になった複合文化施設を運営していました。山納さんはOMSが2003年に閉館するまでの5年間、ここに勤めていました。大阪ガスはOMS閉館後も「OMS戯曲賞」という、劇作家発掘のための賞の運営を続けていましたが、ここで出会った劇作家に地域活性化のためのドラマを書き下ろしてもらい、ラジオで放送する企画として、「イストワール」シリーズはスタートしました。


劇作家の発掘と地域活性に取り組む「イストワール」その録音風景の一コマ。

2013年、梅田北ヤードの再開発で誕生したナレッジ・キャピタルの中に大阪ガスの「都市魅力研究室」ができました。そこでは都市の魅力を再発見し暮らしを豊かにしていくための取り組みが行われていますが、「イストワール」シリーズはここでは朗読劇として、定期的に制作・上演されています。

都市魅力研究室は、インフラを通して地域と関わる大阪ガスが、行政や企業と連携して魅力的な街づくりを進めていくための場です。近年、地域活性化やまちづくりはハードの開発だけでなく、ソフトにその重心が移ってきていますが、長年演劇という世界に携わってきた立場として、これは街の活性化に活かせるのではないかと思っていました。

みんなが知っている「人」や「こと」を物語にすれば、たくさんの人の心に届きやすいのだと。それで、大阪ガスの地域活性化事業として、奈良や大阪の実在の人物と街の物語をラジオドラマ化するプロジェクト「イストワール」が始まりました。

と、語る山納さんですが、そもそもどうして文化事業に関わるようになったのでしょうか?きっかけは、新入社員時代に通った一軒のバーにありました。

かつて大阪ガスグループが運営し、関西サブカルチャーの拠点だった扇町ミュージアムスクエア。その在りし日の姿。
かつて大阪ガスグループが運営し、関西サブカルチャーの拠点だった扇町ミュージアムスクエア。その在りし日の姿。ビルから飛び出した怪獣がシンボルだった。

ゴダールの映画も知らなかった製造所時代

大学では社会学や環境問題について勉強していたので、持続可能な社会づくりを担える会社に入りたいと思い、大阪ガスの扉をたたきました。最初の配属は製造所です。会社の寮が大阪の堺市にあって、その帰り道に面白いバーがあったんです。大阪芸大の学生などもたくさん通っているサブカルチャーに明るい人のたまり場のような店で、僕はそこの話題の半分以上がさっぱりわからなかった。

それから、会話に出てくるミュージシャンの名前や映画のタイトルを手のひらにメモして帰り、週末になるとレンタルショップで借りてきては、聴いて観て「勉強」する日々が始まりました。

話がわからなくても、そこにいる人たちが面白くて週3回通いました。そのうち、大阪ガスグループが運営する扇町ミュージアムスクエアが、彼らにも一目置かれている存在だと知りました。当時、関西のサブカルチャーの聖地のような場所でしたから。だから、その「聖地」に配属になれば、この面白い人たちに追いつけるかも知れないと考えるようになりました。

どんな仕事も、プラス5で打ち返す。

ところが、もともと募集がない部署。扇町ミュージアムスクエアへ配属になるには枠が空くまで2,3年待つことになります。その間、もんもんとしながらも製造所の総務の仕事のなかで山納さんが続けていたことがありました。それは来た仕事に「勝手にプラス5」すること。たとえば、社内のマナーアップの啓蒙の仕事があれば、マナーアップ新聞やプロモーションビデオを企画制作しました。

10やらないといけない仕事を、やらされ仕事だと思って7くらいでやると、叱られます。それではいけてない。それなら15で返してやろうと。会社からのミッションは10で達成しているので、あと5を加える。勝手に付け足したプラス5は、自分の力になると思いました。

ポスターでも充分なところを映像でつくると、編集技術が自分のスキルとして残ります。ほら、英語の得意な人には、英語の電話が振られたりするでしょ。社内の誰も持っていないものを、会社の仕事のクオリティーを上げることで身につけようとしていましたね。

