“子どもの貧困”と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?飢えに苦しむアフリカの子どもたち?あるいは路上で暮らすストリートチルドレン?いずれにせよ、自分とはちょっと遠い話と感じる方も多いかもしれません。
しかし日本には今、十分な教育を受けることができない貧困状態の子どもたちが数多くいて、年々増加しています。実は日本は先進各国の中でも上位に入るほどの貧困率が高い“貧困大国”なのです。
知っていますか?日本の貧困問題
日本の子どもの実に6~7人に1人は、”相対的貧困”という家庭環境にあります。
子どもが置かれる経済環境は、学力や大人になってからの所得に大きく影響を与えます。問題視されているのは、そういった家庭ほど将来の職業も制限され、今育った子どもが将来に貧困になるという”貧困の連鎖”が起こっていることです。
※相対的貧困とは…その社会で一般的な所得の半額以下で生活している状態。金額にすると4人世帯で約250万円以下、2人世帯で約180万円以下の所得。生活保護を受けるくらいの生活水準。
子どもの貧困に向き合う復興リーダー
今回お話を伺ったのは、宮城県仙台市で子どもたちの教育サポート活動をしているNPO「アスイク」代表理事の大橋雄介さん。
大橋さんは東日本震災直後、まだ食料もままならない状況のときから被災した子どもたちを中心に教育支援活動を続けています。
大橋雄介さん
学校に大量の避難者が押し寄せ、いつ授業が再開できるかわからないという状況の中、「この状況が続くと、これから学習遅れの問題が深刻になる。とくに避難所で生活している子どものほうにしわ寄せがくるだろう」と思った大橋さんは、避難所の中での学習サポートを思いたち、震災2週間後にアスイクを立ち上げ活動をスタートさせました。
最初は場所もなかったので避難所の入り口のロビーでみんなで座ったり、体育館の中で寝転がって勉強していました。
プロセスの中で見えてきたもの
大橋さんは、避難所や仮設住宅で疲弊した親や子どもたちと接し続ける中で、もとからの困窮家庭、経済的に余裕がない家庭ほど取り残されているという現状に直面しました。
たとえば、受験生を抱えた家庭や小さな子どものいる家庭で、経済的な余裕のある人たちは自力で避難所から出て行く場面にもよく遭遇しました。賃貸住宅の家賃を行政が補助をしてくれる制度も、家賃の立替えができずにあきらめた、という声もあります。
震災だけの問題だけではなく、元から大きな問題がありそれが放置されていることで被害が大きくなっていると気がつきました。今回の震災をキッカケに顕著化した子どもの貧困問題は、”被災”という切り口だけの支援では足りないと感じました。
こうして大橋さんは、避難所の教育サポート活動から、子どもの貧困問題に向き合うことになりました。
2011年4月、仙台市内の避難所での活動。活動の了承、子どもの集客、サポーターの募集、教材の確保など、活動開始までにはいくつものカベがありました。
アスイクの活動
震災から1年2ヶ月が経過した現在、アスイクが取り組んでいる3つの活動をご紹介します。
1. 仮設住宅の中での学習サポート活動
仙台市内5ヶ所の仮設住宅団地で、自治会、担当の行政臨時職員の方々と連携しながら継続的な学習サポートを行っています。
2. コミュニティ型学習支援センターでの活動
コンセプトは”市民で子どもを育む”。子どもたちは学習サポーターと隣同士で座り、人間関係を作りながら学習します。土曜日には外部の組織と連携した特別講座を開設し、アート教室や金銭教育などの講座を行っています。昨年11月にできた榴岡の施設に加え、この5月から泉区でも活動がスタートしました。
基本的には、経済状態によって将来的に問題を抱えそうな学習内容をフォローしています。会費制ですが、お金に困っていない家庭も受け入れています。
ただし、会費は家庭の経済状態に応じて負担額を変える形をとっています。それによって、経済的に厳しい家庭の子どもだけが参加しているというレッテルを張られてしまわないように配慮しているんです。
3. “子どもの貧困”問題意識を広げるソーシャルプロモーション活動
昨年出版した『3.11被災地子ども白書』を基点としたシンポジウム、講演会、雑誌への寄稿など。被災地の現状と、それとオーバーラップしている”子どもの貧困問題”をまず認識してもらい、そこから当事者意識をもつ人を増やしていく活動です。
東北大学のゼミ生をお招きし、これまでの活動や震災と貧困問題の関係性などについてお話するといった活動もしています。
運命を決定付けた20代最後の決断
現在ボランティアを含め約200名のスタッフが在籍する団体に育ったアスイクを取り仕切る大橋さんですが、過去に教育関係の活動に携わったことはありませんでした。大橋さんを大きく動かしここに連れて来たものは、いったい何だったのでしょう?
社会人2年目の時に“地域を活性化”を理念にした仙台の地域活性コンサルティング会社に立ち上げ期メンバーとして参画しました。
でも、実際は行政の下請け事業がほとんどで、下請けの仕事をやっていても本当に必要な事業は作れないと痛感するような出来事がたくさんあり、自分でやるしかないと思ったのが26才の時。そのときに起業しようか悩んだのですが、自分の力不足を感じることがあり、一旦20代は、勉強と資金稼ぎに使ってしまおうと決めました。
その後、リクルートのコンサルティング部隊に転職し、力を蓄えた大橋さんは、20代最後に「もう一度仙台にリベンジしよう」とリーマンショックの最中に会社を辞め、再び仙台にやってきました。
一度仙台で働いたときの経験があったので、そこに自分でケリを付けないまま別なことをやるのは気持ちが悪かったんです。
この言葉に、大橋さんのやりこむ性格が垣間見えつつも、現在の活動につながっていく宿命のような決断を感じられずにはいられませんでした。
教育関係の下積みがないことは実はそれほどディスアドバンテージだと考えていないんです。やればなんとかなるという根拠のない自信で動いているようなところはあります(笑)。
ただ、教育関係の活動している方だと、自分なりの教育論をもっている方が多いと思います。でも僕は当事者たちとの接点からしか前に進むことができない。それは、独善的になりにくいという意味では、自分の強みかなとも思いますね。
「ひとりで」から「みんなで」へ
河合塾との連携によって、学習サポーターの研修も定期的に開催しています。河合塾に限らず、さまざまな組織や専門家と連携しながら、小さな団体のカベを乗り越えているんです。
大橋さんはもともと一人ですべてやってしまう性格だったそうですが、震災直後の体験で大きな問題に直面したとき、“ひとり”の力の限界を痛感し、考えが大きく変化したといいます。
マスコミに取り上げられたこともあって、いろいろな人たちから自分も関わりたい、支援をしたいという声が多くかかり、なにかをしたい人たちと現場で困っている人たちの間に立って、自分がボトルネックになっている感覚をすごく感じました。
自分ひとりでできることに限界があるし、自分ひとりでやっちゃいけない時がある。そこからできるだけ、いろんな方々に力を貸してもらおうという考えに変わりました。
支援したいという人たちと実際に問題を抱えている人たちの間に立って“つなぐ”ということ。それはもう僕の意思でそこから抜け出すことはできないというような、ある意味大きな流れの中に自分がいる、そんな感覚があります。
走り続ける東北の復興リーダー
強いリーダーシップで多くの人を巻き込んでいく大橋さん。その活動は、「マラソンというよりも何度も短距離走を繰り返しているイメージ」だそう。いろいろな人の中間に立ち、走り続けることを「いろんなものを借りている」という言葉で表現しているのが印象的でした。
不安に思うことは日常茶飯事です。不安に思ってないことはないぐらい。ただ、なにかを自分の力でやったという感覚はなくて、そこにいる人たちの力を集めて借りてやっているという感覚が近いですね。
ある意味いろんな人たちから託してもらったものが自分のところにあるので、責任をもってその問題に対して届けなければいけない。責任感というとちょっと重たいですが、そういった気持ちが自分の中での拠り所、折れない理由になっていると思います。
10年後の日本へ
このような活動を続けていく中で、自分たちが取り組むべき問題は、被災した家庭の問題だけでなく、もとからあった大きな”相対的貧困”に対して取り組んでいくということだと思っています。
被災地・東北はこれまであまり着目されてこなかった地域だと思いますが、1000年に一回といわれる震災というのは、東北にとっては1000年に一回の契機だと捉えています。東北にこれほどいろんな人たちの関心やリソースが集まってくるのはこれまでなかったことですし、これからもないことだと思うんです。
ですから、この機会を使って、もともと日本にあった問題やみんなで取り組んでいけるモデルをつくり、地域に還元したり、日本の10年後の姿に向けて今から準備をしていくというところまでやるのが、本当の“復興”なのではないかと感じています。
最後に、大橋さんはこの震災が震災でだけの問題ではなく、これをキッカケに同じような問題があるということをみなさんに気付いてもらいたいとのこと。
うちの学習サポーターが言ってました。「ボランティアは聖人のような人がやる活動で、自分とは遠い世界のことだと思ってたけど、やってみて案外こんなもんかと。お年寄りに席を譲ったり、落ちているごみを拾うような、自分にとってのあたりまえのことをやることと変わらない」と。
ですから、自分視点の発想からいろいろな行動を起こしてほしいと思うんです。
自分で未来をつくる第一歩は、身近なあたりまえをアクションすることから始まるはず。2011年にアスイクがまいた種が2021年にどう花を開いていくのか、しっかりと見守っていきたいと思います。
(Text:高村陽子)
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