誰にも頼まれていない「扇町Talkin’ About」

念願の劇場プロデュースの部署に配属になった山納さんは、劇場運営をしながら、ここでもプラス5の法則を発動させます。それが「扇町Talkin’ About」です。それは、劇場の周辺のお店やカフェを使って誰でも参加できるワンテーマのトークサロンを開催することでした。

劇場の仕事をしてみると、演劇界には僕よりも遥かに演劇に詳しい人がたくさんいてその人たちには適わないと思ったんです。だったらもっと別のフィールドを探しながら劇場のことも広められる企画ができないかと考えたんです。

ちょうど東京では「ロフトプラスワン」というトークライブハウスが注目を集めており、フランスでは哲学カフェ運動がさかんでした。では大阪では、街中を使って雑学サロンを開こう!街中を使うようなスタイルはまだ誰もやっていないぞ、と。第一人者になるということを、小さなことから実行した最初の企画になりました。

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扇町Talkin’ Aboutはこのようなカフェを会場にして扇町エリア随所で開催されました。

5人から10人くらいがその日集まってしゃべる、というシンプルな企画です。当初はあまり人は集まりませんでしたが、「集客を気にしない」というスタンスのもとに継続。100回目で新聞の取材を受け、その後サロンを主宰したい人が増えたことで、最盛期で10ヶ所で月15回開催され、結果、総開催数は700回になりました。ちなみに、現在は「うめきたTalkin’ About」に引き継がれ、「都市魅力研究室」で開催される大阪ガスの活動に「昇格」し復活しています。


「うめきたTalkin’ About」は大阪ガスの都市魅力研究室にて開催。

小さな第一人者になる「コモンカフェ」

第一人者になるというやり方は、個人的に起ち上げた「コモンカフェ」にも引き継がれていきました。「コモンカフェ」は大阪市の中﨑町にある、日替わり店主が運営するカフェです。カフェとしての営業のほか、演劇や音楽やサロン的なイベントも行われています。

2001年に、扇町Talkin’ Aboutの会場だったお店が閉店したときに、その空間をどうにか残そうと、有志を集めて日替わりでマスターを務める「コモンバー・シングルズ」として再生させました。2003年にはOMSが閉館しましたが、若い表現者たちが実験できる場所をどうにかして継続させたいと思い、同じ仕組みを使ってカフェを立ち上げました。

当時でも、あるお店の休日を借りて自分のお店を開いているという人はいたのですが、そういう形式をきちんとシステム化している飲食店はありませんでした、経営がうまく続いてきたことで、日替わり店主カフェやレンタルカフェという、新しい飲食店のスタイルの第一人者と紹介される機会が多くなりました。

「コモンカフェ」は経営が難しいカフェ経営を継続するモデルケースとして、また街の文化を文化施設ではなく、小さなコミュニティや個人単位で醸成していく先駆けになっています。


日替わり店主が運営するコモン・カフェ。演劇やイベントも開催されサロン的な役割を果たしています。

2003年にOMSが閉館した後、山納さんは大阪市の経済局が新設したクリエーター支援施設「メビック扇町」のコラボレーションマネージャーに着任しました。劇場プロデューサーの仕事でクリエーターの人脈に強いところを買われ、大阪ガス関連会社での業務受託という形でした。ここで、劇場で劇団を売り出したノウハウとトーキン・アバウトのイベントづくりのノウハウを活用して、デザイナーなどのクリエーターを売り出しました。

アーティストを世に出す手法で、クリエーターを売りだそうと考えたのです。講座のチラシを劇場のスケジュールフライヤーのようにつくり、こんなクリエーターがいて、こんなことを話しますと告知し、学びの場をつくり立体化することでクリエーターへの注目を集めました。

それが「扇町クリエイティブカレッジ!」。すると、講座に通っていない人がフライヤーをみて、講師のクリエーターに仕事をオファーするということが起きたのです。ここでもインキュベーションの小さな第一人者になっていました。扇町メビックのプロデュースをする頃から山納さんは自分のしていることが世間では「アートディレクション」と呼ばれる領域にあることを気付いたそうです。


扇町クリエイティブ・カレッジのフライヤー。2006年、コミュニティデザイナーの山崎亮さんなどもいち早く世の中に紹介していました。

中小企業とクリエーターの「プロデュース」へ

その後、アートディレクションの視点を持ってメビック扇町の事業としてデザインや大阪ブランドのプロデュースを企画した実績が評価され、山納さんのもとには大阪市・大阪府からデザインプロデュースの依頼がやって来るようになります。

クリエーターと深く関わることで、実感したのは山納さんが意識していた「プラス5を勝手につくる」ということを「方法論」として持って入る人たちがいるということでした。現在、財団法人大阪デザインセンターのデザインビジネス塾「プロデュース塾」の塾長を務める山納さんは、「プラス5」の発想を持つデザイナーや経営者と一緒に様々なブランディングに取り組んでいます。

大阪市の水道水をペットボトル化した「ほんまや」のパッケージを使った淀川のイメージアップ、輪投げ文化が残る神戸・高取山のリ・ブランディング、中小企業の商品開発の失敗事例を検証した4コママンガ「残念サン」の企画・制作など、その守備範囲は広がるばかりです。

いつでも僕は、大真面目に仕事をしているだけなんですよ。自分に投げられた球をどうかっこよく打ち返せるかを考えて実践し続けた結果、いろんな方向から球が飛んでくるようになりました。初めて経験する仕事もありますが、自分がやろうと思わなかった仕事をすることで鍛えられるからいいなあと思うんです。


プロデュース塾の塾生と制作した神戸・高取山のリ・ブランディング冊子「ふうぷら」では輪投げ文化に注目。

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中小企業の商品開発の「失敗あるある」をわかりやすく伝える4コママンガ「残念サン」


大阪市の水道水を商品化した「ほんまや」のパッケージで、淀川の環境保全をアピールした限定版を10万本つくりました。

最後に、山納さんの働き方を象徴する面白いエピソードを聞きました。水都大阪の淀川を水上バスで流しながら歴史に親しむイベントをプロデュースした時に、「江戸めがねをつけて大阪を眺めましょう」というコンセプトを立て、デザイナーと一緒に以下のようなデザインのフライヤーを作りました。そしてイベント終了後には、水上バスにこのデザイン案のプレゼンに行ったそうです。

普段何気なく歩く街も江戸めがねをつければ、たちまち歴史街道になり新しい発見があります。「プラス5」で返すとは、その「めがね」を手に入れる手段なのだと思います。その「めがね」がまだ誰もかけていないものなら、第一人者にしかみえない景色が広がっていきます。誰かから「ねえ、ちょっと見てほしいものがあるんだけど?」と声がかかります。そうして誰もかけていない「めがね」が増えていけばいくほど、周りからみればあの人は何をやっている人なのだろう、と不思議がられるようになっていくのではないでしょうか。

「淀川クルージング」の企画を通じて街の見方がかわっていったといいます。
江戸時代の感覚で大阪を眺める「淀川クルージング」の企画

たしかに、「暮らし方」「社会の仕組み」を企業として取り組んでいる大阪ガスならではという面はあり、山納さんの働き方は特別に見えるかもしれません。ただ、どんな仕事をしていても「プラス5」の「めがね」をかけることはできます。それが何につながるかを楽しむのは、“あり”だと思いませんか。

■次回の「うめきたTalkin’About」
2/18(火)19:00〜「Talkin’Aboutのつくりかた」
@大阪ガスエネルギー・文化研究所 都市魅力研究室
http://www.facebook.com/MidosujiTalkinAbout

■デザインプロデュース向上委員会・成果報告書「売れる商品づくりにはデザインプロデュースが欠かせない!」が2月中旬に発行されます。「残念サン」全20話が収録されています。

また2/26(水)には、デザインプロデュース向上委員会フォーラム「デザイン×プロデュースでモノづくりを変える!」に登壇します。

*2月初めにこちらのサイトで情報公開されます。 
http://www.design-produce-osaka.jp/